教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/8 歴史秘話ヒストリア「自由は死せず 反骨の政治家・板垣退助」

武力倒幕の道へ

 土佐藩の上級藩士乾家の長男、乾退助こと後の板垣退助はやんちゃが過ぎて20歳の時に3年間の追放を食らうほどの直情径行な男だった。しかしその人望と抜群の行動力が評価されて24歳の時に江戸務めを命じられる。しかし彼はそこで見た幕府の非力ぶりに武力による倒幕しかないと決意する。しかし土佐藩上層部は藩主の山内容堂を始めとして佐幕派。そこで彼は仲間と共に密かに薩摩の西郷隆盛と交渉して同盟関係を結び、倒幕に備える。

坂本竜馬の活躍で思わぬ窮地に

 しかし事態は思わぬ展開を遂げる。同じく土佐出身の坂本竜馬らの働きで大政奉還が実現してしまい、武力倒幕の口実がなくなってしまう。土佐藩の軍事を担当して土佐の軍隊を近代的なものに変革するなどの活躍をしていた板垣は、この時に勝手に突っ走った責任で処罰させられる危機に瀕したという。

 

戊辰戦争での大活躍

 だが時代は急激に動く、竜馬の暗殺、戊辰戦争勃発で武力倒幕は今や止めることの出来ない流れとなる。そして板垣は迅衝隊を立ち上げてメンバーを募集する。集まったメンバーは戦闘経験もない者達ばかりだったが、それを彼は徹底した教練によって精鋭部隊へと進化させる。

 そして迅衝隊の出陣は錦の御旗を掲げてのものとなった。錦の御旗の効果も絶大で順調に京に上り、中山道を江戸に向かった彼らの前に強敵が立ちはだかる。近藤勇が率いる甲陽鎮撫隊。新撰組を中心とした幕府軍の精鋭だった。

 戦いの争点は甲府城争奪。もしここを甲陽鎮撫隊に先取されるようなことがあれば、落とすのは容易ではない。しかし甲府城の周りは幕府領であり、進軍が抵抗を受ける可能性もあった。ここで彼が打ち出した戦略が乾家の元祖である板垣の姓を名乗ること。板垣は武田信玄の重臣であり、未だに信玄に対する思慕の情が強いこの地域では効果的だったという。実際に迅衝隊は抵抗を受けることなく甲府城に入城したばかりか、志願兵まで出てくるぐらいだったとか。そして万全の体制で甲陽鎮撫隊を待ち構えて撃破。これで勢いづいた新政府軍は戊辰戦争で勝利する。

 とこのように板垣の前半生は軍人としてのものだったようです。確かに「板垣死すとも自由は死せず」なんていうのはただの政治家としてはあまりに壮絶な言葉だと思っていましたが、そもそも軍人だったのなら納得。なお板垣は一般的に政治家のイメージが強いので全国の板垣像は大抵は晩年の政治家姿だが、一体だけ若き日の軍人姿の像が日光東照宮の近くに立っているとか。これは東照宮に立て籠もった幕府軍と戦う時、東照宮が戦火に遭うことを懸念した板垣が、戦場を変更することを提案して結果として東照宮が守られたということがあったためだとのこと。なかなか興味深いエピソードです。

 

明治時代に政治家に転身

 で、新政府が成立してから板垣は政治家に転身、新政府にも取り立てられるのだが、薩長の藩閥が支配する政府に嫌気がさして出て行ってしまう。ちなみにこの時の新政府の腐敗っぷりはひどく特に長州の連中はかなり汚職がひどかったとか。西郷が新政府を離脱したのも一説によるとそれが原因とも。なおこの長州の末裔が今の総理で、当然のようにこの伝統を濃厚に受け継いでいます。まあこんなことは間違ってもNHKでは放送できませんが。

「板垣死すとも、自由は死せず」

 新政府を離れた板垣は武器を置いて言論を新たな武器とする。議会開設を求める自由民権運動を展開する。全国に広がる自由民権運動を警戒した政府は演説会に警官を送り込んだり、自由民権運動を訴える新聞を廃刊にしたりの露骨な圧力をかける。そんな中で政府の御用新聞に感化されたテロリストが板垣を刺す事件が起こる。この時に板垣が発した台詞が「板垣死すとも、自由は死せず」である(番組ではもっと土佐弁の台詞を叫んでましたが)。

 なお板垣のこの台詞を板垣の最後の台詞だと勘違いしている人も少なくないようですが、板垣はこの時には死んでません。そしてこの台詞が新聞などで全国に広まり、自由民権運動は爆発的に火が付いて政府にもどうしようもない状態となり、ついには選挙によって選ばれた議会が発足することになる

 以上、反骨の政治家板垣退助の生涯について。恥ずかしながら軍人板垣のイメージは私も全く持ってませんでした。そういう意味では今回の内容は板垣退助の人物像に迫るのに非常に興味深い内容でした。

 

 
忙しい方のための今回の要点

・板垣退助は迅衝隊を率いて幕府の精鋭軍を破るなど、戊辰戦争で大活躍した。
・その功績で新政府に迎えられるが、薩長の藩閥が支配する政府に嫌気がさして出て行く。
・新政府を出た板垣は自由民権運動を指揮するが、その時にテロリストに暗殺されかけて発した台詞が「板垣死すとも、自由は死せず」。
・板垣のこの台詞が世間に爆発的なブームとなり、ついには選挙による議会が開設されることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・板垣と坂本竜馬は実際にあったことはなかったが、お互いのことを評価していたとか。この二人が手を組んでいたらどういうことになったろう・・・途中でケンカ別れしそうな気がするが。
・板垣の台詞が板垣最後の言葉と間違われやすいのは、大久保利通の暗殺とかとごっちゃになってるんですよね。板垣は暗殺されかけましたが、結果としては命を取り止めてます。今だったらネットでネトウヨとかが「自作自演」とか言いそう。

 

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