今回の主人公は山本五十六。アメリカをよく知る彼は、アメリカとの戦争には勝算がないとして反対していたにもかかわらず、結局は真珠湾奇襲攻撃を立案して太平洋戦争へと突入することになってしまう。その葛藤を分析する。
アメリカを実際に見て、対米戦争の不可能さを痛感した山本
山本が初めて戦争に参加したのは、日露戦争で連合艦隊がバルチック艦隊を撃破した日本海海戦である。この戦いは日本軍の大勝利だったが、この戦闘中に山本は左手の指を2本失う大けがを負っている。
その後の山本は駐在武官としてアメリカに渡っている。そこで彼はアメリカの豊富な石油資源と大量生産による巨大な工業力を目の当たりにしており、もしこの国を敵に回したら日本には勝算は全くないということを身に染みて感じている。またこの時に航空機産業の発達に注目しており、航空機の兵器としての将来性に目をつけている。
ロンドン軍縮条約に関する海軍内での対立
一方日本ではロンドン軍縮条約に基づいて決定された米・英・日の戦艦保持率の5:5:3という比率に対する不満が海軍内でも湧き上がっていた。アメリカの国力を十分に認知している者からすれば、国力を考えるとこれでも過剰ぐらいの考えがあったらしいが、海外の事情を知らずに軍国メルヘンに浸っている連中や、艦数の減少によるポストの減少に不満を持つ輩などは条約破棄を求めていた。こうして海軍内では条約破棄を求める伏見宮博恭王を中心とした艦隊派とそれに反対する条約派の二派に分かれた対立状況となっていた。やがて艦隊派による条約派に対する攻撃が始まり、多くの条約派の軍人が退役に追い込まれていた。その時に親友である堀悌吉を案じて、伏見宮博恭王と直談判したがかなわなかったとする。
番組を見ているとここでどうもすっきりしないところがある。アメリカとの交戦は不可能と考えていた山本が、なぜかこの粛清で安泰だったうえに条約派の友人を守ろうとしてまでいるということである。これは調べてみると、実は山本はロンドン条約には公然と反対の立場を表明した艦隊派だったということが分かる。どうもこのあたり、山本という人物が今一つ分かりにくいところである。本音では条約派に同意しつつも、政治的配慮で艦隊派に与していたのか、それとも本音から艦隊派だったのか。もっともこの後の山本のトントン拍子の出世を考えてみると、そういう力学を読んで政治的にふるまえる人物であったという可能性は高い。
政治の世界に入り込む山本
軍縮会議ののちに山本は海軍航空本部技術部長の職に就き、ここで国産航空機の開発に尽力、これが後のゼロ戦の開発などにつながっていく。日本航空部隊の基礎を築いたわけである。
1年後、山本は海軍次官として海軍省に出仕を命じられる。海軍大臣を補佐する政治的役割である。翌年に山本と意志を通じている米内光政が海軍大臣となったことで、山本は国政に関与していくことになる。
この頃に日中戦争が始まる。そしてドイツやイタリアと三国同盟を締結しようとする動きが起こり始める。しかし海軍はこれには反対だった。ドイツと同盟すると即座にアメリカと敵対することになるが、当時の日本はアメリカから石油を輸入しており、石油が止まれば海軍の艦船を動かすことさえ不可能になるからだった。反対派の急先鋒だった山本には暗殺の危機さえ迫ったという。
しかしその後、独ソ不可侵条約が締結され、ドイツとソ連を挟み撃ちすることを狙っていた同盟推進派の思惑は崩れ、三国同盟は立ち消えとなり、ヨーロッパ情勢を読み誤った内閣は退陣する。この時に山本は海軍省から転出することになり、連合艦隊司令長官に就任する。
連合艦隊司令長官となるが、対米戦争の危機に直面する
間もなくドイツのポーランド侵攻が始まり、第二次大戦が勃発する。ドイツは破竹の勢いで進撃し、オランダやフランスが降伏する。このドイツの勢いに再び三国軍事同盟の気運が盛り上がってくる。日本は東南アジアのオランダ領となどの資源を入手しようとしたのである。これに対してアメリカのルーズベルトが日本に対してガソリンと鉄くずを禁輸するという強攻策をとってきて、事態は抜き差しならぬ状況となる。
この状況で海軍内でも伏見宮博恭王を中心として三国同盟賛成派が主流となり、山本も同意を求められる。山本はこれに対して「重油は何処よりとるや、鉄は何処より入るや」と正論で反対するが、正論は軍事ロマン主義の前に無視されてしまう。
首相の近衛文麿に呼ばれて対米戦争の展望を聞かれた山本は「半年や1年は存分に暴れるが、2年3年となるとどうなるか分からない。三国同盟になったのは致し方ないが、アメリカとの戦争は極力回避するように」と発言する。
対米戦争回避を願っていた山本にとっての皮肉な結果
ここで山本に迫られた選択は、対米戦争を早期に終わらせるために奇襲攻撃で決定的ダメージを与えてアメリカの戦意を挫くという方法と、米内光政に復帰してもらってあくまで戦争回避で海軍をまとめるという二つの道だった。
結局山本は奇襲作戦を提案した上で、米内を軍令総長に起用するという人事案も同時に提出する。しかし山本の人事案は無視され、奇襲作戦だけが採用されることになってしまった。山本はギリギリまで対米交渉の行方を見守ったがそれも決裂(元よりルーズベルトは日本を戦争に引き込むつもりだったので、交渉をまとめる気などサラサラなかった)、奇襲作戦が実行されることとなる。
真珠湾への奇襲攻撃は成功する。しかし山本にとっての計算違いが既に多数生じていた。まず一番の標的であった空母部隊が真珠湾に不在で無傷で残ったこと(日本の暗号はアメリカにダダ漏れだっので、作戦を察知したアメリカ側が事前に避難させた可能性がある)。アメリカ人は戦意を喪失するどころか、むしろ対日戦争で盛り上がってしまったこと(アメリカ人の「やられたら倍返し以上」という国民性の読み誤りと、元より日本と戦争したかったルースベルトによる反日宣伝効果)。しかし一番の読み違いは日本国民自体が大勝利に舞い上がってしまって、講和を望む空気など微塵もなくなってしまったこと(一般大衆とは常に想像を超えて圧倒的に馬鹿である)だろう。結局は山本の最も懸念した泥沼の対米全面戦争に突入し、案の定日本軍はジリ貧となっていき、山本自身も前線の視察中に暗号傍受によって先回りしていた米軍機に待ち伏せされ、ブーゲンビル島上空で乗機が撃墜されて戦死することになる。
山本五十六は結局は最後の破綻までを見通していたにもかかわらず、大きな流れに飲み込まれて何の有効な手も打てなかったということになる。山本の生涯を見ていると「予言者の悲劇」のような感も受けるのである。この時代の避戦派はカサンドラ(予言能力があったのだが、その予言に誰も耳を貸さないという呪いを受けていた女性)のようなものである。
そもそもカサンドラのような伝説が残っていること自体、昔から「先の物事がよく見えて、破局を予想しているにもかかわらずそれが聞き入れられなかった例」というのがごまんとあったということでもあるのだろう。現在の地球温暖化の問題などまさにそうだろう。多くの予言者が危険を訴えているのだが、悪い報告をもたらした使者の首をはねるようなトランプ愚王の元では世界は破綻へまっしぐらである。
忙しい方のための今回の要点
・アメリカに駐在して実際にアメリカの工業力を目の当たりにした山本五十六は、アメリカと戦争したら勝ち目がないことをよく分かっていた。
・しかし日本ではドイツの快進撃を受けて日独伊三国軍事同盟の気運が盛り上がる。アメリカとの戦争になることを恐れる山本はこれに反対するが、彼の意見は黙殺される。
・三国同盟の締結により、アメリカとの全面衝突が不可避となってきた中、山本は対米戦争を早期に決着させるための奇襲作戦と、対米戦争を回避するための人事案の二つを提出するが、奇襲作戦だけが採用されることになる。
・奇襲は成功するが、山本の目論見に反してアメリカの戦意はかえって高揚し、一方で日本は戦勝に舞い上がってしまって、全面戦争への道を歩み始める。
・結局泥沼の戦争の中、山本は待ち伏せ攻撃を受けて乗機が撃墜されて戦死する。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まあこれだけの流れになってしまったら、山本一人がどう抵抗したところで流れを止めることは不可能だったのだろう(山本どころか天皇にも止められなかった)。歴史は往々にして、後になれば誰が考えても愚かとしか思えない方向に雪崩のように進んでしまうということがあるが、この時の日本がまさにそうだったと思われる。望むらくはこれからの日本が再びそういったことにならないことをだが、昨今の日本人の愚民化の激しさを目の当たりにしていると、そう遠くない将来に大破綻が来そうな気がして心配でならない。
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