先週に続いての若冲スペシャル。最初は先週に最後に出てきた「動植綵絵」であるが、ここで若冲が用いている珍しい手法が「裏彩色」というもの。これは絹地全体に墨で下塗りをしてから、表から白い彩色を施し、裏から黄土で彩色するというもの。絹地を通して裏の色が透けることで立体感が出るのだとか。昔に仏絵などに使われた手法だが、江戸時代にはほぼ絶えていたものを若冲はあえて使用しているという。
この手法に限らず、非常に高価な顔料であったプルシアンブルーを使用したりなど、とにかく金のことを考えずに自らの心の赴くままに絵画を制作しているという。これは古今東西絵画を職業としていた者ならあり得ないこと。彼がこういうことが出来たのは彼が大店の旦那だったということが効いている。だから彼の絵画は「究極の旦那芸」と番組では言っている。確かに「儲けてやろう」とか「これで名を挙げよう」とかの邪心や野心の類いが彼の作品からは見えず、ただひたすらに凄いか楽しいかというのが多いように思う。
彼のあくなき挑戦心は様々な作品に現れており、鳥獣花木図屏風では枡目描きという斬新な手法を、乗興舟では拓本版画のテクニックを使用している。
そして1999年に再発見された大作が「菜蟲譜」なのだが、これは巻物の前半部分に野菜を、後半部分に虫を描いた作品。しかしこの作品、よく見ると葉っぱが虫に食われていたり、腐った野菜があったり、蟻に食われるミミズの姿があったりなど、妙に死を感じさせるモチーフがあるという。これは若冲が73才の時に体験した天明の大火が京都の町を焼き払い、彼の財産も店も友人も奪ってしまったからであるとしている。
この頃に若冲が蓮を描いた墨絵があるが、どことなく寂寞とした空気を感じさせる作品となっている。しかし新たに真っ直ぐに伸びてくる芽も描いてあり、再生への意志を感じさせるとのこと。
実際にその後も若冲は多くの作品を描いている。82才で描いた象と鯨図屏風は大胆かつユーモラスというか、何とも表現に困るようなインパクトのある作品(実際に私はこの作品を目にした時は爆笑してしまった)。まるで子供が描いたような純真さも覗える作品だが、これが若冲晩年の心境だったのだろう。
また鶏を好んで描いた若冲が残した鶏図押絵貼屏風は非常に動きのある逸品。番組ではこれがパラパラアニメのように見えるとして実際にパラパラアニメにしているのだが、これが確かに動いているから驚いた。
若冲最晩年の作品は伏見の石峰寺の裏山にある五百羅漢像。これは若冲が下絵を描いて石工に掘らせたものらしいが、いかにも楽しげな雰囲気なのが面白い。若冲のユートピアだとのこと。
要は若冲というのは精神的にかなりの自由人であったと言うことなんだろう。既成の流派に属していなかったおかげで枠にとらわれない天衣無縫の画家になったということだろう。それが窮屈な今の時代に響いたか。