教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/14 BSプレミアム ザ・プロファイラー「則天武后」

 女性の身でありながら皇帝にまでなったという則天武后。頭の良い美女で英明な君主であったとの評価もある一方で、残忍な希代の悪女とも言われている。そんな彼女の実態は。

天性の美貌によって後宮に入るが

 623年、唐の下級役人の娘として後の則天武后こと武照は生まれる。彼女は地元で有名なほどの美少女だったが、父が亡くなると異母兄弟の虐めにあうことになったという。しかし気の強い彼女はいつか復讐をすると誓っていたらしい。

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この肖像だと「絶世の美女」と言われてもピンときませんが

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番組中でも使われていた中国ドラマこれだと確かに美人です(笑)

 そして彼女が12才の時に宮廷に招かれることになる。そこで武照は太宗の寵愛を受けることになるが、「唐三代の後、女の武王代わって天下を有す(武の文字がつく女性が唐を滅ぼすの意)」という不吉な予言が出たことから太宗に遠ざけられることになる。

 なお結局この予言は当たることになるわけだから、どうも後付けのような気がしてならない(昔から当たった予言というのは確実に後付けばかりである)。もしくは武照に危険を感じた誰かがそれを牽制するために予言の形で噂を流したか。

 

巻き返しのための策略

 太宗から遠ざけられた武照は巻き返しを図るべく勉強をして教養を身につけ、太宗が重臣たちと会議をする時には密かに裏手でそれを聞いて政治のイロハを学んだという。このような勉強を彼女は10年続けたという。

 しかしそこまでした武照に危機が訪れる。太宗が病に倒れたのである。太宗がこのまま亡くなると子供に恵まれなかった後宮の女性たちは出家させられることになる。そうなると彼女の野望も終わりである。そこで彼女は次期皇帝である高宗に接近して深い関係となったのである。そして太宗の死の3年後、後宮に復帰、高宗の子を身籠もる。

 皇帝の子を身籠もって権力を持った彼女は、自分の反対者を追放していく、その時にかつて自分を虐めた異母兄弟たちを長安から地方に左遷したという。彼らは二度と長安の地を踏むことは出来なかったという。「恨みは10倍返し」である。

 

皇后を廃して自らが皇后となる

 彼女は29才で皇帝の男子を産む。彼女は皇后の座を狙って、当時の正室であった王皇后の追い落としを画策する。彼女はそのために自らの娘を殺して、子のない王皇后が嫉妬で殺したという噂を流す。高宗は王皇后に不信を感じて皇后を廃しようとするが、これに重臣たちが反対した。当時の重臣たちは名門出身者が占めていたので、名家の出身である王皇后についたのだという。そこで武照は名家の出身でないために出世できずにくすぶっていた者達を側近に登用して発言機会を与えていく、そうやって自分のシンパを宮中に増やしていき、ついには自らが皇后になることに成功する

 なお幽閉された王皇后は武照によって鞭打ちの刑を受けた上で手足を切断されて殺されたという。遺体は酒壺に漬けられ、武照は「骨まで酔わせておやり」と言ったというのだが、これが事実なら異常なまでの残虐非道であるが、どうもこれも後の世の創作のような気がしてならない。

 

皇帝をコントロールして権力を握る

 皇后になった武照は高宗が政務を行う時、常に後に御簾越しに控えて皇帝をコントロールするようになった。人々はこれを垂簾の政と呼んだという。権力を握った武后は自分の脅威となる者を片っ端から排除したが、それは自らの息子にまで及んだという。彼女は自分の権力を守るために皇太子で息子の李弘を毒殺したという。

 権力を強める武后を排除しようと高宗が動いたこともあったが、それは事前に発覚してしまい、高宗は宰相がしようとしたことだと言い逃れた(情けない皇帝だ・・・)。その結果、宰相はその一族までがすべて処罰されて処刑された。これで武后に逆らう者は誰もいなくなった。その一方で武后は実は自分の地位は皇帝の一存でどうにでもなる不安定なものであることに恐れを抱く。そして彼女の野望はついには自らが皇帝となることに向かうようになる

 彼女は着々とその布石を打つ、女性の地位を上げるためにそれまで父の死にだけ喪に服していたものを母の死にも適用したり、自らを天皇に対する天后と名乗り、皇帝と対等の格付けであることを強調した。

 

そしてついに自らが皇帝になるが・・・

 武后が60才の時に高宗が崩御するが、彼女はすぐには皇帝につかず、息子を皇帝に立てて様子を見た。そして自らの支持を固めるために科挙の合格者を優遇したという。また密告を奨励して役人たちを締め付けた。しかし彼女が密告者を重用したことから、出世のために出鱈目な密告をしては拷問で罪を自白させる酷吏と呼ばれる連中が台頭することになったという。

 彼女はさらに民衆の支持を得るために仏教を保護し、自らをモデルとした仏像も築かせたという。そうして回りを支持者で固めた上で、周囲から武后を皇帝に望む声を上げさせてから皇帝の地位に就くことになる

 彼女は皇帝になると都を長安から洛陽に移し、さらに国号を唐から周に改めた。これで有力貴族たちの影響力は低下、さらに科挙からの人材登用を進め。さらに武氏の一族を重用し始める。しかし存在意義を失った酷吏たちが暴走、無実な有能な官僚たちを次々と処刑する事態に陥り、この頃から国が傾き始める。しかし唐の武后は愛人にのめり込むようになってしまう。やがて武后の愛人と言うことだけで権力を持った連中に対し、宰相が中心となったクーデターが起こり、愛人たちを切り捨てて武后の息子を立てて武后に退位を迫るという事態が発生する。この時に武后は「来たるべきものが来た。あとは静かに成り行きにまかせ消えゆくのみ。」と語ったという。そして10ヶ月後、自らの帝の称号は取り去って則天大聖皇后と称するということと、自分に刃向かったすべての者達の罪を許すということを遺言に残して82才でこの世を去ったという。


 悪女というよりも猛女という印象ですね。自衛本能と裏返しの異常に強い上昇志向があったが、至尊の地位に就いてしまったらその時点で自らの人生の目標を見失ってしまったというところでしょう。権力を持つということが目的であって、その権力を行使して何をするというビジョンは彼女にはなかったのでしょう。だから皇帝になってしまったら何をするでもなく愛人に溺れてしまった。優秀な女性であったのは間違いないですが、その辺りが彼女の限界だったということも言えそうです。

 なお様々な悪逆非道の残虐伝説があるようですが、大半は後に話を盛っている部分があるだろうと思います。男尊女卑社会の中で、女だてらに権力を握ったらそのことだけでも悪女扱いされるのは致し方ないところ。もっとも彼女がかなり苛烈に反対派を弾圧したというのは事実だったろうとは思いますが。

 

忙しい方のための今回の要点

・後の則天武后こと武照は下級役人の家に生まれ。その美貌が認められて後宮に迎えられる。
・時の皇帝の太宗に寵愛されるが、不吉な予言のために遠ざけられることになる。そこで彼女は皇太子である高宗に接近して深い仲となる。
・高宗が即位した後は、皇后を廃して自らが皇后となる。そして皇帝をコントロールして実質的な権力を握るようになる。
・皇后の地位の不安定さに気付いた彼女はついに自らが皇帝になることを目指す。
・彼女は宮廷内での自らの味方を増やしていったが、その過程で反対者排除のために密告を奨励したことから、酷吏と呼ばれる連中が台頭することになる。
・彼女は周囲から望まれるという形で皇帝に就くことに成功するが、その後は酷吏が暴走して有能な役人を次々処刑するなどして国が傾いていくことになる。
・また彼女自身も愛人を重用したりなどをしたことから、ついには宰相が中心となったクーデターが起こり、彼女は息子に帝位を譲ることを迫られることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ実際のところ、彼女は皇帝になって何をしたかったのかというのが見えないんですよね・・・。やっぱり保身のためにも権力者になるということが目的であって、権力者になったあとのビジョンはなかったんでしょうね。
・彼女がここまでやれたのは、彼女の才覚という部分が大きいですが、高宗があまりに情けないという部分も大きかったような気も(笑)。高宗は優しい人というよりも、弱い人だったんでしょう。太宗にしたらもう国は治まったからこいつでも十分だろうと後継者に選んだんでしょうが。

 

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