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7/22 BS11 歴史科学捜査班「源義経 最強伝説 検証!壇ノ浦の戦い」

 今回は海の戦には自信のあった平氏を源義経が率いる源氏軍が打ち破り、滅亡に追い込んだ壇ノ浦の戦いについて科学の目から検証・・・ってこのネタ、以前にやらなかったかと思ったら、この番組でなくてNHKが2016.3.18に「風雲!大歴史実験」という番組でまさしくこれを検証しています。というわけで、こちらも踏まえて見てみましょう。

義経の八艘飛びを検証

 番組ではまず最初に、義経の八艘飛びを検証しています。これは平教経に追い詰められた義経が、6メートル先の船に次々と8艘を飛んで逃げたと言われている伝説ですが、これを大学の陸上選手が実験しています。まず彼が普通に幅跳びをした時の飛距離は7メートル。しかし船の上ではこんなに長距離を助走できるわけでないので、助走距離を5メートルに縮めてジャンプしたところ、4メートル26センチに縮まる。しかしさらに義経は鎧を着ていたということで、重量20キロの甲冑を着込んだところ、もうとてもジャンプなんて出来る状況でなくなってしまって(無理したらけがをする恐れがあると思いますが)1メートル47センチしか飛べないという結果に。以上から、義経が驚異的な(というよりも超人的な)身体能力を持っていたか、この話が伝説に過ぎないかのどちらかという結論に。というわけで番組の結論は当然伝説と言うこと。

 ただ義経がかなりの身体能力を有していたということは考えられますし(実際に平衡感覚はかなりスゴかったというのは「偉人たちの健康診断」でも触れてます)、この時は海戦ですので義経は20キロもする大鎧は着けていなかったということも考えられると思います。だから6メートルというのはこの手の話にありがちな盛りすぎとしても、3メートル程度の間をヒョイヒョイと身軽に飛び移ったというのはあり得ると私は思いますが。

義経の戦略

 番組では次に義経の人物像に触れますが、要は勝ちさえすれば良いという我が儘でドライな人物であり、そのためにはルール破りもあえて辞さないというところがある。だから奇襲戦法が得意で、壇ノ浦の戦いでも非戦闘要員である船の漕ぎ手を狙うという当時の合戦のルール破りを行っている。

 次に海戦で使用される弓について検証。流鏑馬の名手に依頼して船がどの距離まで接近すれば矢が当たるかを検証している。彼は陸地では30メートルで5本の矢すべてを命中させたが、船上では30メートルでは全く命中せず、20メートルで5本中2本が命中、15メートルで5本すべてが命中というものであった。つまり船上では相手の表情が見えるような近距離で矢を打ち合っていたということになるという。

 

勝敗を分けたのは潮流か?

 最後に潮流の変化が勝敗を分けたという説について検証。これは最初は平家側から源氏側に流れていた潮流が、途中で反転したために源氏側が有利になったという説。番組ではまず愛媛大学客員教授の柳哲雄氏に当時の潮流について聞いているが、1ノット程度とのことで、当時の船の速度が2~3ノットであることを考えると、決定的な影響は与えないだろうとのこと。なお番組はこの後、水鉄砲合戦で上流側も下流側も有利不利の差はないとの結論を出している。

 この下りだが、実は先の「風雲!大歴史実験」でもこの実験を行っており、この時は玉入れ合戦をして、上流下流の有利不利はないという結論を出しています。この時にこの結果を解説しているのが九州大学名誉教授の柳哲雄氏で、「大切になるのは船と船の相対距離で、同じ潮流に乗っている以上、同じ列車に乗っているのと一緒で有利不利はない」という説明をしてます。はい、肩書きは変わってますが今回登場したのと全く同じ方で、全く同じ説明をしてます(笑)。

 で、最後に裏切りが出たと言うことをサラッと触れて、番組の結論は「潮流は決定的な要因にはならず、義経の類い希なる采配力で勝利した」というものだったのだが・・・。あっちの番組ではもろに漕ぎ手を狙らうというルール破りも辞さなかった義経のドライな考え方と明言していた。この方が歯切れが良いんじゃないか。


 柳先生にしたら、「また来たかこのネタ」という感じだったでしょうね(笑)。結局は義経の戦い方がポイントだったという結論だったら、それを最後に持っていった方が番組の流れがスムーズだったと思うのですが、変に途中に持ってきたものだから、そこのところではあまり深く触れない形になって、何となく据わりの悪い番組になってしまった感があります。この説明だと「義経の類い希なる采配力」って言われても「具体的に何のこと?」という疑問の残る視聴者が多いのでは。最後にハッキリと「義経はえげつない勝ち方でも勝てば良いという考えの人物だったので、掟破りで勝利した」と言い切れば良いと思いますよ、それは事実なんだから。

 そう言えば「ドリフターズ」に登場する義経は戦狂のえげつない人物として描写されていて、那須与一をして武士として嫌な相手という感じ方をさせてます。これが実際に近いんじゃないですかね。現に当時は義経に従軍していた武士達も不満が一杯で、結果として逃亡した義経に付いていった者はほとんどいなかったわけですから、義経はいわゆる人望はなかったというのが事実だと感じます。となれば泰衡が義経を裏切ったのも「こいつにすべてを任せるのは怖い」と感じたとすれば説明も付く。

 


忙しい方のための今回の要点

・義経の八艘飛びについては、大鎧を着て6メートルの距離をジャンプするのは人間業ではなく、現実には不可能だったと推測される。
・義経は「勝てば良い」というドライな考えで、壇ノ浦の戦いでも非戦闘員の漕ぎ手を狙っている。
・潮流の反転で源氏が有利になったという説があるが、実際には潮流は戦いには影響しないと考えられる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・義経が美化されたのは「義経記」の影響が大きいということが説明されてましたが、まあハッキリ言って日本人特有の判官贔屓ってやつでしょうね。これが逆に義経が兄貴の頼朝を追放して権力を握っていたら、義経は極悪非道の弟で、頼朝は悲劇のジャニーズ系美青年になってたでしょう(笑)。
・戦の天才と言うことは、要はそれだけ躊躇わずに敵を大量に殺せるということでもあるので、ある意味ではぶっ壊れた人間だった可能性はあるとは思いますね。もっともこの時代に人道主義なんて唱えていたら、自分の命がまずなくなりますが。仏教寺院でさえ武装していた時代なんで。