教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/30 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「発明王エジソン 脅威のひらめきと集中力の謎」

 今回のテーマは発明王エジソンである。

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発明王エジソン

 

ADHAだったエジソン

 エジソンが抱えていた病気と言われると、もう番組を見るまでもなく「ADHD」と即答できる。エジソンの見せた異常な集中力などの症状はまさに典型例であり、ADHDを説明する教科書に登場するようなレベルである。当然のように番組もADHDの説明から入る。

 ADHDは注意欠如の多動症と言われる発達障害であり、子供の6%、成人で約4%存在するという。ただ一方でADHDは関心を持ったものに対しては異常な集中力を発揮することがある。エジソンが電球を開発する際に、不眠不休で6000種もの炭素素材を実験し、最終的に京都の竹に行き着いて電球の実用化に成功したエピソードなどは、まさにADHDの特徴を示すものである。またADHDの者は空想にふけることが多いため、そこからアイディアを引き出すことがあるという。また即断即決で動くことから、昔からいわゆる起業家などにADHDが多いという。

 要するに天才肌なのだが、番組では説明していないがADHDの者がみな天才で有用な人物というわけではない。エジソンの場合は発明の才を持っていて、それがADHDの異常な集中力とリンクしたので天才として成功したが、一般的にADHDは集中力がないために一般学力が低い場合が多い。また特異な能力を示しても、それが時刻表の丸暗記とかの社会的な有用性の低い分野の場合も多く、結果としては「使えない」人材になってしまう例の方が圧倒的に多い。つまりは本人が何らかの役立つ才能を持っている上で、環境に合致した場合のみ特異な能力を発揮すると見る方が正しい。

 

学校で落ちこぼれて母親に教育される

 実際にエジソンも学校では見事に落ちこぼれている。興味のない授業には関心を示さずにボーッとしているのに、ツボにはまったら教師を質問攻めにしてしまうので教師からは頭のおかしい問題児と見られていた。大抵の場合はそこでそのまま落ちこぼれとして終わってしまうのだが、彼の場合は母親が偉い。母親はこんな学校に息子を置いておいても役に立たないと判断して、学校をやめさせると自ら彼に勉強を教えた。そして息子の才能を見て、彼に10歳で初等物理の本を買い与えたのだという。彼はその本を熱心に読みながら、そこに登場する実験を自ら行ったという。エジソンの才能の開花は母親あってこそであり、それはエジソン自身も回顧しているという。

 

若くしてアイディアマンとしての才を示す

 エジソンは汽車の車内での新聞売りの仕事をするが、そこでアイディアマンとしての才能を示す。当時広まりつつあった電信を利用して、新聞のニュースの見出しを駅の掲示板に掲載してもらうということを行ったという。当時は南北戦争の最中で新聞に対する関心が高かったので、掲示板に「大きな戦争が勃発・・・詳細は新聞で」という調子で記載してもらうことで、新聞は飛ぶように売れたとか。

 その後エジソンは電信技師になる。南北戦争終了後のアメリカ好景気で証券ブームになる。これらの価格の情報は電信で送られたのであるが、当時の電信は数字しか送れなかったので、どの会社の証券の価格かを間違うなんて事が日常茶飯だったらしい。そこでエジソンは数字だけでなく文字も送れるシステムの特許を取得したらしいが、その特許が今の価値で2億円で売れたので、それを元手にして電信機製作の会社を設立することにする。

 エジソンは非常に楽観性の強い人物だったらしい。だからここですぐに会社設立という動きに出たわけである。このフットワークの軽さが起業家にADHDがいるといわれる所以でもあるのだが、それ故の大失敗もあり得るという諸刃の剣である。

 

発明資金を元に会社を設立するが・・・

 エジソンが会社を作ったものの、何しろトップが不眠不休で寝落ちするまで仕事漬けという異常者(笑)だったので、壮絶なブラック職場になってしまったようだ。電信機がトラブルを起こした時などは、技術者と共に部屋に鍵をかけて籠もり、問題が解決するまで60時間技術者達は部屋に閉じ込められたらしい。今なら確実に労基署の査察が入り、エジソンの会社は処分を受けるところである。なお不眠不休で仕事をするのは集中力などが著しく低下するために効率が悪く、お勧めできるものではないとは医師のコメント。まあ当たり前のことである。もっともこういう当たり前のことは天才エジソンには通用しない。なんせ病気なんですから・・・

 いろいろ問題はあったが、この会社で資金を作ったエジソンは、一番好きである発明のための会社をメンロパークに設立することになる。白熱電灯などはここで発明されたのだが、最初の発明は蓄音機だったのだが、これの発明のきっかけは別の機器の実験中に、偶然に音声の記録が可能なのではと思いついたことによるという。

 

蓄音機を発明するが、ビジネスとしては大失敗

 この考えに基づいて彼は蠟管に音声を記録できる蓄音機を発明する。彼はこれを仕事用のボイスレコーダーとして発売するが、大がかりで扱いにくくて音質も悪く録音時間も短い(1分)蓄音機はサッパリ売れず、とりあえずは一旦中断して電灯の開発に注力することにする。そしてこれに成功すると再び蓄音機の改良に挑み、例によっての不眠不休で音楽録音用にも耐える高音質の蓄音機を発明する。

 しかしそのエジソンの前にライバルが現れる。ドイツのエミール・ベルリナーが円盤形蓄音機の特許を取得する。このタイプの蓄音機はディスクをプレスで製造できるために大幅にコストダウンが可能というメリットがあった。また録音時間も円筒型よりも長かった(円筒型の4分に対して7分)。しかしエジソンは音質的に劣る円盤形(内周部分では溝が短くなるためにどうしても音質が落ちる)よりは自らの管型の方が優位性があると考え、自らの円筒型に固執した。しかし市場は円盤形に軍配を上げて、エジソンの円筒型は売れないことに。部下達は円盤形の互換機を出すことを勧めるが、エジソンは円筒型に固執して、結果としては全く売れない蓄音機を40年に渡って改良し続けることになったという。

 

発電方式の争いでも敗北

 さらにエジソンはもう一つの争いで手痛い敗北を喫している。それは送電の直流・交流戦争。エジソンは発電所も経営していたが、そこで採用したのは直流である。しかし直流の場合は途中で電圧の変更が出来ず、家庭使用の低い電圧で送電するために、発電所からせいぜい3キロの範囲の送電しか不可能だった。そのためにエジソンの会社の送電エリアは大都会に限られた。

 エジソンの会社に一人のエンジニアが入社する。それはニコラ・テスラ。彼は難しい計算式も即座に頭に思い浮かべて計算できるという特異な才を持つ天才だった(彼もエジソンとはまた違った病気の気がするが)。彼はエジソンと違って交流システムを使用することを考えていた。交流の場合は変圧器で電圧を調整できるため、発電所から高電圧で送電してから減圧して各家庭に送電することが出来る。そのために発電所から数100キロ先まで送電が可能で、これを使用するとアメリカ全土に送電することが可能だった。ただ交流を採用する場合に問題となったのは、交流モーターの実用化に誰も成功していなかったこと。しかしテスラは既に交流モーターの理論を打ち立てていた。テスラはエジソンに交流システムの採用を提案するが、エジソンはテスラの斬新なシステムに驚きつつも提案を却下する。交流システムの普及こそが自らの使命と考えていたテスラは、エジソンに愛想を尽かせて会社を去る。そして新興のウェスティングハウス社と提携し、交流システムの実用化に成功する。

 テスラはエジソンの発明について「エジソンが干し草の山から針を発見しようとしたら、直ちに蜂の勤勉さで藁を1本1本調べ始めて針が見つかるまで続けるだろう。私なら少々の理論と計算によって、その努力を省けるのにと同情を禁じ得なかった。」と語っている。非常に痛烈な内容であるが、まさにエジソンの発明のパターンを喝破していると同時に、彼の自身の能力に対する自負が覗える言葉である。

 しかしエジソンは高電圧を使う交流は危険であるとして、犬を使った実験で交流の危険性をアピール。高圧送電を禁止する法律を制定してもらおうと動いたらしい(かなり不毛な行為にしか思えないが)。しかし結果的にそんな法律は制定されず、世の中は交流システムが採用される。エジソンは手痛い敗北をしたのである。それにも関わらずエジソンは「今に交流システムが大事故を起こし、世の中は直流システムに注目するはず」と語っていたとか。

 

楽観性バイアスの落とし穴

 エジソンのこの手痛い敗北の原因だが、先にエジソンは「自分は楽観的」と言っていたというが、エジソンは楽観性バイアスが強すぎる人間だったとしている。ある程度の楽観性は人生を前向きに生きるには必要であるが、これが強すぎると自身にとって不利な情報には目を向けないようになり、客観的な情勢判断が出来なくなる。エジソンはまさにその状態だったとする。

 もっともその楽観性のおかげで、エジソンは研究所が火災で丸焼けになった時も全くめげなかったという。なお晩年のエジソンは持病の糖尿病の悪化で苦しんだらしいが、それでも身近な植物からゴムを製造するという研究に打ち込んでいたという。死ぬまでワーカホリックだったわけだが、ついに84歳でこの世を去る。アメリカでは町の明かりを消して、偉大な発明家の死を悼んだという。

 

 まあ充実した生涯だったのは間違いないですが、かなり異常な生涯でもあります(笑)。彼の場合は完全に仕事と趣味が合致してたのでしょう。彼が自らの行動を「単なる仕事」と考えていたら、ADHDの特徴で全く集中力を持てず、結局は何も出来ない役立たずになっていたところです。仕事と趣味の一致が彼の場合は最もハッピーケースとして花開いたということでしょう。

 もっともこういう人物が経営者になったら、それはそれで社員は困りものです。壮絶なブラック職場になってしまうので、勤まるのは経営者に心酔している同タイプの人間だけです。だから「普通の職場」を求める普通の勤め人にとっては、そういう会社は最も避けるべき就職先になります。それを失敗するとメンタルを病んで自身がつぶれる羽目になります。

 なお「天才とキ○○イは紙一重」と言いますが、まさにその両極端になりやすいのがADHDです。他の者には追随不能な天才になる可能性もありますが、どうしようもないボンクラになる可能性も高いです(実際はこちらの方が多い)。だからADHDだと天才だと勘違いしないように。世の中にはADHDではない天才も多く存在します。

 ところで以前にサイエンスZEROに出演していたサイエンスライターの竹内氏を久しぶりに見ましたが、彼は不登校などの学校に適合できなかった児童のためのスクーリングの校長をしているとか。こういう部分のケアは日本がもっとも遅れている部分なのでこういう取り組みは重要です。上手くいくと、生徒の中から天才の原石が登場する可能性があります。

 

忙しい方のための今回の要点

・エジソンは発明の才に不眠不休で仕事をするなど異常な集中力を示したが、彼はADHDであったと推測される。
・ADHDの者は学校で苦労する例が多いが、彼も学校で落ちこぼれ扱いされ、母親が勉強を教えている。
・彼は発明で得た金で会社を設立するが、自身が仕事場に泊まり込んで寝落ちするまで仕事するタイプなので、かなりの壮絶ブラック職場になったようである。
・アイディアマンであったエジソンだが、楽観性バイアスが強すぎるせいで冷静な状況判断が出来ず、蓄音機や発電システムでの手痛い敗北も経験している。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・エジソンは「天才とは99%の努力と1%のひらめき」と語ったという有名な言葉がありますが、テスラなんかだったらこの比率は逆を言うでしょうね。「アイディアとひらめきが99%で、後の1%は実行だけだ」とか言いそう。
・なおエジソンの言葉の真意について、実は1%のひらめきというのが最重要であって、100%の努力では何も出来ないという意味だという解釈もあります。

 

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