教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

9/18 BSプレミアム 英雄たちの選択「シリーズ幕末の先覚者1 不可能への挑戦~河井継之助の北越戦争~」

報われなかった人・河井継之助

 今回の主人公は、長岡藩の家老でガトリング砲を駆使して新政府軍と戦った不屈の男・河井継之助である。幕末に活躍したスゴイ人物なのだが、その割には知名度・人気共に今ひとつなのは正直なところ彼がイケメンではないというのが大きいだろう。せめて沖田総司のように写真が残っていなければ、創作の世界で勝手にイケメンにされる余地もあったのだが、残念ながら彼は写真が残っている。

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非イケメンの河井継之助

 なお彼はイケメンでなかったと言うだけでなく、藩の領民のためを思って終始行動していたのに、結果として領民を巻き込んで大きな犠牲を出すということになってしまったために、汚名を被った面も大きい。優秀であり、行動力もあり、真面目な人だったのだが、どうも空回り気味で報われなかった面もある人物である。

 

陽明学を学び、藩政改革を目指した若き日

 1827年河井継之助は長岡藩の中級藩士の家に生まれる。若くして勉学に励んだ彼は、陽明学に心酔する。陽明学は学問を知行合一といって学問を実際の行動に活かすことを目指しており、その実践者として一番有名なのは大塩平八郎という若干ヤバめの学問でもある。河井継之助が17才の時、長岡藩の収益源であった新潟港が密貿易の罪で幕府に接収されてしまう。その結果、長岡藩は6年後には23万両以上の赤字を抱える財政危機状態に陥る

 そこにペリーの来航が起こる。この国難に幕府の老中も務めていた藩主の牧野忠雅は広く藩士から意見を募る。この時に河井も意見書を提出してこれが藩主の目にとまり、役職を与えられることになる。しかし河井は藩の重役会議に列席した時にそこでしでかす。財政危機に対して藩は今まで抜本的な手を何も打っていないと、藩の重役たちを面と向かって批判したのである。さらに藩の跡継ぎに学問を教える役に任じられると「自分は人に教えるために学問をしたのではなく、藩政改革をするために学問をしてきたのだ。そんなもの講釈師にでも頼めば良い」と断ってしまう。そして1858年、愛想を尽かしたのか遊学の旅に出てしまう。要は優秀で硬骨漢なのであるが、真っ直ぐすぎていささか融通が利かない扱いにくい人物のようである。

山田方谷に藩政改革の手法を学ぶ

 遊学先で河井は備中松山藩の財政再建に尽力した陽明学者の山田方谷と会見する。方谷はまず河井に「能力があっても藩で使われなければつまらない」と説いたという。河井のあまりに一本気で軋轢を起こすところが気になったのだろう。方谷は藩の特産物である備中鍬やきざみタバコを藩が直接買い上げ、商人を通さずに藩士が直接販売することで藩も領民も双方が利益を上げるようにしたのだという。つまりは藩の武士が直接経済に関与することで領国を豊かにするという方法である。方谷の考えに感銘を受けた河井は「民は国の元、吏は民の雇い」という言葉を残しているという。つまりは武士を地方公務員として考えたということであろう。方谷から財政再建の極意を伝授された河井は、長岡藩に戻っていよいよ手腕を振るうことになる。時代はまさに桜田門外の変によって不穏な空気が流れ出した頃である。

 

藩政改革を成功させるが幕末の動乱に巻き込まれる

 まず河井は今まで何度も水害を起こしてた信濃川の治水に取り組んだ。このことによって米の増産に成功する。さらに信濃川の通行税を廃して流通を活発にして商業を発展させる。また同業者組合が独占していた業種に対して、藩への届け出だけで商売が出来るようにした。こうして経済を発展させることで長岡藩の財政は改善、わずか2年で長岡藩は10万両を蓄えるまでになる。

 しかし世の中はさらに激動の世となる。慶喜が大政奉還を行い、王政復古の大号令で幕府は政治から排除され、幕府と新政府が一触即発の事態となる。ここで河井は内乱を避けるべく朝廷に幕府を政治に再度参加させるように訴えに行くが相手にされず、ついには鳥羽伏見の戦いが勃発してしまう。この時河井は、長岡藩所蔵の美術品などを売り払いアメリカから最先端のガトリング砲を2門購入している。

踏みにじられた想い

 そして新政府軍は3路に分かれて進軍してくる。日本海岸を進軍してきた軍勢が長岡藩の隣の小千谷まで到達する。新政府軍は軍への参加か軍資金3万両の供出を要求してくる。藩論は真っ二つに割れるが、ここで河井は軍事総督に任命されて長岡藩の全権を預かることになる。ここで河井が打ち出した方針は、幕府にも新政府にもつかない武装中立であった。

 河井は内乱は領民を苦しめて疲弊させるだけであり、それよりも各藩を豊かにして国全体を強くしていく方策をとるべきであり、そのために自分は東北諸藩を説得するという嘆願書を携えて新政府軍の幹部に面会に行く。河井の考えは今の地方自治の考えに近い。しかし河井の嘆願書は時間稼ぎと一蹴され、受け取りさえ拒否される。まあこの頃の新政府軍の司令官クラスなど、戦争大好きのテロリスト連中ばかりだから、これからの国家のあるべき姿なんて語っても、聴く気もなければ理解する頭もなかったろう。彼らの見たかったのは血だけである。

やむなく戦いに突入

 さてここで河井は選択を迫られることになる。1.新政府に恭順する 2.抗戦する 3.あくまで中立を貫く。ここで磯田氏は新政府軍に恭順して生き残り、明治になって新政府内部を乗っ取るぐらいのしたたかさが欲しかったと言っているが、これはまさに私も同感。面従腹背ではないが、表向きは従ってもその中で頭角を現して自身の理念を実現すればよいのである。新政府軍は所詮人材不足なんだから、河井には十分にその能力があったと私は見ている。

 しかし残念ながら河井はそのような柔軟性がなかった。彼はあくまで中立を目指して再度の交渉に臨むが、当然のようにそれは門前払いされついには開戦余儀なしとなってしまう。河井は自らガトリング砲を操作して新政府軍を迎え撃つ。しかし長岡藩1300に対して新政府軍4000。数に優る新政府軍はついには長岡城を落としてしまう

 

不屈の人・河井継之助の最期

 だがこのまま終わらないのが不屈の人・河井継之助である。彼はゲリラ戦を繰り広げて新政府軍を苦しめ、2ヶ月後には奇襲攻撃によって長岡城の奪還に成功する。しかしここの戦いで河井は足に銃弾を受け重傷を負ってしまう。河井重傷の報に長岡藩兵の士気が低下したところに、新政府軍は周辺からの援軍を加えた3万の軍勢で猛攻撃をかけてくる。4日後ついに長岡城は再び新政府軍の手に落ちる。またこの3ヶ月に及ぶ戦いで長岡城下は灰燼と帰した

 河井は担架で運ばれながら他の残兵と共に会津を目指して国境の八十里越の峠を越える。しかし会津藩領の塩沢村でついに息絶える。彼は敗走中の峠で「八十里、こしぬけ武士の越す峠」という句を詠んでいたという。どことなく自嘲のようなものが見える歌である。理想に向かって直進しながらも、思うようにならなかった自分の人生を彼はどう振り返っていたのだろう。なお現地には墓碑銘が刻まれていない墓が残っている。罪人である河井の墓が新政府軍に知られないための配慮だったという。


 非常に優秀かつ勇敢でもある人なんですが、実に残念なのはこれでイケメンだったら・・・じゃなくて、もう少し柔軟性やしたたかさがあればというところです。ゲストの一人が「うまく負ける方法を知らない」と言っていたが、まさにその通りです。そういう意味では旧幕府軍でそれを知っていたのは榎本武揚ぐらいでしょうか。

 なおやっぱり彼が土方歳三並みのイケメンだったら、明らかに爆発的な腐女子人気を得るだけの要素はあったと思います。優秀な前線指揮官、不屈の闘志、胸の奥にたぎる理想、そして悲劇的な最期。ここに無理矢理土方歳三辺りを絡ませて(河井が土方と連絡を取り合っていたという設定にし、最後の臨終シーンとかで「土方、後は任せた・・・」と言い残させる。そしてその頃、函館の土方は何かを感じて「河井、まさか・・・」と呟くというような展開)見せ場を作れば、腐女子失神もののストーリーが出来上がり。ウーン、あの写真さえなければ(笑)。

 なお河井が徹底抗戦した長岡城は、新政府軍による嫌がらせか、後に長岡駅が設置されて徹底的に破壊されており、現在では駅前に長岡城跡の碑が残るのみである。新政府は結構こういう陰険なことをしている。

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現在の長岡城本丸跡はこの状況

 

忙しい方のための今回の要点

・若くして陽明学を学んだ河井継之助は、自らの学問を藩政改革に活かすことを目指す。
・遊学先で山田方谷から備中松山藩の財政再建の方法を学んだ彼は、それを活かして長岡藩の財政再建に成功する。
・しかし時代は幕末、長岡藩も新政府軍の脅威にされされ、新政府軍への恭順を要求される。
・河井は幕府にも新政府にも与しない中立を目指すが、それは新政府によって拒絶され、ついには戦闘を余儀なくされる。
・河井は自ら陣頭に立ってガトリング砲を駆使して戦うが、多勢に無勢で長岡城は落城する。
・しかしその後も河井はゲリラ戦で新政府軍を苦しめ、ついには奇襲で長岡城を奪還する。しかしこの戦いで重傷を負い、援軍も加えた新政府軍の大軍の猛攻にさらされ、長岡城は再び落城、河井も会津を目指しての敗走中に塩沢で命を落とす。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・幕末非イケメンの悲しい話でした。何となく河井は地元でも、城下を戦いに巻き込んだ張本人ということで評判がイマイチの模様ですね。とことん空回りと報われない人だな。しかし世の中にはこういう要領の悪い人っているんですよね・・・。

 

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