教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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11/4 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「古代史ミステリー ダムに眠る白神縄文人からのメッセージ」

白神山地で発見された縄文時代の大遺跡

 ぶなの原生林で知られる白神山地。ここで大規模な縄文人の遺跡が発見された。その場所は青森県西目屋村。ここで2003~2015年にかけて大規模な発掘調査が行われたのだが、その時に多量の貴重な縄文時代の遺跡が発見された。現在は津軽ダムが建設されて現地は水底に沈んでいるが、それに先駆けた発掘調査で出土した遺物は段ボール箱で1万以上に及ぶという。

 1万3千年以上に及ぶ縄文時代は土器のパターンで6期に分かれているのだが、ここの遺跡では全年代の土器が発見されており非常に貴重であるという。つまりこの地域には縄文時代全期を通じて人が住み続けたことになる。

 

縄文時代の大交易網?

 こんな山の中になぜ? と考えるのは現代人の感覚だという。この地は食料となる木の実や狩りの獲物となる動物などが豊富な地であり、縄文人にとっては非常に住みやすい土地だったのだという。実際に動物と人を結びつけたような土器も発見されており、この地の人々が自然に対して畏敬の念を抱いていたのも覗えるという。さらには山奥で他の集落がないということは、この地の恵みを彼らが独占できるということも意味していたという。

 また山の中であるにもかかわらず、海の魚の骨や貝殻なども発掘されていることから、この地の人々は海の近くの人々と交流していたのではないかと考えられるという。また石斧なども出てきているが、製作途中の失敗作などが一点もなく、完成品ばかりが出土することから、この地では石斧の製作が行われず、余所で製作された石斧を持ってきていたのではと考えられるという。実はこの辺りでは石斧の作るのに適した石が産せず、そのような石は北海道や下北半島などで産出することから、この時代に既に想像以上に広範囲な交易網のようなものが存在した可能性があるという。

 

意外に文化レベルの高かった縄文人

 また縄文人は彼らの言葉を持ち、計算なども行っていたと考えられるという。三内丸山古墳にある大型掘立柱建物の柱の跡は4.2m間隔で建てられており、これは明らかに意図されたものだという。縄文遺跡を見ていると縄文尺と言われる35センチが一単位として用いられており、4.2mはちょうど35センチの12倍である。なおなぜ35センチが一単位なのかに諸説あるらしいが、一説によると縄文人の肘から手首までの長さが元になっている・・・とのことなのだが、私の手を測ってみると25センチちょっとぐらいであり、縄文人はやけに手が長くないか?

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三内丸山の巨大掘立柱建造物

 また多くの土器が作られているが、その中にはかなり奇妙なものがあるという。そもそも縄文時代と言われるようになったのは、縄の目の模様を付けた土器が見つかったからだが、その模様の意味は不明である。また縄目模様のない土器も多いという。見つかった土器の中には数センチ程度の大きさで実用性があるとは思えないミニチュア土器なんかもあるらしいが、これについては祭祀用だとか、子供のおもちゃだとか諸説あるらしい(この時代には小人が存在していたというコロボックル説なんかも登場しそうだ)。

 

縄文人の創作意欲

 さらに面白いのは注ぎ口のついた注口土器なる土器があるが、この注ぎ口の形が明らかに男性器になっていたりするという。土器の製作は主に女性が担当していたとされているが、悪ふざけでもしたのかもしれない。ここからさらに発展して土器に頭を付けて擬人化しているようなものまであるらしく、縄文人の創作意欲が覗える。なおこのような土器のタイプも流行があったらしい。

 さらに割れた土器をアスファルトで補修したものなんかも発見されており、アスファルトは鏃の接着などにも使用されていたらしい。さらに貴重なのは木の皮で編んだ縄文ポシェットと呼ばれている袋まで見つかったこと(よくもこんなものが原型をとどめて残っていたものだ)。このような手工芸的なものも作られていたようだ。

 また多くの土偶も見つかっているが、これらは大抵は妊娠した女性をモチーフにしているという。女性は豊穣の象徴という意味だろうか。同様の信仰は世界の各地である。また椅子に座った人物といわれる土偶も見つかったが、これが実際にイスなのかどうかは議論があるところらしい。

 さらに犬の土偶も見つかっているという。縄文人は犬を飼っていたことが分かっており、出土した犬の骨が骨折が治った跡があったり、犬と人間が共に埋葬されている例があったりしたことから、犬は生活のパートナーとして大切にされていたらしい。

 

農業?も行っていた

 また縄文人は狩猟採取で生活していたと考えられていたが、三内丸山古墳の回りには栗林があり、しかもそれらの栗は大粒で糖度の高いものを選んで植えられていたらしいことが分かったという。また小豆などの豆類を栽培していたらしき様子もあることから、単なる狩猟採取ではなく、原始的な農業のようなものも始まっていたと考えられるという。つまり彼らは自然豊かな白神山地の中で、自然と共生しながら豊かな生活を送っていたのだろうと考えられるとのこと。

 

 思いの外、豊かな生活をしていた縄文人像が浮かび上がってくる。少し前は縄文時代と言えば原始人がイノシシを狩りながらウッホウッホと生活していたというイメージだったのだが、最近の研究では意外に高い文化レベルを持っていたということが見えてきているのが興味深いところ。自然と共生して生活していた縄文人と、自然を破壊して生活してその挙げ句に自然にしっぺ返しを食らおうとしている現代人を比較した時、どちらが真に賢いかは怪しいところである。しかもそのしっぺ返しが明らかになってきても「それを認めたら俺が儲からなくなるから対策には反対」などという愚かな現実逃避しか出来ないトランプのような無能をトップに戴いているような現代人は・・・。

 

忙しい方のための今回の要点

・白神山地の中から大規模な縄文人の遺跡が発見された。
・この遺跡は縄文時代の1万3千年の全期に渡っており、長い期間ここに人が住み続けたことを意味している。
・また山の中にもかかわらず魚の骨や貝殻が見つかっていることから、海の近くの人々との交流もあったことが覗える。
・さらに石斧などはここでは生産せず、遠くから運んでいたことが推測され、広範囲の交易網のようなものが存在した可能性もある。
・縄文人は独自の言葉を持ち、計算なども行っていたと推測されている。
・また様々な創意工夫をこらした土器なども発見されている。
・土偶は女性をかたどったものが多いが、中には犬の土偶もある。この時代には犬は生活のパートナーとして飼われていたようだ。
・また集落の近くに実が大きくて糖度の高い栗の木を選んで植えるなど、原始的な農業に近いことも行われていた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・思いの外、文化度の高い縄文人に対し、馬鹿が続出して文化度が年々低下する現代人。溜息の出るところです。正直なところ、トランプのような我欲剥き出しの馬鹿をトップに据えるぐらいなら、シャーマンをトップにした方が余程マシな気さえしますね。このまま行けばトランプは、我欲で人類を滅ぼしかけた最大の馬鹿として歴史に名を残すでしょう。もし記録する人類が残っていればの話ですが。
・それにしても縄文尺の話、やっぱり肘から手首までが35センチってのはどうも納得できません。縄文人の方が現代人よりも小柄のはずですから、やはり手の長さが長すぎるような気がしますね。手の先から肘までなら分かるんですが。それに測るのならその方が自然では? これ間違ってませんか?

 

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