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3/13 NHK 歴史秘話ヒストリア「軍港・呉と戦艦大和"世界の片隅"の町 悲劇と復興」

 今日のテーマは大ヒット作となった「この世界の片隅で」の舞台となった軍港呉。

 呉が東洋一の軍港と言われるようになったそもそもの理由は、ここに鎮守府が置かれることになったから鎮守府とは軍港やドックの置かれた海軍の拠点である。明治時代、欧米列強に伍する海軍を必要としていた日本は鎮守府の設置を計画していた。その時の候補地は横須賀か長崎だったのだが、外海に面した長崎はいざという時に敵の攻撃を受ける可能性が高く、そのために防御に有利な瀬戸内沿岸が候補地となった。その中で島に守られた地形などから選ばれたのが呉である。

 呉には造船設備も設置され、多くの職人が雇われる。しかし労働が過酷だったために大規模なストライキが発生する事態になる。そこで職人の処遇が見直されることになり、福利厚生面などからも長く勤務すれば有利になるようなシステムを確立する。こうして呉には多くの腕の良い職人が集まることになり、造船の技術レベルが高くなる

 その呉に舞い込んだ巨大プロジェクトが戦艦大和建造だった。アメリカ海軍を仮想的とする日本は、海軍力の圧倒的な不利を超巨大戦艦で補おうと考えたのである。しかし与えられた期限は4年10ヶ月。通常のやり方では到底不可能な話である。そこで責任者となった海軍造船少佐の西島亮二は画期的な手法を取り入れる。それがどの作業にどれだけ人員をつぎ込めば良いかを明らかにするための工程管理と、各パーツごとに製造を同時に開始してから最後に組み上げるブロック工法だった。この西島の画期的手法と、呉の職人達の優れた技術によって戦艦大和は予定よりも半年も早く完成する。

 しかしこの戦艦大和は悲劇の船となる。ミッドウェー海戦に出撃したものの活躍の機会もなく撤退、その後は空母と航空機の時代の中で大和は戦果を挙げることはなく戦局はドンドンと悪化していく。海上輸送を断たれて戦艦の建造が不可能となった呉では、この頃には特攻兵器である「回天」の製造が行われるようになっていた。そしていよいよ戦局が絶望的となった大戦末期、大和は無謀な沖縄特攻に動員され300機の航空機に袋だたきにされながら3000人の将兵と共に沈没する。この時に父親が戦死した人物の「3300人もむざむざ戦場に行かして殺す命令を発する人はどんな気持ちで発したんだろうか」という静かな言葉に深い怒りが感じられたのが実に印象的。いつの時代でも自分は安全な場所にいる輩が一番勇ましいのである。これは今の時代でも同じで、自分は絶対に前線に立つことのない輩が戦争を賛美して実行しようとする。

 そして敗戦。空襲を受けた呉は焼け野原となっていた。しかしその呉が復興に立ち上がるきっかけとなったのは、かつての敵国であったアメリカの造船会社からの依頼。当時世界最大のタンカーを9ヶ月で建造することを依頼されたのである。この仕事を呉復興の足がかりにと受けたのが真藤恒。彼は西島亮二の教えを受けていた人物であり、タンカー建造に西島の手法を取り入れる。こうしてタンカーは建造され「ペトロクレ(石油+呉)」と命名される。そして日本は造船業で名を馳せることとなる。

 以上、軍港として発祥し、戦後には造船業で名をなした呉の歴史について。ただし現在はその造船業は中国やら韓国に押されて苦戦中というのが実態。第二の敗戦とまで言われる経済的に全敗の状態から日本がいかに立ち上がるかはこれからの課題である。

 ところで今回で井上あさひアナの出演は終わりで、4月からは渡邊佐和子アナにチェンジするとのこと。渡邊アナというからまた渡邊あゆみアナに戻るの?と思っていたら、佐和子の方だったか(笑)。彼女は確か九州に行っていた記憶があるのだが、いつ戻ってきたんだろう?