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7/31 NHK 歴史秘話ヒストリア「運命の御前会議 昭和天皇 戦争回避への苦闘」

大戦前夜での御前会議での天皇の異例の行動

 第二次大戦開戦3ヶ月前の9月6日。今後の国策を決定する御前会議が開催された。ここで昭和天皇は異例の行動をとったという。

 この時の日本は中国と戦争状態にあり、アメリカは日本を中国から追い出すべく石油の禁輸を行っていた。日本の国内備蓄は2年分しかなく、このままだといずれジリ貧になることは見えていた。そのために早期に米英に対して開戦すべきとの意見で国内は沸騰していた。

 御前会議に提出された議案ではアメリカとの戦争準備と外交交渉の継続が両論併記される形になっていた。今までの御前会議の常として、天皇は全く発言せずに会議で決められたことを裁可するのみであったという。しかしこの時の昭和天皇は慣例を破って唐突に発言をする。天皇は陸海軍の統帥部長に対してなぜ発言しないのかと尋ね、「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」という和歌を詠んだという。実はこの和歌は明治天皇が日露戦争の時に戦争回避の思いを込めて詠んだ歌だという。つまりは昭和天皇はしゃにむに戦争に進もうとする軍部に釘を刺して、暗に戦争回避を求めたのである。

 

昭和天皇の持つトラウマ

 しかし天皇のメッセージが間接的であったこともあって、これは明確な戦争回避の意志としては軍部内で受け止められず、軍部は相変わらず戦争に向かって突き進んでいたという。天皇は国の元首であるはずなのだが、同時に立憲君主制における君主であり、常に立憲君主制での君主としてのあり方を考えていた昭和天皇としてはそれ以上の直接的介入は躊躇われたのであろう。

 天皇がこのような態度を取ったのはこの8年前の熱河作戦でのトラウマがあるという。この時関東軍が熱河への進出を目論見、それは天皇にも裁可された。しかしこの行動によって国際連盟から経済制裁を受ける可能性が浮上することになる。時の総理である斉藤実から裁可の取り消しを要請された天皇はその旨を軍部に伝えるのだが、軍部はこれを頑として拒絶したのだという。

 当時の国家の組織は天皇から政府と軍部が直接につながっているような形になっていた。そのために政府と軍部は対等であり、軍部が暴走した時にそれを抑えることが出来なくなっていた。また意見の対立があった場合には両論併記という形になり、結局は会議をやっても何も決まらないという事が多くなっていたのだという。先の御前会議でも戦争準備と外交努力の両論併記になっていたのは、まさにそういう状況の現れだったのだという。

 

最後の希望の頓挫と開戦への道

 この頃、首相である近衛文麿はルーズベルトとの直接会談を試みており、それによる事態の打開に昭和天皇も期待していたという。しかしそれはアメリカから拒絶される(そもそもルーズベルトは日本を戦争に引っ張り出したくて仕方なかったのだから、受けるはずがないとも言える。いつの時代もアメリカは本質的には戦争大好きなのである。)。

 万策尽きた近衛文麿は辞職、陸軍大臣であった東条英機が総理に就任する。昭和天皇はこれを裁可するが、これは東条も責任を負う立場となればもっと慎重になるだろうという考えと、東条なら軍部が暴走しようとしても抑えられるという期待もあったという。

 しかし残念ながら昭和天皇の期待は討ち砕かれる(東条英機が昭和天皇の期待よりも遥かに無能だったということでもある)。彼は結局は軍部内の「開戦時期を逃すべきではない」という考えに沿って、12月までは外交交渉を行うが、その時になると開戦するという決定を行う。この時の軍部はもう既に日本を守ることよりも組織を守ることが優先になっており、組織防衛のために戦争を望むようになっていたのだという(これは日本軍部に限らず、どこの軍隊でも起こることである)。

 ことここにいたって昭和天皇は諦めたのか、万策尽きたのかは定かではないが、結果としては天皇の名の下に英米に開戦することになってしまう。そして日本は敗戦し、天皇は元首から象徴へと立場が変わって今日に至っているわけである。


 昭和天皇があの戦争に対してどう考えていたのかというのは今でも意見が分かれているところでありますが、最近の資料などによるとどうもギリギリまで戦争回避のことを考えていたようであるということになってます。まあアメリカと日米の国力を冷静に比較したらとても勝ち目のないのは明らかでしたから。ただそのことが軍事の専門家であるはずの軍部には見えてなかった(と言うか、見えていても組織防衛を優先させてあえて目をつぶって楽観論に逃げたという節がある)。で、まんまと戦争を起こしてしまった日本は、やる気満々で万全の準備で待ち構えていたルーズベルトにボコボコにされて、属国扱いの憂き目に遭うというわけです。その後独立するものの、未だにアメポチ政権しか許されないということになっている。

 


忙しい方のための今回の要点

・第二次大戦を目前にした御前会議で、昭和天皇はそれまでの慣例を破って異例の発言を行う。そこには戦争を回避したいという思いが籠もっていた。
・しかし立憲君主の立場に縛られている天皇は、あからさまな戦争回避の発言は出来ず、それが結果として軍部の暴走を許すことになってしまう。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・未だに天皇をまつり立てようとしている連中がいますが、実際の目的は当時の軍部と同じで天皇を口実にして好き勝手したいというのものです。今の上皇はそのことがよく分かっているので、この手の動きに対しては露骨に嫌悪感を示していました。ことあるごとに「日本国憲法を守って」とか「象徴として」と繰り返していたのはそのため。