教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

9/11 BSプレミアム 英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」

 サラリーマンも権力闘争の結果、左遷を食らってしまうなんてことは特にエリートにはありがちなんだが、左遷を食らいながらもそこから見事に復帰を果たしたという人物が奈良時代に存在するという。そういう吉備真備を紹介。

中国帰りの超エリート官僚

 真備は遣唐使として唐に渡って活躍したエリートで、西安には彼を顕彰する記念碑まで建っているというからかなり優秀である。彼と同期の遣唐使の中には、彼と共に帰国後活躍した玄昉、唐で取り立てられた阿倍仲麻呂ら蒼々たるメンバーがいる。続日本紀にも唐で大活躍したのは吉備真備と阿倍仲麻呂ぐらいと並んで称されている人物でもある。

 20年の唐暮らしの後に帰国した彼は、朝廷に仕えて唐から持ち帰ったものを多く献上したとのことだが、彼の献上品の中には飛距離の長い複合弓に殺傷能力の高い矢など、当時の唐の最先端技術に纏わる実学的なものが多かったという。

地方豪族出身の吉備真備

 吉備真備の出身地は、先の西日本豪雨で大被害を受けたことで有名になってしまった真備町。真備の先祖はここの大豪族で、真備町の周辺にはその勢威のほどを示す巨大な古墳が残っているという。当時の真備は出身地の下道から下道真備を名乗っていた。この地では火葬された真備の祖母の骨が見つかっており、その年代が日本に火葬が伝わってから10年しか経っていない時期だったことから、かなり大陸の文化が伝わってくるのが早い地域であったことが窺われるという。

 唐の最新の文化を習得している真備は、聖武天皇のブレーンとして取り立てられ、阿倍内親王(後の孝謙天皇)の教育係に任命されるなど、天皇からの信頼も厚かった。律令体制を進める当時の日本にとっては真備は必要不可欠の人材だったようである。

 

真備の前に立ちはだかる藤原氏

 しかしそうやって出世すると、それに反発する者も出てくる。特に藤原不比等の孫である藤原広嗣は真備を名指しして、あんな田舎者を取り立てては国がひっくりかねないと批判したという。やがて広嗣は朝廷に対して反旗を翻すが、2ヶ月で鎮圧される(結局は野心はあるものの能力がない奴が、単に能力のある者を妬んだだけだったように思える)。この時に田舎者と罵られたせいかは分からないが、下道真備から吉備真備と姓を改めたという。

 しかし真備の前に立ちはだかったのは藤原広嗣だけではなかった。またしても藤原氏の藤原仲麻呂が、聖武天皇が平城京を離れた隙に権力確保に動き出す。真備の同志である玄昉が太宰府に左遷された挙げ句に翌年殺害される。真備の身も危うくなっていた。その後、聖武天皇は退位し孝謙天皇が即位する。真備も後ろ盾を得てこれで安泰かと思っていたら、仲麻呂によって筑前守に任命され、さらに同じ年に肥前守と九州に飛ばされることになる。真備はそこで藤原広嗣の怨念を鎮める儀式を行って地元の人々の心をつかむが、今度は2年後に遣唐副使として唐に送られる。だがここでも真備は鑑真を日本に連れ帰るという功績を挙げる。これで都に戻れるかと思っていた真備だが、今度は太宰府に送られる。当時の太宰府は緊張関係にあった新羅との最前線であった。

 で、ここで真備の選択となるのだが、ここまで露骨に左遷され続けるのならもう職を辞して隠居してしまうか、それとも与えられた職務を全うするかである。

真備の選択は?

 まあこの選択はここまで真備の行動を見ていたら明白なのであるが、真備は太宰府で職務を全うすることを選ぶ。どうも吉備真備という人物には政治的野心はなく、超が付くような優秀な実務派官僚だったようである。ここで真備は新羅に対するための城郭を築く。それは今までの山頂を囲った朝鮮式山城でなく、麓の平野部も含んだ中国式山城だったという。さらにはにがりをまぜて土塁をコンクリートのように固めるといった最新技術も導入しているとのこと。

 

そして運命が動き出す

 地方で実績を上げ続ける真備に仲麻呂がとうとう折れ、真備の左遷はこれで終わる。するとこの頃、仲麻呂の後ろ盾となっていた光明皇太后が亡くなったことで状況が変わり始める。孝謙太上天皇から造東大寺長官に任命された真備は平城京に戻ることになる。この時、真備70才。そして仲麻呂がついに朝廷に反旗を翻す

 この時に真備は孝謙軍の作戦参謀となる。真備は仲麻呂軍の先回りをして勢多橋を焼き払い、対岸から射程の長い複合弓で仲麻呂軍に攻撃をかける。さらに逃走する仲麻呂軍の先回りをしてこれを叩き、結局仲麻呂は琵琶湖西岸で戦死する。

 こうして真備は右大臣にまで出世し、5代の天皇に仕えて81才でこの世を去る。


 不屈の人生と言うよりも、自分の仕事を淡々とこなしていたら、あまりに実力がある人物だから回りも放っておくわけにもいかなかったという印象です。どうも本人はやるべき仕事をこなしていただけで、政治的野心はほぼなかったように思えますが、こういうところが藤原仲麻呂のような野心にギラギラの人物からは鬱陶しくて恐ろしいことこの上なかったのでしょう。九州方面への左遷については、中央から遠ざけたと言うだけでなく、あわよくばそのままそこで命を落としてくれないかという希望もあったように思われます。しかしその度に結局は逆に実績を上げちゃってんるんだから、とんでもなく優秀な人物です。

 いつの時代でもこういう地味で優秀な実務派官僚というのは絶対に必要な人材であり、だからこそ敵対した仲麻呂でさえ彼を謀殺するわけにもいかず、むしろ利用することを考えたのでしょう。結果として最後の最後で見事に実務的にあっさりとやられてしまいましたが(笑)。真備にとっては仲麻呂との戦でさえ、日常の実務の延長線だったんでしょうね。ことさらにそれで自身の軍事的能力を誇るような気さえなかったと思います。もしかしたら「全く面倒なことを起こしてくれたもんだ・・・さて、お仕事お仕事」と言いながら戦場に向かってたかも(笑)。

 


忙しい方のための今回の要点

・遣唐使として唐に20年滞在の後に帰国した吉備真備は、唐から最新の技術を日本に持ち帰ったことから、聖武天皇のブレーンとして重用される。
・しかしそれを妬んだ藤原氏の反発を受け、権力掌握を狙う藤原仲麻呂から九州に左遷されることになる。
・しかし真備は左遷先でも着実に実績を上げ続けたことから、とうとう仲麻呂も折れて左遷を終えることになる。
・その後、仲麻呂の後ろ盾だった光明皇太后が亡くなったことで、真備は平城京に呼び戻される。そして仲麻呂はついに朝廷に反旗を翻すが、真備率いる軍勢にあっさりと敗北してしまい、仲麻呂も戦死する。
・その後真備は右大臣にまで出世し、81才でこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・超優秀なバリバリの実務派官僚と言うことで「鬼灯の冷徹」の鬼灯様のような方ですね、吉備真備って。こういう仕事の出来るNo2ってどんな組織でも絶対必要なんです。その上にトップと取って代わるという野心がないとなれば組織としては理想的です。こういう人物を補佐に付ければ組織は安定しますね。さらに言えばトップが少々無能でも、彼に対する信頼さえ揺らがなければなんとかなる(笑)。
・今回はサラリーマンの処世術という観点で行くのかと思いましたが、正直優秀すぎる人物のせいで処世術としては参考になりませんね(笑)。やっぱり参考にするにはもっと凡庸なひとでないと。
・で、次回はヒストリアの「幕末イケメンシリーズ」の反対の「幕末イケメンでないシリーズ」で河井継之助ですか。女性人気はともかくとして、彼も優秀な人物です。

 

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