教養ドキュメントファンクラブ

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7/10 BSプレミアム 英雄たちの選択「藤堂高虎・裏切り者と呼ばれても」

 今回は築城の名手と言われながら、7回も主君を変えたことで「裏切り者」とか「風見鶏」と批判されることもある藤堂高虎が主人公。

4人の主君を渡り歩いた青年期

 藤堂高虎は近江の生まれだが、父親は渡り奉公人という戦功を上げつつ主君を求める武士だった。高虎は子供の頃から体が大きく、かなり乱暴な子供であったという。彼はその巨漢を活かして(身長190センチとの話がある)武士として合戦で名を上げることを考える。そして合戦で功績を挙げて浅井長政に取り立てられる。しかしその乱暴な性格が祟って、同僚を殺害してしまう事件を起こして出奔、その後も移った先で同じようなトラブルを起こしたり、仕えた主君が褒賞を十分に出さないことに見切りをつけて出奔したりで4人の主君の元を転々とする腰の据わらない状態を送る

優れた上司に出会ったことで、新たな才能を開花させる

 しかしそんな高虎に声をかけたのが羽柴秀吉の弟である秀長だった。禄高300石というそれまでの待遇よりも破格な条件に高虎は21歳で秀長に仕えることになる。秀長はその温厚で誠実な人柄から諸大名の調整役を行っていた。このような秀長の下で高虎は今までの武力だけでない生き方をすることになる。さらに高虎が秀長の下で開花させた才能が築城の才であった。但馬を攻略した秀長は高虎に有子山城の築城を命じ、高虎は堅固な石垣で固めた立派な城を作り上げた。この功で高虎は禄高300石から4600石に出世する。

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山上の大要塞・有子山城  撮影:鷺

 高虎が30才の時には秀長が治める紀州の和歌山城を普請奉行として手がけ、1万人を動員して1年でこの城を完成させる。

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和歌山城の石垣  撮影:鷺

高虎が目にした太閤検地の実情

 この頃から秀吉の全国統治の重要政策として刀狩りと太閤検地が実施される。高虎は自分の所領でそれを積極的に進める。秀吉の太閤検地は半ば強引に全国で実施されたが、それは地方の事情を考慮していないものだったために、各地で反乱などが起こったが、それを秀吉は力で抑えている。

 高虎の運命がここでまた変わる。秀長が病死して秀吉に直接仕えることになった高虎は、秀吉から宇和島7万石を与えられて大名となる。しかし宇和島にいった高虎は現地の窮乏ぶりに驚く。前の領主が強引に検地及び厳しい税の取り立てを行い、また反乱を起こした農民を大量に殺戮するなどで、領民は疲弊するだけでなく権力に対して強い不信感を抱いていた。高虎は領民との関係を再構築するため、秀吉からの指示を後回しにして、年貢の取り立てを送らせると共に荒廃していた神社を建て直すなどした。今まで中央にいる立場だった高虎は、地方の現状を見ることで視点が変わることになる。

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宇和島城の石垣  撮影:鷺

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宇和島城天守  撮影:鷺

どちらに付くかそれが問題だ

 そして秀吉が亡くなり、家康と三成らの対立が激化する。そんな中で高虎がつかんだのが家康暗殺計画の情報だった。ここで高虎は家康に付くか三成に付くかの選択を迫られることになる。ここで高虎は家康を選ぶ。家康の方が地方の状況を斟酌した政策を行うだろうと考えられたことと、家康に付いた方が後の出世につながるという計算もあったのだろうとのこと。

 結局この高虎の読みは当たって、高虎は家康の側近として重用される。まずは加増されて伊予に移り、ここで高虎は泰平の時代に合わせて軍事要塞としての城でなく、政庁としての今治城を築く。この後、高虎は全国各地の城を手がけるが、最後には津に移ってここに津城を築いてここで生涯を終える。

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今治城と藤堂高虎像  撮影:鷺

 以上、築城の名手であり裏切り者の汚名もある藤堂高虎について。ただ裏切り者云々というのは忠義がクローズアップされた江戸時代以降の思想であり、高虎の生きた時代には有利なように主君を乗り換えるなんてのは日常茶飯だったので、高虎だけがやたらに裏切りをしたというわけではないのが実情。番組では高虎は自身の技術でのし上がった技術官僚みたいなものというような解釈をしていたが、それはその通りだろう。で、官僚というのは人に仕えるのでなく体制に仕えるので、政権が代わると付く相手も代わります。そういう点で高虎って、結構現代人だったとも言えるのかも。

 


忙しい方のための今回の要点

・藤堂高虎はトラブルで4回も主君を変えるが、その高虎を見込んで取り立てたのが秀吉の弟の羽柴秀長だった。
・高虎は秀長の元で築城の才能を開花させる。
・高虎は最初は秀吉の太閤検地などの政策を積極的に推進していたが、宇和島の大名になって現地の疲弊ぶりを目の当たりにしたことで考えを変える。
・高虎は三成らが家康を暗殺しようとしているという情報を入手し、先のことを考えた上で家康に付くことにする。
・家康に側近として重用された高虎は、今治の城を始め、全国の多くの城の築城に関与することになる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・高虎の生涯を見ていると、ヤンキーが官僚になったという印象。やっぱり秀長という自分の能力をしっかりと評価してくれる上司に巡り会ったというのが彼の幸運だったんでしょう。社会人も生かすも殺すも上司次第だったりしますが、ろくでもない上司ばかりに当たったせいで完全にキャリアを抹殺されてしまう不幸な者は今でも多いです。
・秀長という人物は調整役、補佐役として非常に優れた人物でした。だから実際に秀長が健在だった間は豊臣政権は盤石だったんですが、それ以降は急激に傾いていきます。秀吉自身が耄碌してきたというのが大きいですが、秀吉の周囲は秀長以外は三成とか黒田官兵衛とか人格的に角がある連中ばかりだったというのが問題だったんですよね。まあ三成がもっと人の感情が理解できる人だったら、豊臣家が滅亡することはなかったかもしれません。