教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

8/21 BSプレミアム 英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」

明治の画一的教育に対する反発

 大正時代、日露戦争に勝利して日本も一等国の仲間入りをした時代。巷では民主主義運動、大正デモクラシーが盛り上がっていた。そういう風潮を受けて教育界にも変化があられるそれが大正新教育である。

 それまでの明治の教育は効率重視の画一的なものだった。江戸時代の寺子屋教育は個人に合わせた教育であったが、明治教育は生徒を教室に集めて、教師がカリキュラムに沿った授業を行うという一斉教授、さらには授業内容もたとえば作文は例文をひたすら写す、絵画の授業も見本をひたすら写すという画一的な詰め込み教育であった。

芸術家達の主導した新教育

 新しい教育を提唱したのは作家や音楽家などの芸術達だった。特に鈴木三重吉が創刊した日本発の童話雑誌「赤い鳥」の理念は大きな影響を与えた。鈴木はここで「すべての子どもが純性を持っており、それを育てるのが芸術家の使命」と述べている。この新教育に対し、この頃増え始めていた新中間層と言われる富裕層が呼応した。教育意識の高い彼らはこれに飛びついたのである。赤い鳥では自由作文と言われる、それまでのような手本を写すものではない子どもによる自由な発想の作文を募集してそれを掲載するようになる。

 各地でこの理念に沿った私立学校が建設されることになるが、その中の一つに与謝野晶子が建築家の西村伊作と共に創設した文化学院がある。この学校は個性の尊重を理念とし、制服を廃止したり、体育の授業の代わりにダンスを導入するなど独自のカリキュラムの教育を行っていた。また教師陣も川端康成、平塚らいてう、寺田寅彦など教師としては素人である各界の一流の人物を起用していた。晶子は生徒達に本物の芸術に触れる機会を与えようとしていたのだろうとのこと。なお晶子の古典の授業は、作品を朗読する内にその世界に入りきってしまって一人で読みふけってしまう有様だったらしいが、その授業に対して生徒は「晶子先生の芸術的興奮の圏内にあっては自分という道具が、それに共鳴して自ら美しく鳴り出すような感じだった」との回想文を残しているようだが、さすがに表現が詩的である。今の生徒なら「わけ分かんねぇ、眠い、ダリぃ」ぐらいしか残さんだろう(笑)。

 ただこの時代の教育に関しては芸術家が主導しているものだけに、あまりに芸術寄りであるとの指摘は番組のゲストからも出ている。これは私も同感。教養としては非常に立派な内容であるが、実学を考えた場合にはどうなんだろうかという疑問はある。

 

公立学校での取り組み

 一方、公立学校で教育改革に取り組んでいた教師もいる。明石女子師範学校附属小学校の伝説の教師、及川平治は動的教育という、まさに今日のアクティブラーニングを実施していたという。その内容は、たとえば熱について学ぶ授業ではサツマイモを持参してそれを茹でることにする。生徒達に火を焚かせて部屋の温度が上がったところで窓を開けて、外から風が吹き込むことを感じさせて気流について説明、芋がゆであがってきたところでかまどに蓋をさせて火が消えるのを確認させて火が燃えるのに空気がひつようなことを説明、さらにゆであがった芋に加わった熱がどこから来かを考えさせることで熱の伝導について学習といった次第だったらしい。

 この及川の教育方法は他の教師達にも大きな影響を与え、及川ら新教育に取り組む教師達が開催した講演会には全国から2000人を越える教師が詰めかけたという。

社会情勢の変化と新教育の終焉

 しかし新教育の理念は必ずしも社会と合致しなかった。この時代は学歴社会が確立しており、親から受験指導を求める要望は多かった。そのために私立学校の中には受験のための詰め込み教育に特化していく学校や、高等教育までの一貫校が登場してお受験熱が高まっていくことになる。また関東大震災から始まる不況などで貧困層が増大、授業料がたかい私立学校は社会から遊離していくことになる。

 さらにトドメを刺したのが昭和になっての軍国主義の台頭。国は教育にまで介入するようになり、自由作文なども弾圧を食らい、文化学院もその教育方針を理由にして国によって閉鎖されることになる。こうして国全体が軍国主義に染め上げられて、あの破滅的な戦争に突き進んでいくことになってしまう。

 

 生徒の個性を尊重する教育と言うが、これを実践するには教師にとってはとてつもない負担がかかるし、またそれを受け入れるには社会全体が変わる必要があるということをゲスト達は議論していたが、それは全く同感。結局は卒業生を受け入れる社会の側が受験秀才を求める体制である限りは、効率重視の詰め込み教育にならざるを得ないというのが現実である。もろに戦後の詰め込み教育の時代を通過した共通一次世代である私にも、自由教育というものの実態についてはイメージできないところがある。一時期登場したゆとり教育なるものは、理念としてはこの自由教育を目指したものだったのだが、社会的な体制が全く変わっていないところに教育だけを変えようとしたせいで大失敗している。私は以前より、ゆとり教育は理念自体は立派だし間違ってはいなかったと考えているが、現実に実行する段の手段に無理があったと思っている。結局は自由教育の理念を掲げても、今の日本社会ではなかなか成功しないだろう。

 


忙しい方のための今回の要点

・大正デモクラシーが盛り上がる社会風潮の中、教育の世界でもそれまでの画一的な詰め込み教育を廃して、子どもの個性を尊重する新教育の運動が芸術家を中心に盛り上がる。
・この時に多くの私立学校が登場し、中には与謝野晶子が設立した文化学院もあった。
・個性の尊重を掲げた文化学院では、制服をなくして授業も各界の一流の人物を教師に招くなど独自性の高い教育を行った。
・一方、公立学校でも及川平治による動的教育などの新しい教育が盛り上がっていた。
・しかし学歴社会の中で高学歴を求める父兄の要望によって多くの学校が受験に特化した学校への変遷をしていくことになる。
・さらに昭和の軍国主義の教育への介入により、大正新教育は完全にとどめを刺され、文化学院も政府によって閉鎖されることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・教育の問題は難しいんです。結局はどういう方法が最適かというのは、実は子どもごとに違いますから。そういう意味ではやはり学校という場に大勢を集めて教育するという方法の限界でもあります。それを補う意味では家庭での教育というのも重要なのですが、日本の保護者でその余裕と能力がある者もあまりいないのが実情。
・個性を尊重した教育と言われても、そもそもそれを実施する側がそういったものを体験したことがないのですから、イメージ自体が出来ません。それがなかなか上手くいかない最大の理由でもある。結局は画一的な教育というのが、一番効率は良いんですよね。単なる企業戦士を育成するのなら。その代わり、指揮官クラスは登場しなくなりますが。
・ところでよく考えると、今回は番組のタイトルになっている「英雄たちの選択」が何も登場してませんね。とうとう番組の主旨も変わってきたか(笑)。