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3/4 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「古代史ミステリー・日本書紀の真実」

 日本の古代歴史書と言えば、日本書紀古事記のいわゆる記紀であるが、日本書紀には権力者による意図的な嘘も書かれているのではないか・・・ということなんだが、そんなことは今更改めて言われるまでもなく当然のこと。

 日本書紀古事記も共に天武天皇が編纂を命じたもので、古事記は日本語を漢字に直して記述(いわゆる万葉仮名みたいなもの)してあるのに対し、日本書紀は漢文で記してあるという。これは当時の中国などを意識してのもの。白村江の戦いで大敗した後であるので、対外的に日本が歴史ある独立国であるということを示そうとする意図があるという。

 編纂を命じたのが天武天皇となれば、当然彼自身がその当事者であった壬申の乱の記述は彼にとって都合の良いものになる日本書紀によると、天智天皇の死後、大海人皇子(後の天武天皇)は権力から退いて吉野に籠もったのだが、天武天皇の跡を継いだ息子の大友皇子大海人皇子に対して疑心暗鬼から排除を試みたので、やむなく大海人皇子は立ち上がったとなっている。しかし普通に考えても分かるように、この乱自体は権力を求めて立ち上がった大海人皇子による簒奪劇

 また大化の改新のきっかけになった入鹿の暗殺(乙巳の変)については、天武天皇の死後に日本書紀編纂の中心となった藤原不比等の意向が反映しているという。日本書紀では乙巳の変の首謀者は中大兄皇子中臣鎌足ということになっているが、実際の首謀者は皇極天皇の弟である軽皇子(後の孝徳天皇)であり、中大兄皇子らは単なる刺客にすぎないという分析。藤原氏天智天皇の権威を高めるためにこの辺りはかなり盛ってあるのだとか。さらに孝徳天皇の時から始まった大化の改新の内容についても、彼らの大義名分を高めるためにかなり内容を盛っているのは明らかであるという。

 また聖徳太子については、厩戸皇子が実在したのは事実であるが、聖徳太子の存在は実在の厩戸皇子をモデルにしつつかなり内容を盛ってあるという。そのために聖徳太子はとんでもないスーパーマンになってしまったとか。そもそも聖徳太子は摂政で皇太子となっているのだが、この時代には皇太子の概念がなかったとのこと。これはこの時代の皇太子(後の聖武天皇)に皇太子のあるべき理想像を示すためのものだったとのこと。

 まあ権力者によって編纂された歴史書が権力者によって都合良く改ざんされるのは当たり前で、中国などでは滅びた王朝の最後の皇帝は暴君か超無能のどちらかにしてしまう(自ら精力的に行動するそこそこ有能な皇帝の場合は暴君ということに、特にこれといったことをしなかった存在感の薄い皇帝の場合は超無能な暗君ということにする)。日本書紀の中でも跡継ぎを残さずに死んだために天皇家の血脈変更につながった武烈天皇は、中国の例に倣って暴君にされてしまっているという。

 ちなみに今日でも権力者は自分に都合良く教科書を書き換えさそうとしたりする。つまりはこの手のことは日常茶飯ということ。だから歴史を考える時には、その裏側に潜んでいる多くの意図などについても考えを巡らす必要はあり、視点を変えてみるというのも不可欠である。そういう点では日本でも中央によって「討伐」された熊襲蝦夷の歴史についての再検討も必要となる。