教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/3 BSプレミアム ザ・プロファイラースペシャル「関ヶ原3つの"IF"」

 関ヶ原の合戦は、知られているように徳川家康率いる東軍が石田三成率いる西軍を打ち破り、その後の家康の天下が定まった戦いである。しかしもしそこで3つの"IF"があった場合に展開はどう変わっただろうかというもの。

もし三成が大垣城で決戦していたら

 まず1つ目のIFは「三成が大垣城で決戦していたら」である。番組司会の岡田准一(石田三成を演じたことがあるらしい)が飛騨・美濃観光大使の鈴木ちなみと歴史研究家の小和田泰経を連れて大垣を取材している。観光大使を引き連れている都合上、大垣の水饅頭の宣伝と言ったどうでもいいことをしていたりするが、要は大垣とは3つの大きな河川に囲まれた水の町であり、その川の水を引いた何重もの堀で囲まれていた要塞が大垣城である。

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大垣城天守

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大垣城の縄張

 

当初は大垣決戦を想定していた

 岡田准一が石田三成ゆかりの龍潭寺(佐和山城の麓にある)を訪問、石田三成の屋敷に使われていたという板戸を紹介しているが、表は来客などが通ったりするので華やかに装飾してあるが、裏側の自分達から見える側はシンプルに墨で絵が描いてあるだけであり、これは三成という人物の性格をよく現している。要は合理的で無駄なことはしない人物だったようである。三成は頭が切れたことから秀吉に重宝されたが、秀吉の死後に家康と対立、結局は佐和山に蟄居する羽目になり、家康が上杉討伐のために大阪を離れたのを機に挙兵したというのは知られている通り。

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龍潭寺

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龍潭寺内の石田三成の像

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 一行は大垣城を訪問しているが、当初構想では三成は家康をここで迎え撃つつもりであり、実際に家康が大垣城北西の岡山の陣に到着した時、島左近の進言に基づいて軍勢を2つに分けての奇襲を行って東軍に打撃を与えている。

 

大垣城に仕込んだ三成必勝の仕掛け

 実はこの大垣城にはさらに東軍打倒のための三成の必勝の仕掛けが施してあった。それは大垣城南西の南宮山。この山上には山城が構築してあり、ここに毛利の軍勢が控えていたのである。東軍が三成の籠もる大垣城を包囲攻撃を始めたら、背後からそれを襲撃するという手はずになっていた。

 しかし実際は大垣城攻略が困難と見た家康は、大垣城を通過して大阪方面に向かうそぶりを見せ、それを知った三成は軍勢を関ヶ原に移動させてそこで決戦することになる。ではもし大垣で決戦をしていたらどうなるか。

もし大垣決戦が行われたら

 大垣城は河川の防御で鉄壁であったが、家康ならこれを逆手に取って水攻めを敢行しただろうと考えられるという。実際に大垣の町は今まで何度か水害に苦しめられている。東軍は大垣城を包囲して堤防を築いて水攻めを開始する。しかしそこを背後から毛利軍が急襲、東軍は劣勢に追いこまれる。そうなると東軍についていた豊臣恩顧の大名の中から寝返りも出て家康はピンチに追い込まれる・・・との読みを番組は行っている。

 しかし実際は家康は南宮山に西軍の軍勢がいることは把握しているであろうから、それに背を向けて悠々と堤防建設をするとは思いにくいし、またこういう危険もあるから大垣城を通過するそぶりを見せたのだろう。

 とにかく実際には三成は夜通しの移動を行って軍勢を関ヶ原に移動した。その結果として西軍の軍勢は血糖値低下でヘロヘロで敗北したのでは・・・というのは以前に別の番組でやっていたが、それはともかくとして現実には小早川秀秋の裏切りで西軍は壊滅する。

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もし小早川秀秋が裏切らなかったら

 というわけで二つ目のIFは「もし小早川秀秋が裏切らなかったら」である。まあこれは誰でもよく考えるネタ。番組ではまず最初に三成が陣を置いた笹尾山を訪問しているが、ここは関ヶ原全体を見通せる格好の地であり、しかも高台であるので戦略的に有利である。さらには三成は大筒を用意していたとのことで、おかげで三成軍はかなり健闘して、争いは当初は一進一退の膠着状態になる。これにしびれを切らした家康は本陣を前進させて三成の陣から800メートルの地点にまで移動させたという。まさに家康を討つ格好の好機であるのだが、三成の出陣の催促にも秀秋は全く答えずに動かなかった。それどころかその後、秀秋は大谷義継の軍勢の背後から攻撃をかけ、これが西軍にとっては致命傷になる

秀吉の後継者から一転して養子に出された秀秋

 番組では小早川秀秋の紹介に入るが、小早川秀秋は最初は秀吉の養子となっていて後継者候補であったのだが、秀頼が生まれたことで秀吉から疎まれることになり、小早川家に養子に出されてしまう。しかももう一人の養子で関白であった秀次が謀反の咎で一族皆殺しという目に遭ったことは秀秋を震撼させる。この頃から秀秋は酒浸りになっていたという話がある。だから関ヶ原の合戦時には秀秋は肝性脳症で何が何やら分からん状態になっていたのではというのは先の番組で言っていたことだが、それはともかくとして、とにかく微妙な立場であったことは間違いない。また松尾山という南宮山以上に要塞化された山上に陣取る1万1千という巨大な軍勢は明らかにこの合戦の勝敗を握る軍であった。当然のように三成と家康の双方からのさかんな働きかけが行われる。そしてこの一大決断が19才の若輩・秀秋に託されたのである。こりゃ「どうすりゃいいねん」という状態でパニックになっても仕方ないところ。散々迷った挙げ句に結局秀秋は東軍につき、これが東軍勝利の決定的要因となる。しかし裏切り者のレッテルがツラかったのか、以降の秀秋はさらに酒浸りとなって家臣を手討ちにするなどの異常行動も散々出た挙げ句に2年後には亡くなっている。とことん可哀想な人でもある。いかにも優柔不断そうな肖像画が残っているが、子どもの頃には「貧しい武士や家がなくて困っている人を救いたい」なんて言っていたという話があるらしいから、気が弱くて本音は優しい人だったのだろう。岡田准一は秀秋像について「やんちゃだけど純粋だった人」なんて言ってますが、やんちゃなんでなくて単にアル中だったのだと私は思いますが(笑)。

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いかにも優柔不断な印象を受ける小早川秀秋の肖像(高台寺蔵)

秀秋の裏切りがなかったら

 で、もし秀秋が裏切らなかったらであるが、三成の陣に攻撃を仕掛けていた東軍の軍勢は当然のように秀秋の大軍に側面や背後から急襲を受けることになる。となるとかなり苦戦に陥るのは必至で、明らかに劣勢に陥っていくだろう。そうなると東軍の中から寝返りが出る可能性もある。さらにこういう事態になると静観していた毛利軍も動き始める可能性が大。背後で軍勢を2つに分けた毛利軍が家康の逃走路を塞ぐ形で襲撃をかけてきて家康は袋のネズミとなってアウトという結論。まあ実際にこうなったでしょうね。だからいつまで経っても旗幟を明らかにしない秀秋に家康は相当苛立っていたようでありますが。

 

黒田官兵衛が九州で戦い続けていたら

 最後のIFは「黒田官兵衛が九州で戦い続けていたら」である。関ヶ原の合戦が行われていた頃、黒田官兵衛は東軍について九州で西軍諸将の本拠に攻撃をかけていた。もし関ヶ原が長引いていたら、官兵衛は中国地方にまで攻め上っていくことも考えていたと言われている。

中津から天下を覗っていた? 黒田官兵衛

 番組ではかつて大河ドラマで黒田官兵衛を演じたこともある岡田准一が中津まで唐揚げを食べに行っている(笑)。中津城は官兵衛が築いた城であるが、瀬戸内海に面した中津川の河口という交通の要衝にある城である。秀吉の天下取りに貢献した官兵衛であるが、秀吉が自分を警戒していることを知ると、その警戒を解くためにここに引き籠もって家督を息子の長政に譲っている。ここで官兵衛は城下町を発展させて財力を蓄えると共に、瀬戸内海に早船のネットワークを設置して、大阪の情報が3日で届くようにしていたという。つまりは隠居の身とは言え、中央の状況は常に把握していたようであり、この辺りが虎視眈々と天下を覗っていたのではと言われる理由。結局は黒田家の軍勢は長政と共に関ヶ原に行ったが、官兵衛は溜め込んだ金で兵を雇って(日本中に浪人が溢れていたから、金さえあれば兵は容易に集められたろう)この兵で九州で合戦を行ない、ほぼ九州を押さえて後は島津だけという辺りで家康からの停戦命令で合戦を終えている。

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中津城

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中津城縄張

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右側が黒田時代の石垣

 

もし関ヶ原が長引いていたら

 さて関ヶ原が長引いた場合であるが、やはり九州は官兵衛の手に落ちたであろう。ただ島津家だけは本国に兵力のほとんどを残していたので、これと決戦は避けて牽制するための兵だけを残して中国に向かったのではないかとしている。すると毛利家の吉川広家は官兵衛と気脈を通じていたので官兵衛に付く可能性大、そうなると毛利本家も官兵衛に付き、九州中国一帯が官兵衛に付くという展開が考えられるという。すると官兵衛はこの軍勢を率いて秀頼に謁見しただろうとのこと。番組の予想はここで終わって後はゴニョゴニョなんだが、実際にここから官兵衛が家康と戦うかは微妙なところ。ただこうなった時には既に西軍は壊滅状態なので三成は恐らく討ち取られてしまっているだろうが、家康にしたら三成を破ったと思ったら次により強大な勢力が現れたということになる。こうなるとその後の豊臣家の滅亡などの好き勝手は出来なくなるだろう(この状態だと加藤清正や福島正則などの豊臣恩顧の大名は、さすがに豊臣家滅亡までは許さなかったろうと思われる)。

 となると家康は第二次関ヶ原を仕掛けるか、それとも豊臣家を滅亡させられないままに寿命を迎えるか。その後に跡を継ぐのはバカボン秀忠(平時の政治力はあるが戦は全く駄目)であるから、こうなると徳川の天下はなくて豊臣連合のような世の中になったかも。


 来週からはこの時間の放送はこのザ・プロファイラーになるようだが、次週の内容は「淀君」ということのようであり、このシリーズは元々は歴史番組というわけではないはずなのだが、どうも歴史番組色が強くなるような印象を受ける。となるとNHKは「偉人たちの健康診断」「英雄たちの選択」に続いてまた歴史系番組ということになるのでしょうか? なんか最近、私も歴史番組ばかりを見ているような気がしてきた。科学系番組や美術系番組なんかももう少し頑張って欲しいところ。やっぱり「美の巨人たち」が消滅した(と私は考えている)のがツラいところだ。「日曜美術館」はあまりに番組としては眠すぎるし(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・もし三成が大垣城で家康と決戦していたらだが、三成は南宮山に山城を築いてそこに毛利の軍勢を置いていたので、この兵が大垣城を包囲する東軍の背後を突くことになり、東軍はかなり劣勢を強いられた可能性がある。だからこそ家康は大垣城攻めをやめたとも考えられる。
・もし小早川が裏切らなかったらだが、これは明らかに西軍が有利となって東軍は壊滅して家康が討たれてしまった可能性も高い。だからこそ関ヶ原の東軍勝利は実は薄氷のものでもあった。
・最後にもし関ヶ原が長引いて黒田官兵衛が九州で戦闘を続けていたらであるが、これは官兵衛が九州・中国を制圧してその軍勢を率いて大阪城にやってきた可能性が高く、そうなると徳川の天下がすんなり成立したかは微妙となる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ終わってみたらすべてが家康の計画通りにすんなりと事が運んだように見えますが、実際はそうではなくてどこでどうなっていたかは分からないということです。だから実は家康も冷や冷やでストレス一杯だったでしょう。そう言えば、家康がストレスのせいで現実逃避して引き籠もっていたなんて言っていた番組もあったっけ。

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次回のザ・プロファイラー

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