今回は年末のこの時期にはお馴染みの第九を作曲したベートーベン。彼は音楽家のあり方を変えた偉大な作曲家だが、難聴で苦しんだことでも知られている。
宮廷音楽家の境遇に疑問を感じ、音楽家としての自立を模索する
ベートーベンはドイツのボンで1770年に宮廷音楽家の息子として生まれた。幼い頃より音楽の才能を発揮した彼は、13才で宮廷オルガニストにまでなる。しかし当時の宮廷音楽家は貴族の食事のBGMなどを提供する職人であり、庭師などと同じ使用人扱いであった。そのような生活に彼の不満は高まっていった。
そんな時にフランスで革命が起こる。王侯貴族の特権を廃してすべての人が自由平等であることを訴える革命の理念は若きベートーベンの心を揺さぶる。この頃に彼が親友に宛てた書簡には「僕の芸術は僕と同じ貧しい人々の運命の改善に捧げられなければならない」と記しているという。
貴族ではなく市民のために音楽を作ることを決意したベートーベンはウィーンに移る。ここで彼は出版社に楽譜の出版権を与えることで収入を得るという音楽家の新しいあり方を確立する。またコンサートのチケットを一般に販売する(かなり安価な席も設けてある)ことで、お金さえ払えば誰でも音楽を聴くことが出来るようにした。それまでの貴族のサロンでの音楽を、一般人の元に解放したわけである。またそれまでの音楽の内容も変えた。彼は自らの心情を音楽で表現した。時にはそれはかなり激しく、貴族の食事のBGMの音楽とは根本的に異なるものだった。
突然の原因不明の難聴に苦しむ
しかしその頃から、彼の体に異変が現れる。音楽家にとって命とも言える聴力が段々と衰えてきたのである。彼の難聴の原因は今までは耳小骨に異常が発生する耳硬化症ではないかと推測されてきたのだが、近年になって当時のベートーベンの解剖結果記録が見つかったことで、耳硬化症ではないとの考えが有力となったという。それに代わって提案されているのが、若年発症型両側性感音難聴という病気だという。
この病気は内耳に発生する障害で、高音が聞き取りにくくなるのが特徴だという。ベートーベンは友人に「話し声は聞こえるのだが、中身が全く分からない」と言っており、これは高音が聞き取りにくくなったせいで子音が判断できなくなったからだという。この病気は難病指定されており、日本国内でも4000人の患者がいるという。加齢性難聴と違い、40才以下で発症する場合に内耳が壊れる遺伝子を先天的に持っていることが近年になって明らかになったという。現在は人工内耳によって治療するとのこと。
というのがこの番組の見解であるが、私は別の説としてワインに鉛を加えて飲んでいたことで神経障害になったのではというのを聞いたことがある。ベートーベンがワインをよく飲んだのは知られているが、当時はワインに鉛を加えると味がまろやかになるとして流行しており、ベートーベンもそれをしていたので聴覚神経が損傷したのではとのことである。確かに神経の損傷でも言葉が判別できなくなるのであり得ないとは言えない。
絶望の淵から立ち上がって名曲を量産する
聴力の衰えにベートーベンは、ハイリゲンシュタットに籠もって医師が提案した治療法を様々試したがことごとく効果はなく聴力は落ち続けていった。絶望に駆られた彼は自殺まで考えたという(ハイリゲンシュタットの遺書と言われる文書が残っている)。そんな彼を立ち上がらせたのは英雄・ナポレオンの登場だという。自由と平等のために革命軍を率いて周辺諸国に勝利していたナポレオンの姿にベートーベンは感銘を受けて、交響曲第3番「英雄」を作曲する。なおこの番組では省いているが、この後にナポレオンが皇帝になったことを聞いた彼は「あいつもただの野心家に過ぎなかったのか!」と怒って、「ナポレオンに捧げる」と書いてあった表紙を破ったとの話も残っている。
なお音楽史的にはこの「英雄」登場後がロマン主義の時代と分類される。とにかくこの後のベートーベンは傑作の森と呼ばれる奇跡の10年をうみだす。
難聴となったベートーベンが使用していた補聴器が残っているが、電気的な音声増幅装置のなかった時代なので、巨大なラッパのようなもので、そのサイズは聴力の低下と共にだんだんと巨大になり、ついには手で支えられないようなものになる。またベートーベン用に改造した特殊なピアノなども作られたらしい。しかしそうやってもベートーベンは40才半ば頃にはほぼ完全に聴力を失ったらしい。そのために多くの筆談帳が残っているという。
なお難聴の進行が彼の作風にも影響を与えているという研究報告もある。弦楽四重奏曲を調べたところ、難聴の進行と共に高音の使用が減ってきているという。高音から聞こえにくくなってきたためだと思われるとのこと。
最後が近づいたベートーベンが第九に込めたメッセージ
ベートーベンが50代となった頃に新たな病魔が襲う。黄疸の症状が現れたという。長年ワインを愛飲してきた(ほぼアルコール依存症レベルで飲んでいたらしい)ことによる肝機能障害。アルコール性肝硬変と思われるとのこと。ベートーベンも自らに残されている時間が最早残り少ないことを痛感する。
この頃にベートーベンが作曲に取りかかったのが第九である。この時代になるとヨーロッパでは革命への反動で王侯貴族が力を取り戻しつつあり、フランスでもとうとう王政が復活してしまい、自由を訴える人々は弾圧を受けていた。この時代に何かのメッセージを残したいと考えるベートーベンはシラーの詩に注目する。シラーの詩はFreude(歓喜)を訴えている詩であるが、実は良く似た綴りのFreiheit(自由)の意味を伏せているのだという(検閲逃れ)。この意図から意味を読み解くと「自由の力が身分や階級の差をなくす」という意味になるのだとか。ベートーベンはこの詩の意味を抽象的な音楽で表現することは困難と考えて、交響曲に合唱を組み合わせるという極めて斬新な試みを行う。ここでベートーベンはソプラノ歌手が「発声器官への拷問」と抗議したというような過酷な超高音連続を行っているのだが、これはベートーベンが完全に聴力を失って、頭の中でのイメージに忠実に作曲するようなったからこそのものだとしている。実際に先の研究でも、40代までは減少していった高音が、50代になると再び増加しているとか。
ベートーベンの第九はベートーベン自身の指揮によって初演されている(番組では説明していないが、実際は耳の聞こえないベートーベンにはまともに指揮は出来ないので、補助の指揮者がついて実質的には彼が指揮をしている。映像で後で指揮らしき事をしている人物がいたのがそれ。)。この初演は爆発的な賞賛で迎えられるのであるが、ベートーベンはそれが分からず、そばにいた歌手に促されて初めてそれに気付いたとある。
ところで番組ゲストの清塚信也氏がこの曲は「サビまで1時間の前ふりが」という言い方をしているのだが、確かに多くの素人はそういうように考えているだろうが、仮にも音楽関係者がそれを言っちゃあおしまい(笑)。実際には第1~3楽章も十二分に魅力があるんだから。もっとも年末の第九コンサートなんか、ほとんどの客はここらで落ちてしまってるのは事実ではあるが。また第4楽章も最初は第1~3楽章の主題を振り返りつつ、歓喜の断片がチラチラと現れて、いよいよかと思ったら突然にまたいきなり暗い旋律がそれを激しく妨害したところでバリトンが「おお友よ、このような旋律ではない」と来るというように非常に回りくどいのは事実ではある。
またこの曲は長くて難しいので決して入門曲向きではないということもある。竹原氏が「聞きたくなってきた」と言っていたが、実際に聞いたら残念ながらまず1時間の「前ふり」の間に寝てしまうだろう。全くの初心者なら、第九は第九でもベートーベンでなくトヴォルザークの第九「新世界より」をお勧めする。何よりも主旋律が分かりやすいので素人でもそれを追っかけていると曲を見失わないし、静かなために一番寝落ちポイントになりやすい第二楽章に一番有名な旋律があるために眠くならないという強みがある(笑)。その上に10人が10人「格好良い」という第4楽章なんかもあるので、やはり素人の入門曲には一番向いている(実は私もこの曲からクラシックの世界に入った)。
なお第九のFreude(歓喜)は実はFreiheit(自由)なんだという説明があったが、確かにシラーの詩はそう置き換えて読んだ方が意味がスムーズに通る。私は前からこの詩を呼んだ時に歓喜という言葉が妙に浮いてるなと思っていたので、今回の説明を聞いて初めて納得できた。
忙しい方のための今回の要点
・宮廷音楽家の息子として生まれたベートーベンは、貴族の使用人で地位が低かった音楽家の境遇に疑問を感じ、市民の中で音楽家として自立する道を確立する。
・しかしこの頃から難聴に苦しめられる。近年の研究ではベートーベンの難聴の原因は難病の若年発症型両側性感音難聴ではないかとされている(鉛中毒説もある)。
・ベートーベンは一時は自殺まで考えるが、そこから立ち直り傑作の森と呼ばれる奇跡の10年で名作を量産する。
・しかし50代で長年のワインの飲み過ぎが原因のアルコール性肝硬変を発症、残り人生がそう長くないことを悟った彼は、世界へのメッセージとしてシラーの詩を選び、それを合唱として取り込んだ第九交響曲を作曲する。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・年末の第九については日本ではオケの餅代稼ぎとも言われる年中行事なので、正直今更聴きに行く気にならなかったりしますが、それでも名演に出くわすとこの曲は猛烈に感動しますよ。段々と曲が分かってくると、第1楽章の緊迫感なんかも良かったりするんですよね。ベートーベンの曲って言うのは、あえて聞こうとはあまり思わないんだけど(有名すぎて)、それでも聴くと感動したりするんですよね。
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