教養ドキュメントファンクラブ

テレビの教養系番組の感想など。かつてのニフティでのHPを新装開店

4/1 BS11 歴史科学捜査班「真説・関ヶ原 実験で明らかになる合戦の実像」

 天下分け目と言われる関ヶ原の合戦であるが、2000年以降辺りから様々な研究がなされており、従来の通説が覆されつつあるという。そのような新説について紹介(番組では真説を用いているが、実際の真相は不明なので新説の方が適当に感じるのだが)。

 まず寝返りをなかなか決められない小早川に対して、催促のために家康が小早川の陣に向かって鉄砲を撃ち込ませたという「問鉄砲」だが、番組は最初にこれを否定している。当時の家康の本陣と小早川の本陣の距離は2.5キロほどあり、この距離で鉄砲を撃っても小早川の本陣まではその音は届かないということを番組は実験で証明している。実験によると数百メートルぐらいまでは近づかないと鉄砲の音は聞こえないとか。もっとも今日の関ヶ原ではこれは名神高速道路越しに鉄砲を撃っているわけであり、それじゃあ確かに届かないだろうという気もする。当時の騒音レベルからするともう少し届くこともあり得ただろうが、確かにあの距離を届かせるのはいささか無理があるようには感じる。

 島津家の家臣が残したという記録によると、夜明けと共に東軍(家康の本軍ではと番組ではしている)と小早川軍が一斉に大谷善継軍を攻撃して全滅させているとのこと。これが本当であれば、小早川秀秋は最初から迷いもなく東軍についていることになる。

 また合戦の舞台が関ヶ原のように言われているが、当時の資料等を見ていると実際に戦いが発生したのは関ヶ原の南西にある山中と呼ばれる山間の狭隘部であり、ここに石田三成などの西軍の部隊が陣取り、それに相対する形で福島正則の部隊と黒田長政の部隊が陣取っていたとのこと。現在よく見かける西軍が鶴翼の陣を敷き、東軍が魚鱗の陣を敷くという布陣図は、明治時代に参謀本部が作成した「日本戦史」によっているが、その布陣図のそもそもの出所がハッキリしておらず、どうも参謀本部によるオリジナルではないかと考えられるとのことである。

 また当日の気象であるが、朝から濃い霧が立ちこめていたことが知られているが、これは秋によくある放射冷却に伴う放射霧とのこと。この霧の中で井伊直政が抜け駆けをするのであるが、これは井伊直政の軍勢は全員が赤い甲冑を着た赤備えであったために、霧の中でも敵味方を区別しやすく攻撃をかけやすかったことによるとしている。

 で、最初の問鉄砲のエピソードがなぜ捏造されたかであるが、これがなかったとなれば関ヶ原の最大の功労者は小早川秀秋ということになってしまい、徳川幕府にとっては都合が悪かったからだろうとのこと。要は神君家康の功績を盛ったということ。まあ歴史は後の権力者の都合の良いように書き換えられるということを考えればこれは妥当。

 以上、関ヶ原合戦の新事実について。なかなか面白い内容。しかし関ヶ原の合戦が山中の合戦ではあまりにローカルすぎて歴史の中での重みも変わってきそう(笑)。恥ずかしながら問鉄砲に関して疑問を持っていなかったのは不覚。ただ私はあれは家康の本陣からではなく、松尾山の麓まで鉄砲隊を送り込んで撃ち込ませたと考えていた。私は関ヶ原の古戦場を訪ねたことがないので、この辺りの地理感覚を実感として持っていなかった。やはり何事も現場検証をすることが重要なようである。今回は「科学捜査班」を名乗っているこの番組らしい内容で実に興味深かった。

 ところでこの新説、学会では今後通説となっていくのだろうか? それとも従来の通説の側からの反論はあるのだろうか? 正直なところそれを知りたい。最近は教科書の中身が書き換わることが多くて、私のような古い世代の人間にはついていくのが大変だ。