教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/18 NHK 歴史秘話ヒストリア「私はなぜ悪女になったのか 最新研究 日野富子」

応仁の乱の原因は日野富子ではない?

 応仁の乱の原因を作ったとか、室町時代の銭ゲバ女王とか、挙げ句は日本三大悪女の一人などととかくボロカスに言われることの多いのが室町幕府8代将軍・足利義政の妻である日野富子。しかし実は日野富子は悪女ではないというのが今回の内容。

 富子と義政の間には跡継ぎとなる男子がいなかったために、義政は次の将軍を弟の義視に決める。しかしその1年後に富子と義政の間に男子が生まれる(義尚)。富子が応仁の乱の原因となったというのは、ここで義尚を将軍にするために山名宗全に後ろ盾を依頼して義視を排除しようとしたからというのが、応仁記などにも記述されている従来の説である。しかしこれは違うのだという。

応仁の乱の発端

 と言うのは、富子は義視を招いて宴会を催したり、妹の良子を義視に嫁がせるなど次の将軍として丁重に遇しているというのがこの番組の説(と言うか、番組が取材した国際日本文化研究センター助教の呉座勇一氏の説)。もっともこれは考えようによれば、義視を完全に取り込んでコントール下に置こうとしたという見方も出来る。

 では応仁の乱はどうして起こったかだが、管領である細川勝元と新興勢力である山名宗全の間の対立が原因となっている。応仁の乱の半年前、宗全は大軍で京を押さえるクーデターを起こし、勝元から実権を奪う。しかしこの時も足利家内は安泰で、義視の立場にも全く変化はなかったという。もし富子が宗全と結託していたのなら、ここで義視の処遇に変化がないとおかしいというのである。

 

泥沼化していく乱

 そして半年後、細川勝元が4万の大軍を率いて巻き返しを図って京の東側を制圧する。こうして西側の山名宗全と睨み合いの状態に陥る。将軍御所は細川勢に完全に包囲されてしまう。義政は中立の立場で戦いを収めようとしたがうまく行かず、結局は勝元の求めに従うしかないと判断、義視を東軍の総大将にすることにする。

 将軍の意向を押し立てた東軍が有利で戦いは進むのだが、ここで中国地方から大内政弘が3万の大軍を率いて上洛、西軍に味方する。これで情勢は一転して西軍が有利となる。さらに事態を混乱させたのは、ここで義視が西軍に走ったこと。戦況が不利になって責任を取らされることを恐れたのも一因とのことだが、よく分からない話でもある。日野富子と山名宗全が結託していたと考えるなら、富子が宗全を裏切ったので、宗全は今度は義視に付くことに決めて密かに義視を勧誘したという説明になると思うが、正直なところあまりスッキリした説明とは言いにくい。

乱の終結のために蓄財した富子

 そして戦乱はグダグダと続くことになる。5年後には首謀者であるところの細川勝元と山名宗全が相次いで亡くなるのだが、それでも二派に分かれての争いはグダグダと続く。さらに嫌気のさしたダメ将軍義政が将軍を引退してしまって、息子の義尚が9代将軍に就任して富子が後見となる。で、この時に富子が何をしていたかというと、資金に困る大名たちに東西の区別なく資金を貸し付けては利息を取っていたのである。これが日野富子銭ゲバ伝説の所以。この時に富子は現在のお金にして70億を蓄財したのだという。

 しかし番組では富子はこの金を自分の欲に使ったのではなく、乱を鎮めるために使ったとしている。大内政弘を帰国させるために、彼が求める所領や官位が認められるように裏工作したり、帰国の費用のない大名には帰国費用を貸し付けたりなどを行い、京からは軍勢が去って乱は鎮まったのだという。また義視にも働きかけて講和する。義視一家は京を離れて美濃に落ち延びていく。というわけで、富子は乱の原因どころか乱を鎮めた功労者ということ。

若い将軍たちと富子の関係

 9代将軍の義尚であるが、将軍の権威を示すために近江に出兵して六角氏を討とうとする。しかし細川勝元の息子の政元は将軍の権威が高まることを警戒しているので戦いに消極的。結局は戦局は思わしくなくてグダグダしている内に義尚は病に倒れて亡くなってしまう。さらに1年後には義政もこの世を去る。

 ここで富子は義視一家を呼び寄せ、義尚に子がなかったことから、義視の子の義稙が10代将軍となる。しかし義稙は戦を重ねることになる。そして河内で畠山政長と共に河内で戦を行っている間に細川政元がクーデターを起こして義稙の従兄弟である清晃(後の足利義澄)を11代将軍に擁立する(明応の政変)。この事態に義稙は投降し、畠山政長は自害する。義澄の擁立については日野富子も協力しているという。その後の彼女は義澄の教育などを行うが、3年後にこの世を去る。

 

富子が悪女とされたわけ

 さて今回の番組はその後が更にあり、なぜ日野富子が希代の悪女とされることになったかを検証している。それはその後の権力の変化にある。最高権力者となった細川政元が風呂で暗殺されるという事件が発生(永正の錯乱)、この機に山口まで落ちていた義稙が挙兵、これに畠山政長の子である尚順、細川政元の子である高国が協力して義澄を京から追放して義稙が将軍に返り咲いたのだという。しかし義稙の家臣の関係は複雑で畠山政長は細川政元によって命を奪われているという経緯があることから、家臣の武士たちの間にはわだかまりが残っている。これを解消するための物語として応仁記が作成されたというのである。実際に応仁記は細川と畠山政長が共に戦った相国寺合戦には華々しくページを割いているのに、義視が西軍に走って細川と対立した辺りなんかはサラッと流しているとのこと。そしてこういう構成にしてしまうとどうしても悪役が必要になるので、日野富子が悪役にされてしまったというのである。そしてさらに後世にドンドン尾ひれが付いて、日野富子は希代の悪女となってしまったとしている。


 日野富子が悪女かどうかであるが、実際には話半分だというのが実情だろう。今まで言われていた希代の悪女と言うことはないだろうが、かといって善良な人物というわけでもなかろう。実際に権力を掌握していたので、息子の義尚でも煙たがっていた節があると言われているし、義稙なんかはもっと露骨に対立してしまったので、これは政略を駆使して排除しているのだから、実際は烈女という面もあったと思う。もっとも彼女がそうなったのは、多分に旦那の義政が将軍としてダメダメだったからというところもありそう。ダメ旦那の嫁は段々と気が強くなっていくというパターンである。ただとにかくこの時代は女だてらに権力を握るというだけで悪女扱いになる男女差別の時代であるから、やむを得ないところ。実際に三大悪女のあと二人って、北条政子と淀君らしいので、どちらも女性で権力を握った人。この中で淀君は確かに悪女要素がありそうだが、北条政子に関しては悪女と言うよりは烈女だろう。

 


忙しい方のための今回の要点

・日野富子が応仁の乱の元凶になったというのが従来の説であったが、実はそれは捏造である可能性が高い。
・また応仁の乱の間に富子が蓄財した件も、その金を使用して乱の収束を目指していたと考えられる。
・日野富子が悪女とされてしまったのは、足利義澄を追放して将軍に返り咲いた義稙が、家臣の畠山氏と細川氏の協力を謳うために、日野富子を悪役とした応仁記を作成したからと考えられる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ実際には100%の悪人も、100%の善人もいませんから、彼女もその間でしょう。ただどうしても権力に近いところにいると、手を汚すことも必要となってきますので人間は悪くなっていきます。完全に清廉潔白な君主なんてのは、実は国がまとまりません。トップに立つ人間は清濁併せ呑む器量が必要だなどと昔から言われます。私も今の日本に必要な人材は「心に正しい目的を持った陰謀家」だと考えています。悲しいかな策のある奴は私腹を肥やすなどの悪い目的しか持っておらず、正しい目的を持っている奴は策がないというのが今の日本の実情のように見えます。ちなみにどちらも持っていないのが今のトップ。

 

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