教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/10 BSプレミアム ザ・プロファイラー「淀殿 悪女か?それとも悲運の姫か?」

 ザ・プロファイラーの今回のテーマは淀殿が悪女であるのか、それとも単に悲運に遭っただけの人なのかということですが、まず私の見解を言いますと「両方です」ということに尽きると思う。まあそれについては後ほどということで番組の内容を。

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これが一番一般的な肖像だが、化け物扱いの絵もあるようだ

 

戦の中で翻弄された少女時代

 番組では淀殿の生涯を解説しているが、それは壮絶なものである。織田信長の妹で戦国一の美女と言われた母のお市は戦略結婚で浅井長政に嫁ぐが、二人の夫婦仲はよく、ここで茶々(後の淀殿)を初めてとする三姉妹が生まれる。

 しかし茶々が5才の時に運命が暗転する。朝倉氏について信長を裏切った長政が信長に攻められ、浅井氏は滅亡することになる。この時に長政はお市に三人の娘を託して信長の元に逃がしている。なお番組では淀殿が中心であるので浅井長政の裏切りの経緯については踏み込んでいないが、これは過去に恩義のある朝倉氏を長政は裏切ることが出来なかったということが一般に言われているが、私はそもそも信長が長政を必要としたのは岐阜を平定するための背後の備えとしてであり、岐阜を平定した後には長政の存在価値がなくなって、長政をあからさまに家臣として扱うようになっていたからだと考えている。なお信長がもし本能寺の変で倒れていなかったら、やがて家康もそういう扱いを受けたと予想できる。だから私はそうなることを予想していた家康が、裏で明智光秀と手を組んでいたというのが本能寺の変の真相と睨んでいるのだが、これはこの番組とは無関係のところ。

 さて信長に引き取られることになった茶々たちだが、そこで本能寺の変が発生して信長が殺されてしまう。その後の織田家の後継争いでは有力家臣の柴田勝家と羽柴秀吉が対立するが、秀吉を嫌っていたお市の方(秀吉が長政の息子を処刑したからとか言われているが、私は単純にプライドの高いお市の方からすると、成り上がりでブサ面で女たらしの秀吉は嫌悪感を持つ相手だったのではと見ている)は、柴田勝家の元に嫁ぐ。しかし1年後に柴田勝家は秀吉に敗北し、茶々たちが籠もる城も包囲される。秀吉はお市の元に娘たちと共に下るように使いを送るが、お市はそれを拒絶して15才の茶々に妹たちを託して自らは勝家と運命を共にする秀吉も心底嫌われたものである。

妹たちを託されて秀吉の下に

 茶々はこの時にお市から弁財天を託されたという。そして浅井の血を守ることも同時に託された。この後秀吉に保護されるようになった茶々たちであるが、彼女は長女の立場として妹たちを守ることに責任を感じている。茶々に側室になるよう迫る秀吉に対して、茶々は妹たちに相応の嫁ぎ先が見つかることを条件として出し、秀吉の世話で次女の初は京極高次の元に、三女の江は佐治一成の元に嫁ぐこととなる。それを確認した後に茶々は20才で秀吉の側室となる。この時に秀吉は52才であった。

 番組では「なぜ淀殿は親の敵を夫としたか?」ということを一つ目のテーマにして議論しているが、これについては「どうせ誰かの妻になるのなら、最高権力者が一番」という計算があったのではと私は考えている。番組では「妹たちを守るという責任感」を挙げているが当然それもあったろう。また秀吉に父性を求めたのではという分析もあったが、そこまではなかったと私は見ている。

 

秀吉の側室となり権力を握っていく

 そして秀吉の側室となった茶々だが、1年後に男子・鶴松を出産して秀吉を驚喜させる。秀吉は茶々のために淀に城を築き、この頃から茶々は淀殿と呼ばれるようになる。この時に淀殿は出産の褒美として父・浅井長政の十七回忌と母・お市の七回忌の法要を行う許可を秀吉からもらい。また両親の面影を残すための肖像画を描かせたという。これが今日にも残る二人の肖像だという。

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淀殿が描かせた肖像がこれらしい

 しかし病弱だった鶴松は3才で亡くなり、秀吉は失意の底に沈む。しかしその2年後淀殿は再び男子を出産(後の秀頼)し、秀吉は溺愛する。淀殿はこの時には秀吉に両親の菩提寺を建ててもらったという。しかし間もなく秀吉は病に倒れ、五大老筆頭の家康に秀頼のことをくれぐれも託してこの世を去る。

 この後、関ヶ原の合戦が起こるが、淀殿からはあくまで家臣同士の諍いというとらえ方であり、だから積極的には関与しなかったのだという。ただこの時に東軍に付いた初の夫の京極高次の大津城が西軍に包囲されるという事件が発生し、北政所に協力を仰いで二人で停戦を呼びかける書状を送り、大津城は無血開城されて初は救われている。このようなことから淀殿と北政所の間は不仲というわけではなくて役割分担のようなものがあったというのが最近の説だが、これはどうだろうか。ゲストが「女性は普段は対立があるような相手でも、共通の敵が現れるとパッと手を組むというようなところがある」ということを言っていたが、その辺りが真実のように思える。火花散るような対立があったかどうかはともかく、互いに鬱陶しいと感じるぐらいの関係である可能性は非常に高いと私は見る。

 

家康の台頭と豊臣家の没落

 この時点では淀殿は家康を豊臣家の家臣と見ており、あまり危機感は抱いていなかったと番組は見ている。しかしその後、家康は豊臣家の力を削ぐ政策をとり、淀殿の不信感を募らせていくことになる。その頃の淀殿を診療した医師の記録によると、不食や目眩といった症状が出ていたとのこと。この時淀殿33才、明らかにストレスによる症状であるだろう。そして淀殿の不信感を決定づける事件が発生する。家康が征夷大将軍を息子の秀忠に譲り、今後徳川家で権力を継承していくことを示したのである。家康の権力はあくまで秀頼が成人するまでのつなぎと考えていた淀殿にとっては、これは許しがたい裏切り行為であった。

 しかし天下を狙っていた家康はさらなる手をうってくる。方広寺の銘文事件である。明らかに言いがかりであるこの件に対し、淀殿は親の代からの家臣であり信頼厚い片桐且元を弁明のために家康の元に送る。且元に当てた淀殿の書状には彼女がいかに且元を信頼していたかを覗わせる。しかし且元は交渉に一ヶ月もかかった上に戻ってきて淀殿に告げたのは家康の要求を呑むしかないということだった。家康の要求は大阪城を明け渡すか淀殿が家康の元に人質として出向くというもので、実質的に豊臣家が徳川家の家臣となるというものであり、到底飲むことの出来ないものだった。且元は裏切り者と疑われて他の家臣達の怒りも買うことになり、結局は豊臣家から離反することになる(且元としては現状の豊臣家と徳川家の力を比較して、苦渋の現実的な提案をしたつもりだったのだろう)。

大坂冬の陣、淀殿なぜかの講和

 こうして大坂冬の陣が勃発することになる。浪人たちを中心とした豊臣勢10万に対して徳川勢は20万。しかし堅城大阪城の攻略は手こずり、真田幸村の奮闘などもあって徳川方に大きな被害も出る。このまま情勢不利のまま戦闘が長引けば離反する者も出かねない。家康はやむなく講和を提案するが、これを淀殿が受けてしまう。

 ここで番組二つ目のテーマは「なぜ淀殿は和平を結んだ」であるが、前線に出ない女性としての立場では、包囲されての籠城戦というのは非常な圧迫感やストレスにさらされた状態であり、早くこれから開放されたいという感覚があったのではというようなことを言っているが、これはその通りだろう。岡田准一が「ここで淀殿が出てきてはいけなかった」というようなことを言っていたがこれは全く同感。政治感覚も軍事感覚もない淀殿が仕切る状態というのが、豊臣方にとっての一番の弱点だったろう。よく言われるIFであるが、介入するならなぜ関ヶ原の時に介入しなかったである。あの時に秀頼が明白に西軍を支持する姿勢を示したら、それだけでも東軍はかなり崩れることになった可能性が高いのである。そうなれば少なくとも徳川の天下はなかった。

 

大坂夏の陣で大阪城と運命を共に

 講和後、徳川方は条件であった大阪城の外堀だけでなく、内堀までも埋めてしまって大阪城を完全な裸城にする。ここまで行った上で再度の合戦に及ぶ。もうこうなると豊臣方には抵抗の術もなく、大阪城は炎上、淀殿は秀頼と共にここで最後を迎える。

 最後のテーマは「なぜ淀殿は大阪城と運命を共にした」である。女性である淀殿なら家康に下って助命される道もあっただろうにとのことだが、これは全員があっさりと結論を出しているが「そんなこと淀殿のプライドが許さなかったろう」というもの。これには私も全面同意。そもそもこの後に及んでそれが出来るなら、とっくの昔に家康にひざを屈して大阪城を退去している。この後に及んで秀頼を見殺しにして自分だけ家康に下るなんてことが彼女に出来るわけもなく、その後、家康に臣従するなんてことは絶対出来なかったろう。恐らく秀頼と共に自害する淀殿脳裏には、かつて秀吉に下ることを拒んで勝家を運命を共にした母・お市のことがよぎったろうと思われる。


 さて淀殿が悪女か悲運の姫かということであるが、彼女の経歴を見た上では悲運の姫であることは間違いない。ただ私が同時に悪女でもあると言っているのは、この番組では触れていない一番大事な点「秀頼は秀吉の子ではないことはほぼ間違いない」という点である。あれだけの側室を抱えながら全く子が生まれなかった秀吉に、淀殿だけが二人も子を産んだというのがそもそもおかしいし、秀頼はかなりの巨漢であり、小柄な秀吉とは全く似ていないということも言われている。そういう意味で淀殿は豊臣家を乗っ取るために策略を駆使したのは間違いなく、そして結果的に豊臣家を滅ぼしてしまった(彼女は積極的に豊臣家を滅ぼそうとしたわけではないが)というところでは悪女であるのは間違いなかろう。もっとも彼女の立場を考えると情状酌量の余地が多々あるのは間違いないか。なお徳川家と対立したということから、後に実相以上に悪女側面が強調されたというのも間違いのないところである。

 

忙しい方のための今回の要点

・5才で父を戦で亡くし、15才で母も亡くして妹たちを抱えて秀吉に保護されることになった茶々は、妹たちの嫁ぎ先を秀吉に世話してもらってから、秀吉の側室なることを承諾する。
・20才で秀吉の側室となった茶々は1年後に男子である鶴松を出産。この時に淀に城が与えられたことで淀殿と呼ばれるようになる。
・鶴松は3歳で病死するが、間もなく二人目の男子である秀頼を出産、秀吉は秀頼を出来愛する。
・しかし秀吉の死後、家康が台頭。最初は家康はあくまで家臣と見ていた淀殿であるが、その意志に反して家康は徳川が権力を押さえる姿勢を明確に示すことになる。
・そしてついに大阪の陣が勃発。しかし堅固な大阪城を攻めあぐねた家康はやむなく講和を提案。しかし淀殿がこれを受けてしまう。これについては籠城戦でのストレスに淀殿が耐えかねたのではとの分析もある。
・しかし大阪城は内堀まで埋め立てられた裸城にされた上で再度の攻撃を受けることに。淀殿はこの時に家康に下る手もあったのだが、それは彼女のプライドが許さなかった見られ、結局は大阪城や秀頼と運命を共にする。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ悲しい女性であることは間違いないです。この時代において女性の身での限界というのもかなり明らかでもあります。所詮はタヌキ親父家康の前では、単なるお姫様では謀略その他では勝ち目がなかったということだろうと思います。豊臣方には既に人材らしい人材もいませんでしたし。番組中で淀殿が且元に宛てた書状の中で「まともな親がいないので相談する相手がいない」ということを書いていたと言いますが、それが現実だろうと思います。まだ十代の時に謀略渦巻く中に放り込まれたのだから、並大抵の大変ではなかったことは容易に推察が付きます。この辺りはかなり情状酌量されるべき要素であるでしょう。

 

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