今日の主人公は立花宗茂。名将として知られ、関ヶ原では西軍について浪人になったのだが、そこからただ一人旧領に復帰したという奇跡のような逆転劇を演じた人物である。
大友配下の名将二人を父に持つ男
立花宗茂は大友宗麟の臣下であった高橋紹運の息子として生まれ、同じく大友宗麟の臣下であった立花道雪に養子に迎えられる。つまりは実の父も養父も共に名将なのである。なお番組では全く触れていないが、立花道雪の養子になった時に道雪の娘の誾千代と結婚して婿養子の形になったのだが、生憎とこの誾千代とは相性が悪く(彼女が自分こそが立花家の跡継ぎであるという意識が強すぎたせいとも言われる)、関係は険悪で結局別居になったという話がある。こと男女の相性だけはいくら名将の父でもどうにもならなかったわけである。
島津を相手に奮戦、秀吉に気に入られる
大友氏は九州で島津の侵攻を受けて秀吉に救援を求めることになる。そして筑前に侵攻する島津の大軍を食い止める役割を果たすことになったのが、岩屋城の高橋紹運と立花山城の立花宗茂だった。岩屋城の紹運はたった700兵で島津の大軍に徹底抗戦し、最後は自らは自刃、城兵は一人残らず戦士という壮絶な最期を遂げる。そして立花山城の宗茂も劣勢を強いられたのだが、彼は一つの勝算を抱いていた。そして持ちこたえること1ヶ月、秀吉の九州征伐が始まり大軍がやって来る。それを受けて撤退する島津軍の背後を、宗茂はたった1500の兵で討って出て大いに損害を与えた。まさか宗茂が討って出てくるというのは島津も想定外だったらしい。秀吉は宗茂の武勇が気に入り、彼を柳川10万石の大名に取り立てた。こうして宗茂は大友の家臣から戦国大名の一人になったのである。
関ヶ原で西軍につくが敗戦
宗茂は秀吉の配下となり、その後も小田原合戦や朝鮮出兵などで手柄を上げて武名を轟かせる。しかしそんな彼の転機となるのが秀吉の死後の関ヶ原の合戦だった。石田三成と親交のあった宗茂は西軍として参戦する。彼は三成からの1300の兵を出してくれという要請に対し、4000もの兵を引き連れて戦場に臨んだという。当初は大垣で東軍を迎え撃つ予定だったのだが、西軍についていた京極高次が東軍に寝返ったことから、その居城の大津城攻略を依頼される。大津城は三重の堀に囲まれた堅固な湖城であった。そこで宗茂は長等山に大砲をすえて大津城を砲撃する。高次は抵抗するが猛攻に耐えかね、ついに9月15日に開城する。
しかしその9月15日はまさに関ヶ原で西軍が敗北した日であった。大津城に入城した宗茂はその時はそのことをまだ知らなかった。なお磯田氏は宗茂に相当に思い入れがあるらしく、そもそも家康が関ヶ原の合戦を9月15日にしたのも、宗茂がいない時に決着を付けるためだったと言っている。まあ家康がそこまで宗茂一人を恐れたかどうかは分からないが、大津城に行っている軍勢が戻ってこないうちにという考えぐらいはあったかもしれない。
そして宗茂の選択は
そして翌日、西軍敗北の報を聞いた宗茂。ここが彼の選択の時となる。1つは大阪城に籠もって戦うという方法。総大将の毛利輝元を説得して秀頼も味方につければ堅固な大阪城で家康に対抗するのは十分可能である。2つめは九州に戻ること。宗茂は実は島津義弘と親交があり(元々は親の敵なのだが、マッチョ同士で気が合ったのかもしれない)、どうやら何らかの密約も交わしていたようである。ここで番組ゲストはほとんどが九州に撤退という意見であったが、私の意見は「大阪城で籠城したら面白いのだが、そもそもそういう事態は絶対に発生しないだろう」ということである。
というのも、豊臣恩顧の大名を引き連れている家康としては、この時点で秀頼のいる大阪城を攻略というわけにはいかなかったろう。ここまでは奸臣三成を討つということで、豊臣恩顧の大名も家康についていたが、このまま秀頼に刃を向けるようなことをしたら、福島正則や加藤清正などの豊臣恩顧の大名はさすがに離反したと思われる。だからこの時点ではまだ家康は大阪城を攻める気もなければ理由もないし、また大阪方も淀君は「あれは三成が勝手にやったこと」という姿勢で距離を置いていたし(そもそも三成の要請に従って秀頼が出陣していたら、それだけで関ヶ原の結果は変わったと思われる)、毛利輝元も全く戦意がなかった。
浪人からの復活
そういうわけで史実は、宗茂は一旦大阪城に入って総大将の毛利輝元に籠城戦を進言したのだが、全くやる気のなさそうな輝元を見て諦めて九州の自分の領地に戻ってしまうのである。その後、柳川城は東軍の軍勢に囲まれる。宗茂は自らの命と引き替えに家臣を助けることを望んだらしいが、東軍の加藤清正は宗茂を助命したらしい。ここでもマッチョ同士の共感があったと思われる(笑)。
浪人となってしまって、自らについてきた家臣達の面倒も見ないといけなくなった宗茂は立花家再興のために家康に接近を図る。宗茂の武勇と人格が気に入っていた家康は宗茂に陸奥棚倉3万石の領地を与え、宗茂は大名として復活することになる。そして大坂の陣を経て秀忠の側近となった宗茂は柳川に復帰することとなるのである。西軍の将としては旧領に戻れたの彼一人だけである。
番組ゲストが「真っ直ぐで格好いい人」と言っていたが、確かにとんでもなく真っ直ぐな男であり、義に厚くて謀略の類いを駆使しない人物だったようだ。また自分が婿養子という立場もあって、家臣に対して非常に気を使ったようでもある。そのような人物だけに敵味方の別なく「彼は信用できる」と思わせたのだろう。磯田氏が「人間不信の固まりのような徳川親子にそこまで信頼されただけでスゴイ」と言っていたが、まさにその通りである。人徳が身を救ったという希有な例とも言えそうだ。部下にしたい戦国武将No1とでも言うところか(笑)。それだけにゲームなんかでも人気のキャラのようですが。
忙しい方のための今回の要点
・立花宗茂は大友宗麟の臣下で名将の高橋紹運の息子として生まれ、同じく大友は以下の名将・立花道雪の養子となる。
・九州で島津の大軍勢を向こうに激戦をし、秀吉に気に入られて柳川10万石の大名に出世する。
・三成と親交があったために関ヶ原の合戦では西軍につくが、大津城を攻略している間に関ヶ原で西軍が敗北してしまう。
・その後、宗茂は大阪城での籠城戦を考えるが、総大将の毛利輝元が全く戦意のないのをみて断念、九州の自分の領地に戻る。
・九州では東軍の軍勢に包囲されて家臣を救うために降伏。東軍の加藤清正は彼を助命、宗茂は浪人になる。
・その後、家康に接近。彼を気に入っていた家康は陸奥棚倉3万石の大名に取り立てる。その後、秀忠の側近となって柳川の旧領に復帰を果たす。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・高橋紹運の力と立花道雪の技を引き継いだ男ということで、仮面ライダーV3のような奴です(笑)。そう言えばライダーの中でもV3というのは一番格好良い男だったな。
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