教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/24 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「なるほど!平安時代~平安貴族のビックリ私生活」

 およそ400年に及ぶ平安時代。この時代に日本独自の国風文化が花開いたわけであるが、その中心となった貴族達の生活ぶりを紹介するとのこと。

平安貴族の日常

 まずその日常であるが、朝の起床は日の出と共で、起きるとまず陰陽道の自分の守護星の名を7回唱えるのだとか。その次には暦で吉凶を確認して、凶と出ればその日は外出をしない物忌となり、これは欠勤の正当な理由になったらしい。まさか現代では「嫌な予感がするから今日は休みます」というわけにはいかないので、長閑な時代のような気もする。ちなみにどうしても行かないといけない時は、占いをやり直すそうな。それでも凶が出たらどうするんだろう?

 出勤するとなったら、身支度をしてから自分が崇拝する社の神様を拝むのだという。そして日記をつけてから朝食。この時代は1日2食で、朝は大抵お粥なのだそうな。そして髪梳きや沐浴をするのだが、髪梳きは3日に1度で沐浴は5日に1度、しかも日によっては縁起の悪い日があるとかでその日はしないので今の感覚から言えばかなり不潔。そこでお香の文化が花開くということになる。西洋の香水と全く同じである。

 支度が終わると正装に着替えて出勤することになる。この時の衣装の色は官位によって決まっているそうな。また下襲という布を後に引きずっているのだが、これも最も身分が高いと2メートルにもなるとのことで邪魔なだけ。

遊ぶのも仕事? 平安貴族の仕事っぷり

 出勤すると位階に応じた仕事をする位階は30段階あり、上の正一位から従五位の下までが貴族と呼ばれて100人程度、その中で三位以上が公卿と呼ばれて20人ほどだとのこと。一番トップが正一位でこの位階になると役職は太政大臣。ただこれは多分に名誉職だったようで、実際に政務を司るトップは左大臣、右大臣、内大臣辺りになるとのこと。この辺りの年収はと言えば今の物価で2億円というから超高級公務員である。

 基本的に彼らの勤務は午前中の4時間程度で終わり(仕事によって残業や夜勤もあることもあったらしいが)、その後は遊びの時間。蹴鞠に興じたり、弓や馬術などを行うのはアウトドア派、インドア派は将棋や囲碁、さらには漢詩や和歌や音楽などに興じたわけだが、これらは貴族にとっては単なる娯楽と言うだけではなく、必須の教養だったのだという。

平安貴族の住まいと結婚事情

 さてこの時代の貴族の屋敷と言えば寝殿造りだが、屋敷は基本的に柱だけで壁がなく、間仕切りは屏風や几帳などによるフレキシブルな構成だったので、夏は風通しが良いが、とにかく冬は滅茶苦茶寒かったようである。

 そしてこの頃の貴族は10~20歳ぐらいで成人して、その後はすぐに結婚したという。この時代の結婚は基本的に恋愛結婚であるが、女性は家の中にいて外には出てこないので、そこに忍んでラブレターを送るということになる。ここで文才がないと見事にスルーされてしまうので教養は必須。見事に女性から返事が来たら相手の親に許可を得て通うことになるとか。基本的に3日通えばそれは結婚を意味するらしいが、結婚後も基本は通い婚ということになるとのこと。またこの当時の貴族は一夫多妻なので、その中から最も身分が高い女性などを正妻にして、正妻とは同居する例もあるという。ただその時でも妻の親の家に夫が入るという形になるので、この時代は嫁姑問題はないそうな。なお相手の親の許可を得ない夜這いなんてのもしょっちゅうあったようだ(源氏物語なんてそんな話ばかりである)。

女性が十二単を着ていた理由

 この時代の女性の服装と言えば十二単だが、実際に再現すると重さは12キロもあって身動きもままならぬ状況とか。これだとトイレでさえ大変だが、この時代はトイレはポータブルのおまるのようなもので用を足していて、終了後には専門の下女が始末していた(表の水路などに捨てるそうな)とのこと。ただ、お尻は拭いていたのだろうかが気になる。

 十二単の理由は冬が寒いから重ね着と言うこともあるようだが、色の組み合わせを楽しむというのが雅なのだそうな。その組み合わせにその女性のセンスが出ると言うことで、女性達には格好の自己アピールの手段とのこと。

平安のお葬式事情

 最後は葬式だが、誰かが亡くなった時はまずは生き返ることを願ってしばしそのまま置いておくのだとか。どうやら儀式的なものらしいが、当時は医学的に死亡診断がいい加減だろうから、実際に生き返るケースもあったのではないかと思う。そしていよいよこれは本当に死んだということになると火葬されるのだそうな。ただし都の中での火葬は禁止されていたので、都の外の山などで1日がかかりで火葬して骨を拾うことになるらしい。そして葬式の後は父母なら1年、祖父母なら5ヶ月といった決まった期間喪に服することになる。その間は酒や音楽などを禁止することになるとのこと。

 

 以上、平安貴族の日常。やはり貴族の生活は呪術的な縛りが結構多いですが、天皇の場合なんかはその縛りのひどさは一般貴族の比ではなかったらしいから、それはそれで結構大変なようである(今でも天皇の生活はいろいろと制約が多くて大変だが)。もっとも勤務時間が4時間というのは、既に働き方改革がなされていたようで、それはうらやましい。まあこの時代の貴族の生活は現代人から見ても結構良い部分もあるが、間違ってもこの時代の庶民の生活だけはしたくないです。

 


忙しい方のための今回の要点

・平安時代の貴族の仕事は官位に応じて大体決まっていた。また勤務時間は基本的には午前の4時間程度、後の時間は蹴鞠をしたり、和歌や音楽をしたりだが、実はこれらも貴族の嗜みとしては重要であった。
・平安貴族の結婚は基本は通い婚であり、また一夫多妻であった。正妻については同居することもあったが、その場合でも夫が妻の家に入るという形だった。
・当時の十二単は寒さ対策の必要性もあったが、色の組み合わせで女性がそのセンスをアピールする意味もあった。
・平安時代の貴族の葬式は基本的に火葬であった。葬式後は遺族は決まった期間喪に服することになる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・当時はどうしても衛生状態的には現代よりは悪く、しかも貴族の生活でこれですから、庶民は推して知るべしというものですから、これが都で疫病がやたらに流行する原因となっています。
・平安貴族と言えば、仕事は女を口説くことだけというイメージがありますが、これを見ているとそのイメージも当たらずとも遠からずのようですね。実際に政務とかってどういうことをしてたんだろう?
・まあ仕事をしていないという点では今の政治家も似たり寄ったりです。しかも今の政治家は教養もない輩が多い(笑)。