教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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4/10 NHK 歴史秘話ヒストリア「日本人の夢をつくった男 小林一三の逆転人生」

 今日のヒストリアはいきなりゴジラと共に開始。何だと思っていたら東宝の話。東宝とはそもそも東京宝塚劇場であり、宝塚と言えばあの人物が関係しているのだとか。

 というわけで今回の主役は阪急電鉄を作った小林一三。彼は元々は小説家志望で慶応大学の在学中に新聞に小説の連載を始めるのだが、当時に実際に起こった事件を取り入れたりなどをしたのだが、内容がリアルすぎて警察に目をつけられて連載中止の羽目に陥ったとか。そこで銀行に就職するのだが、小説家志望だった一三にとっては銀行の仕事は全く面白くない。結局は×(ペケ)社員と呼ばれる駄目社員になってしまう。

 それでも13年は生活のために務めていたらしいが、とうとう我慢できなくなって銀行を辞めてしまう。そして仕事を探していた時に元上司の岩下清周に頼まれたのが大阪から箕面や宝塚を経由して有馬温泉までを結ぶ箕面有馬電気鉄道の監査役の仕事だった。

 喜んで引き受けた一三だが、いざ始めてみるととんでもない状況だった。鉄道が通る予定の場所は田園地帯で沿線人口がほとんどなくとても採算が取れそうにない。それどころか不景気のせいで資金が集まらず、鉄道敷設の前に会社が解散しそうな状態。

 

 打開策を考えるために沿線を自分の足で歩いた一三は思いつく。「人がいないなら連れてくれば良い」。彼が思いついたのは沿線を宅地開発して町を作ること。当時は大阪が工業都市として発展して人口が急増していたが、彼らは町の狭い長屋暮らしだった。それを郊外に庭付き一戸建てを建設して、そこから鉄道で通うという今では当たり前のライフスタイルを彼が初めて提案したのである。さらに一般労働者でも家を買えるように住宅ローンのシステムも取り入れた。時代の流れに合致していたのと、一三自らがコピーを手がけたという宣伝も功を奏したのか住宅は完売する。このような鉄道と沿線開発を複合する方法は今では鉄道会社の定番であるが、このシステムを最初に開発したのが一三である。なお東京でこれと同じことをやったのが東急の五島慶太だが、彼は一三の愛弟子なのだとか。

 しかし通勤客だけではまだ鉄道会社の収益は弱い。そこで一三が次に考えたのは沿線の観光開発。最初は箕面に動物園を作ったらしいが、近隣住民の「猛獣が逃げ出したらどうする」の苦情で閉園、次に宝塚に温泉とプールの複合施設を作ったが、日のささないプールは水が冷たすぎて5分と入っていられず失敗(宝塚は温泉なんだから、なぜ温水プールにしなかったのか?)。次に思いついたのが少女歌劇なのだという。

 家族で楽しめる少女歌劇は大ヒット。しかし大正12年に劇場が火災で全焼してしまう。しかし一三は新たに劇場を再建することを決断。それだけでなく当時日本最大の4000席の劇場とする。これは座席を多くすることで入場料を安くするという考えだった。

 

 さらに一三が行ったのが百貨店の建設。当時は梅田から堺筋の百貨店まで買い物客が言っていたのを駅直結の百貨店を建設することでこれらの客を取り込む。またレストランを設置して当時は珍しかった洋食を安価に提供したことが大ヒットになる。特にカレーライスは看板メニューとして人気商品となる。これが今日の阪急百貨店。

 なお当時は昭和恐慌で、ライスだけを注文して卓上のソースをかけて食べる貧乏な若者が多く、店は「ライスだけの注文はお断り」の張り紙をしたのだが、それを見た一三は「今は貧乏な彼らも、これから結婚していずれは家族でやって来る」と「ライスだけの注文歓迎」に張り替えたとのこと。目先のことだけでなく、先のことまで見通した経営者だったことが分かる。

 さらに一三は娯楽のための映画館も建設。入場料も大幅に安くして映画を国民の娯楽として定着させる。そして製作の方も行うようになり、これが今日の東宝だとか。

 以上、西の鉄道王、理念ある財界人だった小林一三の物語。これは近々朝ドラか大河でしょうか? ところで今回の話、数年前にこの番組で一度見た記憶があるのですが・・・。特にレストランで父とカレーを食べたと証言していた方の話、その時にも登場していた記憶があります。以前の内容の使い回し? NHKはよくこれをしますが。

 

忙しい方のための今回の要点

・鉄道を敷設して沿線の住宅地開発を行うという鉄道会社の黄金パターンを確立したのは阪急電鉄の小林一三である。
・宝塚歌劇団は、一三が沿線の観光開発のために設立した。
・駅前百貨店も一三が初めて作った。
・東宝を設立して映画を国民的娯楽に発展させたのも一三。


忙しくない方のためのどうでも良い点

・小説家志望の者が普通の会社に就職しても戦力にならない。
・渡邊佐和子は宝塚音楽学校を3度受験したことがある。
・昭和の初期から既にご飯にソースをかけるという食べ方をする者が関西にはいた。

 

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