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3/2 BSジャパン 美の巨人たち「パリに咲く芸術の花!エクトール・ギマール『パリ・メトロ出入口』」

 エッフェル塔が建った10年後に作られたのがパリのあちこちにある地下鉄の入口。全部で88カ所もあり、今では町の風景に完全に溶け込んでいるこの斬新な建築を設計したのはエクトール・ギマール。パリ万博に併せて地下鉄が開通した時に、それに間に合うように設計されたものであるが、当時まさに全盛であったアール・ヌーヴォーの様式に乗った芸術作品でもある。なお現在88カ所もあるといったが、これでも最盛期から大幅に減っており、最盛期には166カ所にも及んでいたらしい。

 国立技術学校の建築学科に進んだギマールだが、伝統の押しつけに嫌気がさして中退、建築会社に入って現場に学ぼうとするが、その現場もやはり伝統でがんじがらめで新しい芸術の余地などなかったという。しかしこの頃にパリの大改造が始まる。中世の不衛生な町並みを破壊して、凱旋門を中心とした新しい都市に生まれ変わることになる。ただこの整然としすぎた町並みはギマールにとっては不満だったらしい。

 パリで行き詰まったギマールは、休暇を取って旅に出たベルギーのブリュッセルで、アール・ヌーヴォー建築の先駆者であるヴィクトール・オルタの建築に出会う。当時の大量生産に対するアンチテーゼとして生物のような曲線を多用したアール・ヌーヴォーを取り入れたオルタの建築はギマールを驚かせ、これが彼の方向性を決めることになったという。そしてフランス初のアール・ヌーヴォー建築を建設、国の賞を取ってアール・ヌーヴォーの旗手として認められることになる。そしてその年に地下鉄の入口の建設を依頼されることになるわけである。

 ところが大問題があったという。ギマールが依頼を受けた時点で地下鉄開通までの時間はわずか半年。本来大量生産対するアンチテーゼあるアール・ヌーヴォーには明らかに時間が不足なのである。しかしギマールは大胆にも、大量生産したバーツを組み合わせていろいろなパターンを作るという方法で、アール・ヌーヴォーを大量生産に対応させたのである。

 しかし地下鉄の駅が統合されると共に出入口の数が減ったこと、またアール・ヌーヴォーが時代遅れになったことなどでギマールの出入口は減少するのである。しかし1964年に当時の文化大臣で作家のアンドレ・マルローが国の歴史的建造物としてギマールの出入口を保存すると決定してから流れが変わる。こうして彼が作品が今日にも残ることになっただけでなく、シカゴやモスクワなど世界の5つの国に設置されているとか。

 よくある話なのであるが、この手の突き抜けた斬新な芸術は少し時間が経ったところで急激に「ダサく」なってしまうのであるが、そこからさらに時間が経つと時代が一回りして逆に最新になったり歴史的価値が出たりするわけである。ギマールの作品はまさにそういう経過をたどったと思われる。

 なおミュシャファンの私としては、彼の建築は今見ても「格好良いな」と感じる。これに比べると日本の公共建築の大半のなんと無粋で無様なことよ。醜悪な京都駅ビルなどは見る度に嫌悪を通り越して怒りさえ感じる。あれだけは直ちにぶっ壊した方が良い。