教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/16 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「永井荷風 楽しき寂しきシングルライフ」

 永井荷風と言えば「墨東綺譚」で知られる明治から昭和までを生きた文豪の一人だが、その生涯はというと独身で気ままに生きた挙げ句に最後は孤独死という、自由というかとんでもというかな人生を送った人物である。その文豪の生涯を紹介。

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永井荷風52歳の時(出典Wikipedia)

 

エリート官僚の長男として厳格に育てられたが・・・

 永井荷風(本名永井壮吉)が生まれたのは明治12年の東京。父はエリート官僚で長男の荷風には自分と同じ道を歩かせるべく厳しく教育したという。病弱な荷風は15歳の時に瘰癧(結核菌にリンパ節がやられる病気らしい)で入院している。その病床で彼はひたすら読書をしたことで文学の世界に入り込んだらしい。そして学業に身が入らなくなり、17歳で遊郭に入り浸ることに、20歳では落語家に弟子入りし、自由を求めて小説を目指すようになる(遅れて来た反抗期としか思えん・・・)。当然のように父は烈火のごとく怒り、荷風の将来を心配して23歳の時にアメリカ・フランスに留学させる(海外留学経験さえあればどうにかなるだろうという考えもいかにも明治らしい)。大学で語学を学んで日系の銀行などで働いた荷風は、帰国後30歳で慶應義塾大学教授となり、父の勧めで32歳で結婚する。

 ボンクラだった長男もこれでやっと落ち着いたと安心したのか、その3ヶ月後に荷風の父は脳溢血で急死してしまう。父の莫大な財産が転がり込んできた荷風は、うるさいのがいなくなったし金には困ってないしと遊び人の本性を発揮、さっさと離婚してしまう。翌年に新橋の芸者と再婚したそうだが、これも半年後に離婚したとのこと。しかも大学教授の職もなげうってしまう。墓穴から父親が激怒して飛び出してきそうだ・・・。

 

荷風の日常生活

 荷風はその生活ぶりを「断腸亭日常」という日記に詳細に記している(どうも死後に公開されることを想定して書いた日記文学らしい)のだが、ショコラとクロワッサンの朝食を摂ると、後は好きな本を読みふけるという気ままな独身生活をエンジョイしているらしい。

 40歳になると家を売り払って麻布に引っ越し、偏奇館(ペンキ塗りだかららしい)と名付けた新居に移ると人付き合いを避けて気ままな一人暮らしをやはりエンジョイする。荷風の趣味は町をブラブラと散策することで、これを毎日続けてたらしい。寂しくないのかという話もあるのだが、荷風によると孤独こそが創作の泉だという(まあ分からなくもない気もする)。

 心理学的に見ると、孤独は自身に向き合うことになるので想像力を高めるのだとか。実際に実験によると、アイディアの量も質も一人で考えた方が高くなるのだとか(だとしたら、会議って何のためにするの?)。荷風は浅草など人混みの多い場所を一人で歩き、気に入った店には毎日のように通って同じ席に座って同じ物を食べていたという。このように人混みの中に身を置くことで、さらに孤独を感じるのだとか(これも分からなくはない)。そのような生活の中で代表作の「墨東綺譚」が生まれたのだとか。もっともその一方で孤独な人ほど寿命が短いという研究結果もある。

 永井荷風に学ぶ長生きのコツは「今日行くところと今日する用事がある」「行きつけの店がある」(孤独でありながら、人とのコミュニケーションが皆無ではないということのようだ)「金はあっても節約する」(ケチだと言われつつも、ここという時にはポンと大金を出したそうな)であるなどとしている。

 荷風が残した断腸亭日常には、統制された言論界では見られないような自由で鋭い社会批判などが書かれているという。それだけにもし見つかれば大変だと、外出の際には持ち歩いていたらしい。

 

荷風が抱えていた小腸内細菌増殖症

 なおこの日記によると彼は腹痛をしょっちゅう起こしていたことが分かるという。病名は記されていないのだが、これは過敏性腸症候群ではないかと推測されるという。過敏性腸症候群の原因として、近年になって小腸内細菌増殖症が浮上しているという。本来は菌が少ないはずの小腸内に細菌が増えてしまうのだとか。小腸内でガスが発生することによる症状としては逆流性食道炎なんかもあるとか。そしてこれを悪化させる食生活は小麦の糖質。小麦はガスを発生させやすいのだとか。荷風のパン食が祟っていたのだという。なお過敏性腸症候群の人が避けるべき要注意の食材としては豆類、キノコ類、タマネギ、ニンニク、ヨーグルトなどがあるという(一般的には腸に良いとされる食材ばかりである)

 やがて荷風の偏奇館も戦火で焼け、その時に荷風は断腸亭日常と草稿を持って飛び出したとのこと。ちなみに常に腹の具合が悪いと日記に書いていた荷風が、その記述が見られなくなる時期がちょうど戦争で食べ物が不足しだした時期だとか(つまりはパンなどは食べられない)。非常に皮肉なことである。

 

孤独死した荷風の死因

 終戦後、世の中が平和になり始めるとまた荷風の浅草散策が始まる。彼が入り浸っていたのはストリップ劇場だとか。そんな生活を送っていた荷風だが、79歳の時に行きつけのそば屋で倒れて車で家に運ばれることになったという。その後、家の近くを散歩できるぐらいに回復したのだが、2ヶ月後に自宅で吐血して孤独死しているのが見つかったのだという。死因は胃潰瘍とされているのだが、死の前日までカツ丼を食べておりこれはおかしいという。実際の死因は肝硬変ではないか推測されるとのこと。小腸内細菌増殖症も肝硬変の原因になるのだという。小腸内で発生したエンドトキシンという毒素が肝臓に達して肝炎を引き起こし、肝硬変に至るのだという。浅草で倒れたのは肝硬変の合併症で、体内のアンモニアの増殖による意識障害だと推測されるとのこと。また食道静脈瘤の破裂による吐血も見られているという。荷風の死因は肝硬変による合併症からの食道静脈瘤の破裂による出血性ショックと推測されるとのこと。

 

 竹原氏がやたらに「魅力的」ということを言っているが、どうも荷風に対して共感があるようだ。かく言う私も、彼のような生活を送ろうとは思わないが、思い至る点は多々ある(病気も含めて)。

 それにしても今でこそ文学と言えば高度な教養のように言われるが、明治の時代には「文学なんかにかぶれるとろくなものにならない」と言われていました。実際に荷風の生涯を見ていると、確かに文学にかぶれたばかりにろくなものになってないと妙に納得(文豪となったのはあくまで結果論であり、明らかにまともな生活からはドロップアウトしている)。今で言うと、アニメとかにかぶれてオタになるというのと同じ感覚なのでしょう。となると、100年も経つとアニメも「高尚な教養芸術」となるのか? 教科書に手塚治虫や宮崎駿夫が載り、「となりのトトロ」が教材になるか。その頃には手塚治虫は1万円札の肖像だな(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・エリートの官僚の家に生まれた荷風は、子供の頃から厳格な教育を受けるが、入院した時に読みふけった文学に魅入られ、やがてそちらを目指すようになる。
・荷風の父はそれに激怒、荷風は海外に留学に出され、帰国後は慶應義塾大学の教授の職を得て、父の勧めで結婚もする。
・しかしその3ヶ月後に父が急死。遺産が転がり込んだ荷風は、さっさと離婚すると教授の職もなげうってきままなシングルライフを送り始める。
・荷風の日課は浅草などの散歩。人混みの中を一人歩いて孤独を深めることが創作の源泉となっていたという。
・荷風の残した日記文学の最高峰とも言われている断腸亭日常はそんな日常を記した物だが、その中に鋭い社会批判なども含まれており、荷風自身は死後に公開されることを想定して記していたという。
・断腸亭日常の中にも荷風は腹の不調についてやたら記しているが、荷風の病気は過敏性腸症候群と考えられ、その原因として小腸内細菌増殖症が考えられるという。
・荷風は小腸内細菌増殖症を悪化させる要因の一つなるパン食を好んでいた。なおこれ以外にも豆類、キノコ類、タマネギ、ニンニク、ヨーグルトが要注意という。
・荷風は浅草で倒れて家に運ばれた後、一度は回復したものの2ヶ月後に自宅で吐血して死亡しているのが発見された。当時は死因は胃潰瘍とされたが、症状から見て肝硬変からきた食道静脈瘤の破裂による出血性ショックと推測される。なお小腸内細菌増殖症は肝硬変の原因ともなる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・小腸内細菌増殖症については初めて聞いたのですが、要注意食品は一般に腸に良いと言われるものばかりなので、胃腸の具合が悪かったら逆に積極的に取ろうとする類いのものばかりなのが驚きです。正直なところ、今回の番組内での一番の衝撃でした。
・私も親父が遺産でもあったら、荷風に似たり寄ったりの生活になったかも・・・。幸か不幸か私の親父はエリート官僚どころか、貧困プロレタリアートなので、遺産どころか借金がないのが上々ぐらいです(笑)。それと私は荷風のような文才が全くありません。

 

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