最近になって弥生時代の時代像が変化してきたという。それは大量の鉄が発見されるようになったことからだという。
鉄が弥生時代の日本を変えた
従来の弥生時代像は土器と石器の時代というイメージだったのだが、最近になってかなり大量の鉄が使用されていたことが分かってきたという。壱岐のカラカミ遺跡では発掘の結果、鍛冶などを行った後などが見つかり、鉄の加工品が多数見つかったという。壱岐は朝鮮からの鉄の仲介地として有名だったとされる。
また鳥取の青谷上持地遺跡は地下の弥生博物館と呼ばれている。適度な水分を含んだ土地が真空パックのように弥生時代の遺品を封じ込めたのだという。だから通常は錆びて朽ちてしまう鉄製品も大量に発見された。鉄の使用目的だが、すぐに頭に浮かぶのは農具や武器であるが、実際は工具の類いが8割方であったと言う。鉄器の使用は一種の技術革新である。石器では木を削ることは非常に大変であるが、鉄を用いるとそれが容易に可能となる。そのことから巨大な木造建築物を建設したり、木をくり抜くことで巨大な丸木舟を作ることが出来るようになったという。中には耳かきのような工具があり、これは花弁高坏などの高度な木製容器を加工するのに使用されたと考えられるという。つまりこの時代の人たちは既に複数の工具を使いこなして高度な木工をする技術を有していたのである。
朝鮮から輸入された鉄
当時の日本では鉄を製造することが出来なかったことから、これらの鉄はすべて朝鮮半島から輸入されていたと考えられるという。つまりは当時の日本(倭国)は朝鮮と交易を行っていたと言うことである。朝鮮半島のヌクトは交易の中心であったと考えられ、弥生式土器と見られる土器が発見されている。中には祭祀用と思われる土器があり、交易のための短期滞在ではそのようなものは必要にならないことから、現地に駐留する日本人がおり、日本領事館や日本人村のような類いのものが存在したのではないかとされている。
鉄は朝鮮半島の東南部で作られていた。この鉄を得るために日本が輸出したのが米だと考えられているという。この頃の日本では鉄製の農機具のおかげで米の大量生産が始まっていた一方、朝鮮半島では寒冷化で米の生産が困難になってきていたという。つまりは共にウィンウィンの関係だったわけである。
鉄を中心とした全国的交易ネットワーク
またこれらの鉄は主に北九州で交易されたのだが、日本の広い範囲で鉄が発見されていることから、鉄を中心とした国内の交易網があったのではとされている。実際に鳥取の遺跡では高度な加工技術を要する管玉や木細工品が製造されていた痕跡があり、これらは北九州にも輸出されていたという。また管玉の原料となる石は石川県の小松で産したものであることも分かっているという。現代人が思っている以上に弥生人はダイナミック交流を行っていたのである。
鉄を支配に利用したヤマト王権
古墳時代になると鉄の意味が変わってくるという。この頃はヤマト王権の時代になるが、鉄は権威の象徴となってくる。ヤマト王権は鉄の武具などを作って、古墳の副葬品などに埋められていたという。これは自分達がそれだけの鉄を持っているという力の象徴なのだという。また鉄の鎧なども作られており、これらはヤマトから地方の有力者などにも送られているという。ヤマト王権は鉄を分配することで日本中に勢力を広げたのだと考えられるという。
古墳時代の後期になって、ようやく日本で砂鉄から鉄を作り出す技術が確立する。これがたたら製鉄であり、日本独自の技術だという。6世紀になって、ようやく日本は自らの鉄を手に入れたわけで、この後に日本独自の製鉄の時代が続くことになる。
鉄と日本との関わりの話でした。そう言えば以前にNHKスペシャルでアイアンロードというのを放送していましたが、あれは東欧で始まった製鉄が中国に伝わってくるまでの話でしたから、今回の話はその先の終端部の話ということになります。とにかくかつて鉄は金よりも貴重だったと言われているそうです。確かに金は装飾品には使えますが、とにかく実用にはなりませんので(柔らかすぎる)。
しかし最近になって分かってきた弥生時代像というのは、想像以上に進んでいる上にインターナショナルだったようです。実は平安や鎌倉時代なんかの方が日本は閉鎖的だったように思いますね。今時グローバリゼーションなんて偉そうに言ってますが、実は既に弥生時代にグロバリぜーションは行われていたとなると興味深い。
また鳥取で出てきた遺跡では鉄を大量に工具に使用していたのに対し、ヤマト王権では武具に使用している。この辺りも出雲を中心とした政権と大和の政権の性格が違うことを示しているように思いますね。「出雲と大和展」でも感じましたが、やはり出雲は祭祀中心の文化的政権だったのに対し、大和は軍事政権だったんでしょう。
忙しい方のための今回の要点
・弥生時代、鉄を中心とした広域の交易が行われていた形跡が見つかってきた。
・当時の日本では鉄が作れないため、米を朝鮮に輸出して、朝鮮で製造した鉄を輸入していた。朝鮮に交易のために常駐している日本人もいたとみられている。
・こうして輸入した鉄は各地に交易で広められていたようである。
・古墳時代になると、鉄は権力の象徴となった。ヤマト王権では鉄で作った武具を副葬品とするだけでなく、地方の有力者に送ることによって勢力圏を日本中に広げていった。
・6世紀になるとようやく日本独自のたたら製鉄が行われるようになる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・弥生時代って、現代の我々が思っているよりも実は進んでいたのではというのが最近の研究成果です。現代人の悪いクセの一つは、とかく古代人を馬鹿だと思い込んでしまうこと。実際は古代人は現代の科学技術がないだけで、知能の程度は現代人と変わらない(場合によっては、今時のろくに勉強してない一般人よりも賢いのでは)ということを忘れがちになります。昔のテレビ番組なんかで、古代の技術ではこんな建造物は作れないのではという話に、研究者が「こういう方法を使えば当時の技術でも可能」という説明をしたら、「しかし古代人がそんなことを思いついただろうか」と宇宙人が関与したというような結論に無理矢理持っていっているようなのが普通にありましたから。
・かつてはナスカの地上絵なんかも「飛行機などがないと描けるわけがないから、宇宙人が描いたに違いない」という大馬鹿な結論に持って行っている番組なんて普通にありましたね。あれは特別な道具がなくても簡単に描けるというのは今では常識ですけど。
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