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3/18 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「武将が愛した美少年たち」

 今回のテーマは戦国武将達の少年愛・・・と何やら腐女子が飛びつきそうなネタであるが、一応大真面目な歴史内容である。

 少年愛で有名なのは独眼竜こと伊達政宗。彼は只野作十郎という小姓と衆道の契りを交わした関係(つまりは男性同士の恋愛関係)であった。しかし別の男が彼に言い寄っているという話を聞いて嫉妬に駆られ、酒の席で作十郎にひどく当たったことを詫びた書状が残っている。政宗に疑われた作十郎は自らの腕を刀で突いてその血の付いた起請文を送って、自らの無実を訴えていたらしい。これを送られた政宗が慌てて作十郎に詫びを入れているのだが、その内容が聞いていて小っ恥ずかしいぐらいの熱烈ラブレター。挙げ句が「自分も腕を突いてお返しをしないといけないところだが、自分も孫も持つ身なので人の噂も気になる」云々という弁解をしている。独眼竜も孫を持つ年になって何をしてるのやら・・・。それにしても彼も300年以上経ってからまさか公開処刑になるとは思ってもいなかったろう。

 当時は戦国時代で武将は戦場にいることが多く、戦場には女性を連れて行くわけにはいかないので、美少年を小姓として侍らせて・・・という武将は多かったらしい。武田信玄にも春日源助という愛人がいたのだが、彼に対して浮気を詫びる書状を送ったのが残っている。ちなみにこの春日源助が、後に武田家の名称である高坂昌信だとも言われている。主君と特別な関係になることで出世に結びつきやすいということはあったらしい。

 彼ら以外でも織田信長森蘭丸などこの手の例は多い。男色の気がほぼなかったと言われているのは、無類の女好きだった豊臣秀吉ぐらい(彼は清々しいぐらいお姉ちゃん大好きですから)。徳川家康はよく分からないらしいが、もしその相手がいたとしたら女城主の養子・井伊直政辺りではとのこと(さすがに異例の抜擢をしている)。

 この時代にはこの手の話は多数あり、戦国有数の謀略家・宇喜多直家などは美少年小姓を敵方武将の元に潜り込ませる男色ハニートラップで、見事に強敵を討ち取っている。また蘆名盛隆は敵将と男色関係になったりなどというとんでもないこともやっているのだが、挙げ句は自身の男色三角関係のもつれで殺害されてしまい、これが蘆名家滅亡につながるのだから洒落にならない。色に溺れると身を滅ぼすと言うが、これは男色でも同じことというわけ。

 江戸時代になっても男色の風潮は収まらない。この時代になると若衆歌舞伎というのが人気で、この役者達がいわゆる男色の相手になったいた。彼らには見習いの新部子、どさ回りの飛子、舞台に出るようになった舞台子などのランクがあったらしいが、さらには舞台に出ずに最初から売春が仕事の陰間と呼ばれる連中もいたらしい。なお風紀の乱れに頭を抱えた幕府は、若衆歌舞伎を禁止して野郎歌舞伎だけにしたのだが、それもあまり効果はなかった模様。吉原の遊女と遊ぶよりも金額が高かったというのだからすごい男色フィーバー。

 そして先週の春日局の話でチラリと出てきたが、家光が男色家だったのも非常に有名。彼は二人の小姓を寵愛しており、その嫉妬物語なんかも残っているとか。家光が女性に興味を示さないのに困った春日局が、家光の目を女性に向けるために大奥を作り、さらには家光好みのボーイッシュな女性をスカウトしたというのは先週の話。この奮闘のおかげてなんとか徳川家の血筋は残っている。

 で、最後は男色関係で大惨事が起こった例。富山藩主の前田利次には梶原左内と橋本主殿という二人の小姓がいたのだが、ここにさらに速水助之丞という美少年を従えたところで、なんと梶原と速水が恋仲に。このことを橋本から聞いた利次は梶原を呼び寄せて「今回は大目に見るが以後慎むように」と温情を示して一件落着・・・となれば良かったのだが、密告をした橋本を恨んだ梶原が酒の席で斬りつけるという暴挙にで、両者は死亡、その場にいた者も巻き込まれて死者9人、負傷者12人の大惨事になってしまったのだとか。今も昔も痴情のもつれは凄まじい。

 結局は江戸時代を通しても衰えなかった男色熱だが、これは明治になって西洋文明とその価値観が入ってくると共に徐々に下火になって表世界からは姿を消していくことになる。とは言うものの、実際にその手は今でもいるところに入るというのはご存じの通り。また芸能界なんかでもその手の噂は絶えないが、今の芸能界は当時の歌舞伎の流れから来ていると考えればそれもさりなん。

 完全に歴女ならぬ腐女子ネタ。歩く道徳教科書と呼ばれ聖人君子の私には無縁の世界(笑)。と言うか、私は完全にヘテロのですので女性にしか興味はありません(笑)。

 ところで日本の男色に関して「自然の摂理に反する」と嫌悪を示していた欧米よりも、今日では日本の方がLGBTに対する対応では遅れているというのは何という皮肉だろうか。もっとも江戸時代でも男色は流行っていても決してLGBTが認識されていたわけではなく、「風紀を乱した咎」で流罪になってしまったLGBTの女性(体は女性で意識は男性、所謂トランスジェンダー)の話がヒストリアで以前に放送されていましたが。