教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/11 BSプレミアム 英雄たちの選択「水害と闘った男たち~治水三英傑・現代に活かす叡智~」

 今回の主人公は治水に貢献した男たち。磯田氏の呼ぶところの「治水三英傑」について。その三人とは武田信玄、津田永忠、金原明善だとのことだが、正直なところ武田信玄以外は「誰?」というところである。

 

自然の力を巧みに活かした信玄の治水

 まずは武田信玄から。武田信玄と言えば信玄堤が今でも残っているが、洪水の多かった甲斐の地を治水によって豊かにしたという点で注目される戦国武将でもある。

 信玄の行った(と言っても何も信玄自身が陣頭に立ったわけではないだろうとは思うが)治水は巨大土木技術のなかった時代であるので、自然を力尽くでねじ伏せるものではなく、自然の力を活かしてやり過ごすというやり方。

 信玄堤は釜無川と御勅使川の合流点に築かれているが、信玄の時代は川の流れはもっと複雑であったという。だから信玄堤だけでなく、様々な治水施設が築かれている。御勅使川上流にある城壁を思わせるような巨大な石積出は御勅使川の流れを一本に絞り、釜無川との合流点を一カ所にするためのものだという。流れを変えられた川は高岩と呼ばれる自然の断崖に激突して一度勢いを弱められるようになっているという。その後に信玄堤が水を受け止めるようになっているという。

 さらに信玄堤の先には霞堤と呼ばれる隙間の空いた堤防がある。この堤防は増水時に緩やかに水が溢れることで水の勢いを逃して堤防の決壊を防ぐようになっている。また堤防脇には税金を免除する代わりに堤防のメンテナンスをする集落があり、彼らによって堤防は守られていたという。庶民の力も活用して治水を行っていたのである。

 

岡山を洪水から救った津田永忠

 二人目の津田永忠は江戸時代に岡山を水害から救った人物である。岡山城下は度々旭川の氾濫に苦しめられていた。それは岡山城が旭川を外堀として使用していたため、その屈曲部から水が城下にあふれ出しやすくなっていたからだという。そこで津田永忠は旭川の水を逃すための百間川を建造した。この百間川の存在によって2018年の西日本豪雨でも岡山は浸水被害を免れたという。

 旭川の水を百間川に取り込むのが分流部。ここは旭川の堤防が低く切られており、増水時には水が越流して百間川に流れ込むようになっている。ここの石積みはかまぼこ形になっており、水の抵抗が減るようになっているという。

 また被災民を救うために新田開発も行っている。百間川下流を干拓して農地を造り出した。この工事の予算支出は重臣の反対を受けたため、永忠は自らの名前で大阪の商人らから借金をして工事費用を捻出したという。

 商人達も採算が合わないと考えれば出資することがないから、永忠は優れた技術者であるだけでなく、説得力のあるグランドデザインを描いてプレゼンできる能力も持っていたと考えられる。とにかく優秀な役人であったようだ。

 

私財をなげうって天竜の治水にかけた金原明善

 三人目の金原明善は暴れ天龍の治水に取り組んだ実業家である。浜松の名主の家に生まれた明善は洪水に飲まれる村を見て育ち、全財産を投げ打って天竜川の治水を行うことを政府に申し出る。政府は戸惑うものの大久保利通が明善の熱意に打たれて政府も支援することを約束する。

 明善は最新の測量機器を買いそろえて欧米流の最新の堤防建設を目論む。しかしこの明善の計画は地元の反発を受ける。流域の住民が自分達も計画策定に加えるように要求したのだが、意見がまとまらなくなることを恐れた明善がそれを拒絶、完全に決裂してしまうことになったのだという。地域から完全に孤立し、政府からの支援も切れてしまった明善の計画は頓挫する。

 しかし明善は全く違う方向から治水に迫ることにする。当時天竜川の流域の山々は乱伐が進んで荒れていた。明善は植林を行って山を保全することによって治水に結びつけることを考えたのだという。治水から治山に変更した明善の行動を最初は人々は嘲笑ったという。しかし明善は山間の貧しい人々に賃金を払って植林の仕事を与え、さらに丸太を運ぶ運輸会社、製材会社、銀行などを設立して地域に事業と雇用を産み出して地域の人々の心をつかむ。こうして天竜美林と呼ばれる森が出来上がる。そして天竜川の洪水は減少していき、昭和になってダムが出来たこともあり浜松の洪水は完全になくなったという。

 

 以上、治水に貢献した三英傑のお話。昔から治水事業というのは王や皇帝などの権力者が手がける大事業の一つであり、相当の執念を持って取り組まないとまず成功はしません。それと未来を見据えていること。現在の自分の利益だけを優先するような指導者には到底不可能ということである。今は逆に工事の利権のために不要な治水工事がなされたりしてあらゆる河川がコンクリートで固められた結果、逆に災害を大きくしてしまうなんて事が起こったりする。科学技術におごるのでなく、自然と上手く共生する形での治水や都市設計というのが今後は重要になるように感じる。

 

忙しい方のための今回の要点

・信玄は洪水の多かった甲斐の地を治水をすることで豊かな地に変えた。
・信玄の治水法は自然の力をうまく利用するものであり、堤防が決壊しないようにあえて水が漏れるようにしている霞堤などがある。
・江戸時代の岡山の津田永忠は旭川の氾濫による洪水を防ぐために、増水した旭川の水を排出するための百間川を整備した。
・さらには洪水で貧困化する領民を救うために干拓による新田開発を計画。自分の名義で借金してまでして予算を立てて実現。そのおかげで岡山は豊かになった。
・浜松の名主だった金原明善は私財をなげうって暴れ天竜の治水に取り組む。
・しかし欧米式の最新の治水工事を使用とした明善の考えは、地元の反対があって頓挫することになる。
・明善は方針を治水から治山に変え、乱伐で荒廃していた天竜川流域の植林を行うことにする。産業を興して地元の人々を取り込むことで植林は進み、天竜美林と呼ばれる森が出来上がり、天竜川の洪水もなくなっていく。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・治水三英傑とはまた大層なネーミングをしたものです。なおこの「三英傑」という称号は、今後もいろいろな分野で登場しそうな予感が・・・。
・そもそも日本人は三大○○というのが大好きですからね。三大河川、三大夜景、三大鍾乳洞、果ては三大ガッカリ名所なんてのまであるぐらい。
・ちなみに大抵の三大○○というのは前の二つには誰も異論がないようなものを上げておいて、三つ目実は自分が入れたいものを加えるというのが定番。だから三つ目がいろいろな三大○○が林立したりする。
・例えば「世界三大天才と言えば、アイザック・ニュートンにアルバート・アインシュタイン、そして鷺だ」と言っておけば良いんです(笑)。

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