教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/19 NHK 歴史秘話ヒストリア「法隆寺 1400年の秘密」

 世界最古の木造建築で世界遺産である法隆寺。その法隆寺が1400年の歴史の中でくぐり抜けてきた危機について紹介。

 

聖徳太子の願いのこもった法隆寺

 法隆寺を建立したのは聖徳太子である。聖徳太子は十七条憲法の導入で豪族同士の争いを律すると共に、仏教の導入によって争いのない世の中を作ろうと考えていた。しかし聖徳太子が病没したことで法隆寺は危機に瀕する。皇位継承争いで聖徳太子の一族は滅亡、そして法隆寺は火災で焼失する。創建60年で歴史を終えるかと思えた法隆寺だが、人々の手によって再建され、今日の姿が整うことになる。

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最近は聖徳太子でないというのが通説の聖徳太子像

 奈良時代、光明皇后は聖徳太子の老若男女問わず成仏できるという教えに共感を抱く。この時代は女性は極楽浄土に行けないことになっていたのである(スゴイ女性差別である)。光明皇后は法隆寺に多くの宝物や仏像を寄贈し、夢殿を建設、そこに聖徳太子をモデルにしたと言われる救世観音像を収める。

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太子がモデルの救世観音、確かに似てない気もする

 

廃仏毀釈の危機から法隆寺を救った岡倉天心

 しかし明治時代になって法隆寺は危機に瀕する。廃仏毀釈の嵐の中で法隆寺は破壊される危機にさえ瀕していた。また寺領が国にすべて没収されたことで修理の費用さえままならない状態だった。そこで宝物を皇室に寄贈することで修理の費用を工面することにする。この危機に立ち向かったのが岡倉天心である。フェノロサの通訳として各地の寺院を回った天心は特に法隆寺に強く心惹かれていた。法隆寺の現状に心を痛めていた天心は、フェノロサとの欧米視察で、欧米では自らの文化のアイデンティティに重要性を置いているのを知る。帰国後の天心は日本の文化財を保存するための団体を設立、そして古社寺保存法の制定のために奔走する。こうして法隆寺は存亡の危機を免れることになる。天心はその後も全国を回って美術品の発見に努める。そして50歳で亡くなる前の最後の仕事は法隆寺金堂壁画の保存を訴えることだった。

 また法隆寺のPRのための聖徳太子没後1300年の大法要が企画される。これの実現に協力したのが渋沢栄一である。彼は幅広い人脈を駆使して、目標の2倍の寄付金を集めることに成功、大法要は世間の注目を集めることになったという。

 

天平の技を復活させ、金堂を再建した宮大工達

 そして昭和24年、法隆寺の金堂が不慮の火災で焼失するという危機が訪れる。これの再建のために尽力したのが宮大工達だった・・・ということでここからはほとんどプロジェクトXです。

 法隆寺金堂が不慮の火災で焼失した時、その再建に携わったのは祖父の代から宮大工だった西岡常一だった。彼は4才の時から宮大工としての修行を祖父にさせられていた。そして学校を卒業した時に、祖父から頭領としての心得を口伝で伝えられる。難解な文章を必死で覚えさせられたという。そして携わった昭和の大修理で、飛鳥時代の建造物が材木のクセを利用して建てられていることに気付く。「堂塔の木組みは木の癖組」という祖父の言葉の意味を身をもって体感することになる。

 そして昭和24年、不慮の火災で全焼した金堂の修理に常一が取り組むことになるのだが、その前に立ちはだかったのが作り直すことになった28本の柱。独特の木目を現して滑らかに削り上げられたその柱には、長い歴史の間に途絶えてしまっていた技術が投入されていた。ここで使用したのがどういう技術なのかを常一はあらゆる文献を当たって調べる。そして奈良正倉院に収められていた古の道具から、槍のようなカンナである槍かんなを使用していたことが分かる。

 槍カンナの試作品を作ってみた常一だが、どうしてもうまく削れない。何が違うんだろうかと悩む常一は解体中に見つかった飛鳥時代の釘に注目する。そしてその釘を持って刃物を鍛える老舗に出向き、その鋼を使用して槍カンナを鍛えてもらう。そしてこの槍カンナで3年間の修行を重ねた結果、見事に天平時代の削りを復活させることに成功する。宮大工達は復活した槍カンナで急ピッチに工事を進め、わずか5年で金堂の修復に成功する。

 

 なお法隆寺では現在、壁画を撮影したガラス原板をデジタルで保存することによって解析するという作業がなされている。なおこれらのデータは東京国立博物館で3/13~5/10に開催される特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」で公開される・・・というわけで、今回のこの番組がこの展覧会の宣伝だったというのが分かるという仕掛け。そう言えば以前にもこのパターンが何回かあったな。三十六歌仙絵巻の回なんかもろにそうだった。

 

忙しい方のための今回の要点

・世界最古の木造建築である法隆寺は仏教振興に力を入れていた聖徳太子が建立した。
・しかし聖徳太子の死後、その一族は権力争いで滅び、法隆寺も火災で全焼するなど危機に瀕するが、人々の手で再建された。
・奈良時代には聖徳太子の老若男女の区別なく成仏できるという考えに惹かれた光明皇后が法隆寺をさらに拡充する。
・しかし明治時代に廃仏毀釈の嵐の中で法隆寺も危機に瀕する。それを守ったのが岡倉天心だった。彼は日本の各地の寺院などの美術品の保護に奔走する。
・昭和24年、金堂が不慮の火災で全焼するという事故が起こるが、天平の技を研究した宮大工達の手で5年で再建される。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・法隆寺と言えば修学旅行という人が多いようですが、私の通っていた神戸の小学校では奈良は小学5年の遠足で行きます。修学旅行は伊勢参りでしたね。何しろ昭和の話なので今はどうかは知りませんが。
・法隆寺金堂壁画の保存には多数の日本画家が動員させたらしいです。そしてその時のスケッチも残っています。しかし皮肉なことに、火災が発生したのはこの作業に関連してだと言います。暖を取るために使用していた電気座布団が火元になったというのが通説です。

 

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