教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/24 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「新説!真田丸 ウソと寒さと必勝法」

 今回の主人公は表裏比興の者と言われ、戦国乱世の中を自らの器量でのし上がった真田昌幸。

昌幸の持つ「ウソを見抜く能力」

 昌幸の真田家は武田信玄の家臣の地方豪族。三男として生まれた昌幸はすぐに武田信玄の元に人質として送られている。回りに信頼できる者がいない中で、昌幸が磨いたのがウソを見抜く能力だという。それは昌幸の冷静な観察眼に基づくもので、ある時に武田家内で殺人事件が発生した時、下手人を討ち取ったと名乗り出てきた家臣のウソを昌幸が見抜き、それ以来信玄に目をかけられるようになって、昌幸は我が両目とまで言わしめたという。後に昌幸は家康から差し向けられた刺客を、その行動の不自然さから見破って返り討ちにしたという例もあるとのこと。

 人間はウソをついた時に無意識のうちに動作などに現れるという。あごに力が入ったり、目線を逸らしたり、口元に手をやるなどと言う動作が無意識に現れるとか。番組では誰が犯人か当てる寸劇を行っているが、犯人は視線を逸らすなどの行動を無意識に行っている。また元刑事によると、質問をした時にそのまま質問の言葉をオウム返しするなんてこともあるらしい。慣れた人物になるとその辺りからウソを見抜いていくのだとか。またウソをついている時にはどうしても不自然な行動が出るので、よく知っている相手ならばれてしまうということになるとか。

 

昌幸の死につながった冷え性

 関ヶ原の合戦で昌幸は上田城で秀忠率いる徳川の本隊を散々に翻弄するのだが、当の西軍が半日で敗北してしまったことから敗軍の将として九度山に流されることになる。これで意気消沈かと思いきや、昌幸はいつか家康を倒すと意気軒昂だったらしい。しかしその昌幸も10年後にこの世を去る。死因は明らかではないのだが、それを推測させる材料はあるという。

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上田城の模型

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現在の上田城は後に仙石氏が建て直したもの

 最晩年に長男の信之に宛てた手紙では気力の低下を嘆いているという。昌幸は冷え性からくる鬱病のような症状が現れていたのではないかと番組は推測している。鬱病になると脳内の血流量が低下することが知られているが、冷え性の場合体内の血流量が3割も低下することがあることから、脳で鬱病と同じような症状が現れることがあり得るのだとか。さらに冷え性の血流低下は免疫力の低下などにつながるので、昌幸は最終的にはこれで命を落としたのではないかと推測している。なお昌幸が暮らしていた家は、農家の納屋のような建物だったと言うことで、寒さはかなり厳しいものだったという。

 

実戦経験のない信繁が真田丸で大活躍できた理由

 昌幸の死後、ついに大坂の陣が勃発する。息子の信繁がそれに参戦して真田丸で大活躍をするのだが、実は信繁はこれが2回目の実戦であり、指揮官として戦いに挑んだのは全く初めてである。このような初心者である信繁が大活躍できた理由について、番組は新たな観点を提唱している。

 それは九度山の地形が真田丸の構造とそっくりなのだという。ここでまた突然に千田氏が登場するのだが、九度山の傍らを流れる川幅と、大阪城の外堀からの距離がほぼ同じで、面積やら回りを崖に囲われた地形など九度山は驚くほど真田丸に類似しているのだという。信繁はここで昌幸に兵法を教わりながら、周囲の地侍などを集めて軍事訓練を行って有事に備えていたのだという。このようなシミュレーションは効果的な訓練として知られており、最近の研究では3Dゲームなどによって高齢者の知力が上昇する(ただしゲームをするのは1時間程度待てにしておかないと逆効果)ことなども分かってきたとか。信繁も九度山の地形を利用したシミュレーションのおかげで、実戦にも対応できたのではないかとしている。


 以上、徳川の天敵・真田氏について。なお番組では表裏比興の者というのを「裏表があって信用できない人物」と散々な言われ方だったという表現をしていたが、私が以前に見た別の番組では、この表現は戦国時代においては策のある知謀に富む人物という意味でむしろ肯定的な評価だと聞いたことがあるのだが・・・。

 まあとにかく真田昌幸は策の多い食わせ者であったのは間違いないようだ。のらりくらりとかわして秀忠の軍勢を翻弄した手練手管などはまさに昌幸の真骨頂。だてに戦国一のチートキャラと言われてはいません。家康は真田が大阪城に入ったと聞いて昌幸のことかと思って震えていたなんて話もありますが、家康が昌幸のことを相当に警戒していたのは事実だったようです。昌幸がもう既に死んだことは聞いていたはずなのですが「あの男なら自分が死んだと偽ることぐらいあり得る」と考えていたようです。家康をそれだけ恐れさせたというだけで昌幸のすごさが伝わってくるところ。ちなみに同じく昌幸にケチョンケチョンにやられて関ヶ原に遅参するという大失態をしでかした秀忠は、そのことをずっと根に持って信之をネチネチと虐め続けたようです。つくづく器の小さい男です

 

忙しい方のための今回の要点

・武田信玄の元で人質生活を送っていた真田昌幸の強みはウソを見抜く能力。人はウソをついた時には無意識に現れる動作などがあり、昌幸は鋭い観察眼でそれを見抜いていたと考えられる。
・九度山に流された昌幸は10年後に亡くなるが、その死因は不明。しかし晩年に気力が低下していたことから、冷え性による血流低下で鬱病のような症状が出ていた可能性が考えられる。また冷え性は免疫力低下につながるため、それが死因と推測される。
・九度山と真田丸の地形が非常に類似していることが分かったことから、信繁はここで戦いの訓練を行っていたことで、真田丸の実戦でも戦闘経験がないにもかかわらず大活躍できたと考えられる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・関ヶ原の戦いでなぜ昌幸は西軍についたかというところで、この番組では「結局は家康が嫌いだったから」という結論にしてましたが、実際にそういうところはあったと思います。もっとも昌幸は完全に西軍に付いたわけでなく、信之は東軍に入れておくという保険はかけてます。この辺りはなかなかしたたかですが、こんな大悪人の面倒見ないといけなくされた信之は大変です(笑)。結局はこの信之って、何だかんだで翻弄されて苦労してるんですよね。何かと因縁をつけてあわよくば真田家を取りつぶそうと画策する陰険な秀忠に対応するのは特に大変だったようです。楽になったのは秀忠が死んで家光の時代になってかららしい。

 

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