教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/2 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「汚名返上!室町幕府をつぶしちゃった将軍 足利義昭」

 先月の武田勝頼と豊臣秀次に次いでの汚名返上シリーズのようである。今回の主人公は足利義昭。室町幕府最後の将軍にして、信長の傀儡であったにも関わらず信長に反抗して追放されてしまった将軍とされている人物である。

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足利義昭

 

兄が殺されたことで急遽将軍を目指す

 そもそも義昭は12代将軍足利義晴の次男として生まれた。嫡男以外は出家するという足利将軍家の慣例に従って義昭も6才で興福寺一乗院に入れられて覚慶と名乗った。その後、兄の義輝が将軍となり、覚慶は26才で一乗院の門跡となって寺を継いでいた。本来なら彼はそのまま僧として生涯を終えるはずだったのだが、29才の時に兄の義輝が三好三人衆らによって殺害される(永禄の変。剣豪将軍とも言われている義輝は、所持する名刀をズラリと畳に刺してとっかえひっかえで大立ち回りを演じたという伝説もあるが、多勢に無勢で殺害されている。)。この時に覚慶の母と弟も殺害されており、覚慶自身も寺を継ぐことを条件に命は助けられたが監視付きの幽閉の身であった。

 そんな覚慶に義輝の側近だった細川藤孝が接近する。藤孝は覚慶を将軍として擁立することを考えていた。しかしどうやって抜け出すか。覚慶は一計を案じ、病気として藤孝に医者を送ってもらい、何度が治療してもらってから全快祝いの祝賀として見張に酒を飲ませて酔いつぶれたところを脱出に成功したという。まんまと脱出した覚慶は近江に逃れ、諸国の大名に出兵を促す文書を送る。

 

多くの大名の中から織田信長だけが義昭の要請に応える

 近江矢島の少林寺に移った覚慶は還俗して名を義秋と改める。そして朝廷から従五位下左馬頭に任じられる。これは足利将軍家において次期将軍を意味する官位だったという。しかし三好氏が将軍として擁立しようとしていた従兄弟の足利義栄も同じ官職を授かっており義秋は焦る。各地の大名に京に上洛するのに協力して欲しいとの文書を送るが、みんな自国のことでかかりっきりで返答はなかった。唯一織田信長だけがそれに応じたのだが、信長は美濃の斉藤龍興に阻まれて上洛できなかった。これで信長は美濃と北伊勢の攻略を優先することにする。そこで義秋は朝倉義景を頼るが、義景は動かず、義栄が先に14代将軍に就任してしまう。

 義秋は元服して義昭と改名した後、朝倉を見限って明智光秀を通じて信長に接近する。信長はこの頃には美濃と北伊勢の攻略に成功しており、上洛は可能であった。信長は義昭の要請に応える

 

上洛のメインはあくまで義昭であった?

 で、この時の上洛は信長が中心で義昭は付け足しのように見えるのだが、この番組での解釈はそうではないという話。当時の記録では義昭が上洛して信長が供をしたとあるので傀儡ではないとしているのだが・・・それはあくまで形の上だけだったのではというのが傀儡説なんだが。

 上洛した義昭は14代将軍足利義栄が病死したことで(病死して頂いたのではと思うのだが)ようやく15代将軍に就任する。義昭は信長を管領に就任させようとしたのだが、信長はそれを辞退して草津、近江、堺を直轄領にすることを求める。義昭は信長を管領にすることで幕府のシステムに組み込むことを考えていたようだが、信長は実体のない地位を拒絶して実利を求めたと言うことである。

 

義昭も独自の軍事力を持ち傀儡ではなかった?

 なお義昭は信長の軍事力に全面的に頼っていたと思われているが、実際には独自の兵も動員できていたという。信長が美濃に帰った後、三好三人衆が義昭の御座所の本圀寺を襲撃するという事件があったのだが、この時に義昭は自ら兵を率いて応戦し、信長が駆けつけた時には既に戦いは終わっていたという。

 信長は義昭に殿中御掟というものを強要したと言われている。中に将軍への直訴は禁止するとか信長の許可なしに幕臣が御所に近づいてはいけないなどとあり、これは将軍の権限を制約するためだとされている。しかしこの番組では将軍は天下静謐をもたらすためのものであり、義昭も同様に秩序と安定が必要と考えていたので、二人の間で承諾の上で出されたものだとしている・・・のだが、やっぱり将軍の権限に制約を嵌めているとしか思えないのだが。

 この後、信長から五か条の条書が出されるが、この内容は義昭にかなり厳しい内容を突きつけたものとされているが、この番組では信長の権限は「天下(すなわち畿内五カ国)」での征伐権だけであり、将軍の仕事をすべて任せきりにしていたわけではないとしているのだが・・・やっぱりこういうことを将軍に突きつけられる時点で、既に義昭はかなり軽く見られているのではと言うしかないと思うのだが。

 

義昭が反信長で動いたわけ

 で、この後についに義昭が信長を裏切る。義昭が信長包囲網を仕組んだとされているのだが、これも違うというのがこの番組の説。三好三人衆が蜂起、これを信長と義昭の連合軍が鎮圧するが、石山本願寺が挙兵、これに呼応して浅井、朝倉も兵を挙げ、武田信玄も動き出す。この時、実は義昭の軍も信長と共に包囲されているので、信長包囲網は義昭が仕組んだものではないとしている(では、誰が仕組んだんだ?)

 義昭と信長の間に亀裂が入ったのは、信長が義昭の所領の分配の仕方が偏っていると批判する文書を送ったことがきっかけだとしている。義昭としてはそもそも与えるべき所領をほとんど持っていなかったのでそうならざるを得なかったという理由があるらしい。これが義昭の信長への不信を増大させたという。また三方原で小田・徳川連合軍が大敗した(家康がクソちびりながら逃げ帰った戦いです)ことで、このまま信長と組んでいたら幕府も巻き添えになるのではと考え、信長からの離反を決めたのだとしている。

 信長は義昭の離反に驚いたとのことだが、私はこれは「信長は他人の感情を理解できないアスペルガーだった」と考えている。義昭が離反に至るような種を自分で蒔いておきながらそのことが分かってなかったのではと考えている。後に同じ事を明智光秀に行って自滅している。

 こうして反信長に動いた義昭だが、武田信玄の突然の病没で武田軍が離脱、次いで朝倉氏も戦線を離脱したことで信長包囲網は崩壊する。そして義昭は信長軍に攻められることになり、二条城で抵抗したが正親町天皇の仲介で一度は講和するものの、2ヶ月後に義昭が再挙兵し、信長に京から追放されてしまう。この時に室町幕府が滅んだとされる。しかし義昭はまだ将軍職を返していなかったので名目上は幕府は続いていたという。義昭が将軍職を辞するのは秀吉に京に戻ることを許されて出家した時だという。

 

 義昭の汚名返上と銘打っていたが、実際にどの程度の汚名返上になったかは怪しいところ。説明に強引なところが目立ち、この番組の説明を聞いても「いや、やっぱり傀儡でしょう」としか言いようがない。管領就任を拒んだなんてのは「なんで俺がお前の配下になって奔走する必要があるんだ」と本音で考えていたからというようにしか思えない。まあ信長は義昭が変なことをしない限りは適当に担いでおくつもりだったのに、双方の思惑がズレてきて破綻したというところではと私は考えている。信長が天下静謐を狙っていたのは事実だろうから、それに役立つ将軍ならともかく、天下を差配するのは俺だから勝手なことをする将軍ならいらないというところだったのでは。義昭が殊更に将軍としての権限がとか考えずに単なる飾りに甘んじて、東山文化でも花開かせていたら室町幕府も名目だけは後々まで続いたかも知れない。義昭が中途半端に「やる気のある人」だったのが一番の悲劇だったのかも。

 

忙しい方のための今回の要点

・義昭は12代将軍の次男だったが、兄の13代将軍義輝が殺害されたことで、細川藤孝などに次期将軍として担がれる。
・義昭は上洛のための協力を各大名に求めるが返答はなく、唯一応じた織田信長も斉藤義龍に阻まれて上洛に失敗する。
・そこで義昭は朝倉義景を頼ったが、義景は一向に動こうとせず、義昭は再び織田信長を頼ることにする。
・信長は義昭を奉じて上洛。この時の義昭は完全に信長の傀儡と見られているが、この番組ではあくまでこの上洛は義昭がメインであるとしている。
・また義昭は軍事的に信長に完全に依存していたわけでなく、独自に動員できる兵もある程度有していたとしている。
・信長はその後、義昭に五か条の条書を出すが、これは信長が一方的に突きつけたものでなく、義昭との間に合意があったものだとしている。
・信長包囲網についても義昭が仕組んだものではなく、信長と共に包囲されることになった義昭が、織田・徳川連合軍が三方原で武田信玄に大敗したのを見て、このままでは信長と共に幕府も滅亡すると考えて離反したとしている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・この番組では信長包囲網は義昭が仕組んだものではないとしているが、では誰が仕組んだんだというのがないのですよね。偶然にあんな見事な包囲網が出来るわけもないので、誰か仕掛けたものがいるはずなんです。義昭でなかったとしたら、それ以外であれだけの大名に影響を与える(大義名分を与える)ことができる存在なんて朝廷ぐらいしかないんですが、あの時点で朝廷がそこまで積極的に動くかは疑問。結局は消去法で考えると、義昭が仕掛けたというのが一番妥当なんですが。
・というわけで、今回の番組の内容については、私は今ひとつ説得力を感じませんでした。ただ汚名返上するとしたら、この人は全く無能というわけでないんです。むしろ半端に能力があったのが災いしたというのが私の考え。

 

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