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9/9 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「なるほど!江戸時代~庶民の暮らし~」

落語から見た江戸時代の庶民の暮らし

 今回は江戸時代の庶民の暮らしを紹介。しかし実は庶民のことについて書いた文献などは少ない(わざわざそんなものを普通は記録に残さないわな)。そこで当時の市民の姿を生き生きと描写している落語に取材をしている。落語家三遊亭遊雀氏が登場。

超過密都市江戸は家康のせいだった

 まずは壁に八尺の釘を打ってしまった「粗忽者の釘」から当時の長屋生活を紹介。当時の江戸の庶民は長屋住まいだったが、長屋には表長屋と裏長屋があって、表長屋とは二階建てで一階が店になっており、生活は二階、家賃はやや高めであった。と言うわけで普通の庶民は大抵は裏長屋で暮らしており、そこは6畳程度のスペースに土間と4畳半程度の畳があるというかなり狭いもの。家賃は今の金で8000~10000円ぐらいとのことだが、隣との仕切りは藁に薄い土壁を塗っただけのものだから、八尺の釘なんか打てば当然のように隣に貫通する。

 なぜ庶民はそんな狭い場所で暮らしていたかは、家康の町割のせいだという。当時の江戸は身分によって住む場所が決まっていたが、その面積は武士の住まいが7割、寺社が1.5割、庶民は1.5割だったという。それに対して人口の方は100万人の人口に武士と庶民の数はほぼ半々だったと言うから、庶民のためのスペースが圧倒的に狭かったのだという。

 

レンタル中心で超エコライフだった江戸庶民

 当時の庶民は家が狭かったことや火事が多かったことなどもあって、家財道具は最低限のシンプルな生活をしていた。そして生活に必要なものは大抵レンタルで済ませていたという。そのレンタルを扱っていた店は損料屋といい、人気のレンタル品の一つはふんどしだったという。当時は六尺ふんどしは一枚6250円と結構高価であったため、下級武士や独身男性などには1500円で借りれるふんどしは大人気だったとか。しかも返却時に洗濯の必要はなかったとのこと。最近ちょくちょく言われていることだが、当時の江戸庶民の生活は超エコ社会だったのである(かまどの灰まで買いに来ていたというのを聞いたことがある)。

 またレンタル業だけでなくいろいろなリサイクル業もあった。磨り減った下駄の歯を入れ替える修理屋や、掃除の時に出た髪の毛などを買い取って、カツラや添え毛の材料として売るおちゃないなる職業まであった。そんな中でもメジャーだったのが下肥取りで、これは長屋の共同便所から糞尿を集めて肥料として売る商売。当時の糞尿は結構高価に取引されていたとのことで、これは大家の収入となった。30人の長屋で年間収入が10~20万になったというから侮れない収入である。

江戸時代の結婚は見合い中心

 で、隣家に釘を貫通させてしまった粗忽者は、嫁に言われて隣に謝りに行くが、そこで目的も忘れて自分と嫁のなれそめなど無駄話。と言うわけで次は当時の結婚事情であるが、当時は仲人を通しての見合い婚が圧倒的に多かった。ただし当時の見合いは二人がデートするなんてものではなく、仲人が花婿候補を水茶屋などに連れて行き、そこで花嫁候補をチラッと見て品定めするというぐらいだったとか。これでうまく結婚となれば、長屋の面々がお祝いを持ち寄って質素だが温かい結婚式が行われることとなる。

 

長屋の住民の日常

 長屋には木戸があって午前6時に開いて午後10時に閉まるようになっていた。表には住民の名前と職業を記した表札のような札が並んでいたという。そして住民は浪人など様々だが、元芸者や未亡人などの独身女性も結構いたという。彼女たちは裁縫や髪結い、三味線などの芸事を教えたりで生計を立てていたという。また職人などもいたが、当時の花形の職業は大工に左官に鳶とのこと。特に大工は人気で日当は5000円ぐらいなので、月収にして12万5000円ぐらいとのこと。

 さて長屋を管理しているのは大家だが、大家は地主から長屋の管理を委託されており、家賃を集めるだけでなく、入居者を吟味することやさらには入居者が旅に出る場合には手形を作成する、結婚を承認するなどの事務仕事、さらには自身番に詰めて治安を守るといった仕事まであり、今のマンション管理人なんかよりは遥かに仕事の幅は広かった。よく「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」などというが、まさにそのようなものであり、店子のトラブルを解決したり、仕事を探したりなんて世話もしていたという。

 どこの長屋にもあるライフラインが井戸。ここには自然に住民が集まるので、ここで井戸端会議が行われることになる。江戸は湿地の埋め立てなので、普通に井戸を掘ると満潮時に塩水が混ざってしまうため、江戸の井戸は神田上水によって引いた水を井戸に流していた。そしてこのインフラ整備費用は地主などが払うことになっていたため、要は家賃に上乗せされていたのだという。

江戸での不倫は命がけ、江戸の離婚事情

 不倫は文化なんて言ったタレントがいたが、やはり江戸時代でも不倫はある。しかしそれは命がけだったという。まず夫が独身女性と不倫した場合には特におとがめはない。しかし妻が不倫をした場合には不義密通の罪となり、妻と相手の男は死罪だったという。夫が妻と不倫相手を手討ちにしても罪にはならない。まあ非常に男女差別的である。もっともいちいち死罪にせずに示談で済ませる場合も多々あったようで、その場合の賠償金は70万円程度が相場だったらしい。

 また夫婦が既婚する場合は、基本的に協議離婚となる。夫が離縁状を作成してそれを妻に渡せば離婚となる。この離縁状の本文が三行半だったために、離縁状のことは三行半などと呼ばれている(今日でも使う言葉である)。ただ妻が離婚したいのに夫が離縁状を書いてくれない場合は大変で、その場合には鎌倉の東慶寺と群馬の満徳寺が幕府公認の縁切り寺だったので、そこに駆け込むと妻は保護されて夫は中に入れないので離縁状を書くしか仕方なくなるそうな。なお門の中に草履を投げ込んだら、その時点で駆け込み成立とのこと。

 

江戸の庶民の娯楽

 さて庶民の楽しみとなると、まずは飲み屋についてはこの頃から居酒屋が登場している。これは元々酒屋が店頭で試飲させていたものだが、それがもっと本格的に飲む場所となり、酒の肴なども出るようになったのだという。そう言えば昭和の頃にはまだ店頭で酒を飲ませている酒屋が結構あって、そういうところに入り浸っているオッサンをよく見かけたものである(将来あんなのになったらいけないと親に躾けられた記憶がある(笑))。

 また人気の娯楽としては歌舞伎があった。中村座、市村座、森田座といった幕府公認の歌舞伎小屋があり、朝6時から午後5時までが上演時間だったとのこと。ここで尾上菊五郎や市川團十郎、松本幸四郎といった現在も名前が受け継がれている大スター達が大活躍していた。歌舞伎小屋では武士は高価な桟敷席を予約して入り、庶民は平間の鶉枡と呼ばれる安い席で一日中楽しんだのだとか。

 で、落語はと言うと、最初は料理屋の二階などを借りて上演されていたものが、江戸時代の中期になると常設の寄席が設置されるようになり、その数は125軒、落語家の数も200人以上にもなったという。また当時の落語家は職人上がりの者が多かったとか。

 また浅草寺の奥の奥山では見世物が人気だったという。軽業師や生き人形などといったものもあったが、特に人気だったのは珍しい動物。ラクダなどは大人気で、ラクダを見れば夫婦が円満になるとか、雷除けになるなんて御利益まで言われていたそうな。さらに浅草で人気があったのが矢場。これは遊戯用の矢で的を射る遊びで、武士の武芸が庶民の娯楽になったという。なお矢場は的屋ともいったことから、これが今日の「テキ屋」の語源になっているとも言われているとか。ここで人気があったのが矢場女という存在。元々は矢を拾い集める女性だったのだが、段々とお色気サービスをするようになっていったという。元々はゲームセンターだったのが風俗になってしまったというところか。昔も今もあんまり変わらないな。さらに矢場嬢転じてキャバ嬢となると(笑)。

そして人生の最後

 そして人生の最後の葬式であるが、当時は死んだら僧侶になるという発想から、死者の頭髪を剃ることが多かったそうな。で、妻と死に別れる夫が妻に「再婚はしないから、もし再婚したら化けて出てくれ」と約束する。そして妻が亡くなるが、彼は結局は回りの世話で再婚をする。しかしいつまで経っても一向に妻が出てこない。そして3年後突然に「うらめしや」。今まで何をしていたんだという男に対して妻は「だって髪の毛が伸びるのを待ってたんだもの・・・」でお後がよろしいようで。


 以上、庶民の江戸ライフについて。当時の庶民は江戸だけでなくて地方にも多くいたんですが、そういった地方の庶民の生活はいつかやるんでしょうか? と言ってもこれは全くネタがないよな・・・。それよりは下級武士の日常なんかの方が面白そうかも。

 それにしても東京が過密だったのはこの頃からだったようでして、まさに日本人は兎小屋に住むエコノミックアニマルだったようです。結局は現代人のマンション住まいも実質的にはそんなに変わらないような気がする。狭いマンションに住んで、Amazonで買い物をして、出会いがないのでネットや結婚紹介所で結婚相手を探す。違うのは現代社会はやたらにゴミが多いことぐらいか。

 


忙しい方のための今回の要点

・江戸時代は庶民の居住空間が狭かったため、庶民は6畳程度の狭い裏長屋で生活していた。
・当時は落ちている髪の毛から糞尿まで買いに来る超リサイクル社会である。
・長屋の大家は書類作成などの役所のような仕事までしていた。
・当時の結婚は大抵は見合い結婚であったが、花婿と花嫁が直接話をするなどと言うことはなかった。また妻が不倫をすると不義密通の罪になるので、妻とその相手は死罪となっていた。
・当時の離婚は夫が離縁状を作成すると成立する。夫が離縁状の作成に同意してくれない場合には、妻は縁切り寺に駆け込む方法があった。
・当時の人気の娯楽は歌舞伎であり、また寄席なども登場していた。さらに遊戯用の矢で的を射る矢場も人気だったが、そこで働く矢場女は段々とお色気サービスを行うようになる。
・当時は死ぬと僧侶になるという考えだったので、死者の頭髪を剃る場合が多かった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・番組中で江戸時代の居酒屋などにはテーブルはなく、あれは明治以降に欧米から入ってきた習慣という類いの説明がありましたが、時代劇なんかを見ていると普通にそば屋のテーブルなんかが出てきます。あれは時代考証がいい加減と言うことになりますね。
・そう言えば昔見たひどい時代劇のワンシーンに、最後に男が舟で旅立っていくんですが、それが櫂の付いた渡し船でなく両方にオールのあるボートを自ら漕いで旅立って行ったというのを見たことがあります。あれは小学生だった私でさえ「最後のシーンを撮るのを忘れてて、そこらの公園で撮影したんかい!」ってツッコミ入れたことがあります。
・もっとも現在は、そのレベルの時代劇さえまともに撮れるスタッフがいなくなってしまったようですが・・・。