教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/24 BSプレミアム ザ・プロファイラー「高杉晋作 傷だらけの革命戦士」

 ザ・プロファイラーの今回のテーマは高杉晋作。奇兵隊を組織して幕府軍と戦い、長州藩を武力討伐に向かわせた人物の一人である。

1.高杉晋作はなぜ海外渡航を目指したか

 高杉晋作は長州藩の藩主に仕える名家の生まれである。名家の息子として教育を受けた彼が、父と共に出向いた江戸で体験したのが黒船来航だった。世界的な変動が起こりつつあることを感じた彼は、松下村塾に通って攘夷思想を学ぶ。吉田松陰の攘夷思想は、海外に学んで日本の実力を蓄えた上で攘夷を果たすという現実主義だった。しかし松陰の思想は過激思想として一般にはあまり受け入れられず、晋作も父から松下村塾に通うことを禁じられるが、それでも夜中に家を抜け出しては塾通いを続けていたという。

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高杉晋作

 19才で江戸に遊学に行くが、そこで体験したのが安政の大獄。この弾圧で松陰は過激思想の持ち主として捕らえられついには処刑されてしまう。牢に入れられた松陰のために奔走していた晋作は、松陰の「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」という言葉に強く感銘を受けたという。いろいろと思うところありながらも、藩士の身で自由に行動できるわけでない自分の立場に対するいらだちのようなものも持っていたようだ。

 この頃から晋作は海外渡航を強く望むようになる。その後、晋作は藩の命で西洋軍艦の航海術を学ぶことになるが、意気軒昂で臨んだにもかかわらずこれについて結局挫折している。どうも晋作は数学が苦手でそれが航海術の習得を阻んだようだ。

 番組ではまず、晋作がなぜ海外を目指したのかを議論しているが、これについてはやはり黒船来航で欧米の実力が日本と桁違いであるのを痛感し、まずは欧米の真の実力を知らないと対抗するのは到底不可能であると判断したからだというのが妥当なところだろう。松陰の「海外に学んで実力をつけてから攘夷を果たす」という考え方が影響を与えたのも間違いないところと思われる。

 

2.高杉晋作はなぜ奇兵隊を結成したか

 晋作は22才の時に幕府の上海視察団の一員に選ばれたことでついに海外渡航を実現する。だが彼が上海で見たかつての大国・清国の現状は衝撃的なものだった。アヘン戦争でイギリスに敗北した清国では、上海を始め各地が欧米列強の支配化にある状態で、清国人は西洋人にアゴでこき使われていた。この状況を目にした晋作は、日本の武力強化の必要性を痛感する。

 帰国した彼はオランダ商館に駆け込み、独断で戦艦の購入を申し込むが、多額の費用がかかるこの構想は藩に認められず頓挫する。なおこの後、松下村塾の同志と共に品川のイギリス公使館を焼き討ちしたとのことであるので一端のテロリストでもある。

 熱い想いはあるものの、周囲の状況が思うに任せない状態だった晋作は、この頃に自暴自棄となり、藩の役職を給食し、いきなり頭を丸めてしまって酒浸りの日々を送っていたという。この時のことを「空しく月日を送り、愚か狂か、智か節義か、なんだかわけも分からぬ人物にあいなり」と桂小五郎宛の手紙に記しているという。若さ故の暴走というか迷走というか。先の議論の時にゲストの一人が「我慢のないボンボン」と晋作のことを評していたが、確かにそういうところがあるようである。

 しかし時代が晋作を求めるようになる。この時に長州で起こったのが下関事件である。下関の沖合を通過する外国船を攘夷実行のために砲撃したが、反撃を食らって蹴散らされてしまったのである。これで藩も彼我の実力の違いを痛感することになる。この時に軍備強化の一環として晋作が結成したのが奇兵隊で、身分にかかわらず志のある者を集めた奇襲戦などを得意とする部隊であった。

 晋作が25才の時に長州が報復のために訪れた英仏米蘭の4カ国連合艦隊の攻撃を受ける。奇兵隊も初陣するが、この際に長州は下関の砲台が占拠される惨敗を喫し、長州は停戦交渉をすることになる。この困難な交渉に起用されたのが晋作である。長州藩の予算の10年分にもなる巨額の賠償金を要求する列強に対し、晋作は徹底抗戦の意志さえ匂わせて一歩も引かず、結局は賠償金の要求を断念させたという。番組では触れていないが、連合艦隊は確かに武力では圧倒的に勝るが、補給のない極東での戦いを長引かせることは困難であるという現状を晋作は把握して計算していたと見るべきだろう(徹底的にゲリラ戦で抵抗されると、さすがに長州藩の征服は遠征艦隊程度では不可能である)。

 ここで番組では晋作はなぜ奇兵隊を結成したかを議論しているが、やはり清国の惨状を見て何かをしなければという危機感を持ったのが大きいだろう。また藩のオタオタした対応ぶりに武士の限界を感じて、武士だけにこだわっていたのでは何も出来ないと考えたのではと思われる。この頃から晋作は藩の上層部に見切りをつけ始めていたと考える。

 

3.高杉晋作はなぜ多くの仲間を集められたか

 長州軍はこの後京に上るが禁門の変で幕府軍に惨敗、晋作は久坂玄瑞などの同志を失うことになる。幕府は長州征伐を決意、これに対して長州藩内では恭順派と抗戦派に分裂、しかし恭順派が体制を握り、抗戦派は粛正されてしまう。抗戦派を支持していた晋作はこの事態に反乱を決意する。まずは奇兵隊に決起を呼びかけるが従う者はいなかった。この時の奇兵隊の面々は、自分達の地位の保証の代わりに藩の指示に従うことを命じられていたのだという。そこで晋作は同志の伊藤博文の元に駆け込み、80人の同志で決起する。自滅の可能性も高い無謀な決起であったが、晋作は突っ走ったようである。

 彼らはまず下関の役所を占拠、騒ぎを聞きつけた商人たちからの資金援助も得て、長州藩の海軍局に押しかけて交渉、軍艦3隻を味方につけることにも成功した。この事態に奇兵隊も晋作と行動を共にすることを決意、同志は800人に膨れあがる。晋作たちは藩兵と激突するが、新式の装備を使いこなし奇襲戦に長ける奇兵隊は藩兵に対して圧倒的な勝利を収める。この事態に藩中枢でも恭順派が更迭され、抗戦派が主導権を確保、晋作は長州藩の指導者の一人となる。

 ここでなぜ晋作がこのように仲間を集めることが出来たのかを議論しているが、これは番組でも出ていたように我が身を捨ててもという晋作の熱い想いが回りを動かしたというところはあるだろうが、この時の長州の状況があまりにダメダメで、このままだと長州は滅んでしまうのではないかと危機感が広がっていたということが大きいのではないかと私は考える。このような社会的不安が広がっている時は、「俺に付いてこい」式のリーダーに世間が靡くのはよくあることで、ナチスに傾いていったドイツなんかもまさにそうであった。だから独裁者はやたらに敵を作って社会不安を煽るのである。

 しかし晋作は、この後に当時は不治の病であった結核で倒れ、志半ばでこの世を去ってしまう。結局は火を付けるだけ付けまくったが、その結論は見ないまま亡くなったという面が大きい。


 大きな役割は果たしたのだが、結論が着く前に亡くなってしまったことから評価の難しい人物でもあります。残念ながら結果としては扇動者で終わってしまっている。もし晋作が明治以降も生き残っていたらどういう活躍をしたかということを想像するところですが、間違いなく長州閥の新政府の中で要職に付いただろうとは思われる。ただ晋作の性格から見ると、回りから疎まれて内部対立を生んだ可能性はある。番組ゲストも「伊藤博文も大変だったろう」という言い方をしていたが、多分に回りから見ると熱く空回りして回りを振り回す迷惑な体育会系みたいなところがあったのではないか(笑)。乱を起こすのに向いていても、治世の才がどうであるかにはかなり疑問もある(統治に不可欠のこらえ性もなさそうだし)となると結局は干されて自暴自棄の中で消え去るか、最悪は西郷のように反乱に及んだなんていう可能性もあったように思われる。

 

忙しい方のための今回の要点

・15才で黒船来航を目撃し、松下村塾で学んだ高杉晋作は攘夷思想に染まるが、そのためには海外の実力を知ることが必要であると海外渡航を望むようになる。
・22才の時に念願叶って這般視察団の一員として渡航するが、そこで目にした清国の惨状から日本の軍備強化の必要性を痛感、独断で動こうとするが藩に認められず一時期自暴自棄の生活を送る。
・その後、長州が外国船と戦闘して惨敗、軍備強化の必要性を痛感した藩に起用させることになり、身分にこだわらず志のある者を集めた奇兵隊を結成する。
・しかし長州は4カ国連合艦隊に敗北、その休戦交渉に臨んだ晋作は、莫大な賠償金の要求を拒絶することに成功する。
・禁門の変での敗北から長州征伐につながる中、藩内では恭順派と抗戦派に分裂、恭順派が大勢を握るが、この事態に晋作は決起、藩兵に勝利して藩の中枢を把握することに成功する。
・しかし晋作は結核で倒れ、志半ばでこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・高杉晋作は享年27才です。非常に若くして亡くなっていますが、この時代は結核で若くして亡くなる者は多かったようです。本人はかなり無念だったでしょうが。
・ただ彼はかなり独善的に突っ走るところがありましたから、下手な時代に生まれていたら筋金入りのテロリストで終わっている可能性があります。この時代だから歴史に名を残す人物となりましたが、平和な時代だったら犯罪者だったかも。確信犯になる可能性のあるタイプです。まあこの頃の倒幕の志士たちってテロリストと紙一重と言うよりも、テロリストそのものでしたからね。

 

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