教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/16 BSプレミアム 英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子VS毛利 史上最大の籠城戦~」

 歴史に登場する英雄たちの決断の時を分析する・・・という番組だったはずなんだが、今回からは山城シリーズのようで、今回扱うのは尼子の本拠だった月山富田城。戦国最大とも言われる超巨大山城である。

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月山富田城の模型

 この手の企画となれば必ず登場するのが、別名「山城のさかなクン」とも言われている(笑)城郭考古学の千田嘉博氏。彼に番組司会の杉浦友紀アナが同行して月山富田城の見学から始まっている。千田氏は初っ端からテンション上がりっぱなしの「ギョギョギョギョギョ!」状態だし、視聴者は杉浦アナの巨乳に視線が釘付けという企画(笑)。

 

 

山陰の覇者・尼子氏が築いた難攻不落の巨大山城

 まずこの城を支配していた尼子氏であるが、出雲地域を中心に山陰に覇を唱えた大名であり、石見銀山もその支配下に置いていたことから財力が強かった。しかもこの頃の日本海岸は大陸との交易ルートでもあるから、豊富な銀を背景に広く海外とも交易を行っていた。実際に月山富田城の発掘調査によると、国内各地の陶器だけでなく、中国の青磁やタイやベトナムのものと思われる陶器まで出土しているという。

 この財力を背景に尼子氏が築いた月山富田城は、最高所に本丸を置いて全山を要塞化しており、曲輪の数は500にも及ぶという超巨大な山城である。大砲などのないこの時代において通常の力攻めでは到底落とすことは不可能と思える城であった。

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曲輪の一つ花の段から背後の本丸を望む

最初に月山富田城を攻めた大内義隆

 まずこの城に最初に挑んだのが大内義隆である。義隆は1万5千の大軍勢で月山富田城を囲んだが、この時に毛利元就は「この城は日本中の軍勢を集めても容易には落とせない」と城攻めに反対したという。

 月山富田城は多数の曲輪があるだけでなく、6メートルもある土塁にさらに深い堀など万全の守りとなっている。また侵攻口は3カ所あるのだが、そのいずれのルートも本丸手前の山中御殿という大曲輪につながっており、ここに駐屯する兵力で叩かれるということになる。さらにもし山中御殿を突破しても本丸までは険しい七曲がりのルートを登っていくことになる。しかも尼子の防御施設はこれだけでなく、尼子十旗と呼ばれた支城群が周囲にあり、兵站線を守ると共に援軍として敵の背後を脅かすことが出来るという仕掛けになっている。

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広大な山中御殿

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背後の山道を登って本丸に向かう

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山上一番手前の三の丸の石垣

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一番奥の本丸には神社が

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生憎の曇天だが、晴天なら日本海も見える

 この鉄壁の守りに大内軍は城内に突入することさえかなわなかった。開戦から数ヶ月後には大内配下の武将たちが尼子に寝返るという事態が発生、大内義隆は撤退を余儀なくされている。この際には撤退の背後を突かれ大きな犠牲を出したという。結局はこれ以降、大内氏は落ち目となってついには家臣であった陶晴賢に乗っ取られることになってしまう。

 ゲストもここで月山富田城の分析をしているが、とにかく単に大きいだけでなく奥に深い構造にもなっているので、いわゆる鉄壁の縦深陣でもある。また本丸周辺はかなり切り立っているので背後からの攻撃は不可能。とにかく物理的に攻める手がない城であることが確認できる。

 

 

次にこの城を攻略した毛利元就

 さて次にこの城を攻めたのは、陶晴賢を破ってかつての大内領を手にした毛利元就である。元就は中国地方を支配化に納めるべく尼子氏と雌雄を決する戦いに挑むことになる。尼子氏の当主であった尼子晴久の死去を好機と見て尼子領に攻め入る。

 まず元就は尼子氏の財源であった石見銀山を奪取する。さらに月山富田城周囲の尼子十旗を1年かけて次々と落としていく。しかしここで元就に思いがけない知らせが舞い込む。嫡男の隆元が急死したのである。隆元の息子の輝元はまだ11才。元就は高齢であり、もし元就に何かあれば毛利家が空中分解する危険さえある。本来なら国に戻ってとにかく内部をまとめなければいけないところだが、元就は隆元の弔い合戦として尼子との決着をつけることにする。

 ここで元就の選択が・・・ってところで、この番組が選択の番組だったことを思い出した(笑)。要は戦術として力攻めをするか、兵糧攻めをするかというところ。急ぎたい元就としては力攻めで一気に落としたいところだが、そもそもこの城は力攻めでは落ちないと言ったのは元就である。

 で、元就の選択であるが、やはり最初はいきなり力攻めを行ったらしい。しかし10日以上の激戦で、毛利には大きな被害が出たにもかかわらず、尼子側にさしたる被害は出ないという惨憺たるものだったらしい。ここで元就はやはりこの城を力攻めで落とすのは無理であると判断して兵糧攻めに切り替える

 この時に元就は月山富田城を見下ろす周囲の山に付け城を築いている。その内の一つの勝山城を千田氏がハイテンションで訪問しているが、手前に大規模な畝状竪堀まで完備したかなり本格的な城である。尼子側が城から討って出てここまで攻め寄せると言うことはおよそ考えにくいのだが、ここまで本格的な城を作るのは尼子側に対して本気でいつままでも囲むぞという意思表示だろうとのこと。小田原城を囲んだ時の秀吉の石垣山城のようなものか。

 完全包囲の兵糧攻めの間に元就はあらゆる調略も駆使した。その結果、重臣の宇山久兼が謀反を疑われて斬殺されるという事件が発生、これを機に尼子の家臣からの寝返りが起こって結局尼子義久は降伏する。包囲は1年7ヶ月にも及んだという。

 

 

最後にこの城を攻略しようとした忠臣・山中鹿之助

 そして毛利が中国地方の覇者となった後、3度目の月山富田城の攻防が起こる。それは尼子家の遺臣である山中鹿之助が尼子家再興を掲げて挙兵した時。この時には6千の兵が集まったという。そして毛利の軍が大友氏との戦いに出向いている隙に城兵300の月山富田城を鹿之助が攻めている。しかし城兵が降伏するとして城門を開けたので軍勢が入城したところ、三方から射撃されるというだまし討ちを受けて被害をだし、その後の攻撃でも月山富田城の守りは揺るぎもせず、やがて毛利の援軍がやって来たので鹿之助は撤退を余儀なくされたという。月山富田城は最後まで力攻めでは落ちなかったのである。

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月山富田城にある鹿之助の像

 この戦いについては、磯田氏がうかうかと敵の計略に乗ってしまった鹿之助の甘さを指摘したり(端的に言って鹿之助は馬鹿なのではないかという内容だったが、確かにここでは城を明け渡すと言ったらまず城兵を退去させるのが常識)、鹿之助も6000の兵をすべてここに投入したのでなくて、各所に分けていただろうから、本来ならすべてをここに集中して最初の一戦で決めるべきだったなどと鹿之助の指揮官としての戦術のまずさを指摘する声が多かったが、これは私も全く同感。なお毛利氏が月山富田城を支配した後、さらに改良を施しているはずだから、鹿之助が知っていた時の城よりもさらに堅固になってしまっていたのではとの指摘もあり。


 以上、千田氏と磯田氏がハイテンションで吠えまくっている山城編でした(笑)。この月山富田城は私も10年ほど前に訪問しておりますが(掲載しているのはその時の写真です)、その時に比べると発掘に伴ってかなり整備もされたようですので、再び訪問してみたい気がします。なおこの近辺には米子城というこちらは近世城郭の傑作も存在します。さらには国宝松江城も近く。うーん、また数日かけて出雲周辺城郭回りを実行したい・・・ってこれは完全に「徒然草枕」の方のネタだな(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・月山富田城は石見銀山と交易で強い財力を持っていた尼子氏が築いた不落の巨大山城である。
・大内義隆がこの城を力攻めしたが城内に入ることさえ出来ず、家臣の寝返りなどで撤退に追い込まれている。
・毛利元就は力攻めを行ったものの10日経っても被害が増すだけで何の成果もなかったことから、兵糧攻めに切り替えている。
・包囲は1年7ヶ月にも及び、最終的には調略が功を奏して重臣の宇山久兼が謀反を疑われて斬殺されるという事件が発生、これを機に尼子家臣に寝返りが出て、結局は尼子氏は降伏している。
・毛利配下となった月山富田城を、尼子家再興を狙う山中鹿之助が6000の兵で攻めているが、300の城兵に阻止されている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・10年前に行った時もスゴイ城だなと感心したのですが、今回の番組を見ていたらかなり整備されて見晴らしが相当に良くなったようです。これはやはり絶対にまた行かないといけないよな・・・。
・ついでに周囲の尼子十旗の城も見学したのですが、こちらは整備状況があまりよろしくないようなので、相当に見学が難しいところもある模様。まあそういうのも含めて、いずれ山陰大遠征をしたいです。もし実行したら詳細は「徒然草枕」の方に(笑)。

追記:結局私はこの後、月山富田城を再訪問しました。攻城記はこちらです

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