教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/23 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「戦国の女たち 信長の正室・濃姫」

 美濃のマムシこと斎藤道三の娘で戦国の風雲児織田信長の正室となったという数奇な女性・濃姫。今回の主人公は彼女である。

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岐阜を走る濃姫バス

 

政略結婚で信長に嫁ぐ

 まず彼女は斎藤道三の娘であるが、13才で戦略結婚で美濃の守護であった土岐頼純と結婚している。しかし翌年、頼純は24才の若さで亡くなり濃姫は出戻っている。一説によると頼純は道三の命を受けた濃姫が毒殺したなどとも言われているが、真偽のほどは定かではない(大河では道三自身が毒殺してましたが)。

 その矢先、美濃が朝倉氏と織田氏によって挟撃されるという危機が訪れる。二方面で戦うことは困難と考えた道三は、織田家と和睦することにして濃姫を織田家の嫡男である信長と婚姻させることにする。濃姫としては二度目の政略結婚である。ちなみに濃姫というのは信長が「美濃から来た姫」という意味でつけた名前で、本来の名前は明らかではないが一説によると帰蝶という名と言われている。

 

信長と道三が変人同士で意気投合

 信長が噂通りのうつけ者なら寝首を掻いてしまえと送り出された濃姫であるが、心底変人である旦那にはいろいろと苦労があった模様である。ただ道三は信長の力量を見極めてようと一度直に対面している。その時にろくでなしの変人同士が共鳴したのか、両者は奇妙な信頼関係で結ばれてしまったようで、今川の侵攻があった時には信長は道三から送られた援軍に本拠地の城を預けて全軍で出撃するという大胆なこともしている。

 しかし道三が息子の義龍と対立、ついには軍事的に衝突することになる。信長は援軍のために出陣するが義龍に阻まれて果たせず、道三は義龍に討たれることになる。この時に道三は美濃を信長に譲るという書状を残したと言われている(信長によるでっち上げの可能性もあると思うが)。

 

美濃を手に入れた信長は濃姫のために屋敷を建てる

 信長はその4年後に桶狭間の戦いで今川を破り、徳川と同盟を結ぶことになる。そして後顧の憂いをなくしたところで美濃取りに動くことになる。この時、義龍は既に病死しており、美濃の領主は息子の龍興となっていた。信長は美濃の有力家臣衆を取り込むなどする。若輩龍興では対抗の術もなく、美濃は信長の手に落ちる。そして信長は稲葉山城に居城を移すと岐阜城と命名する。この時に信長は天下布武の意志を示したなどと言われている。

 岐阜城の近年の発掘で、濃姫が暮らしていた屋敷に使用されたと見られる金箔瓦が発見されたという。少なくともこの時点で濃姫は正室として尊重されていたらしきことが覗える。なお戦国の女性は大変で、信長の出陣中に城を守るのは正室である濃姫の仕事であった。また戦国の女性の仕事としては、獲得した首を洗って化粧させる(そのことによって討ち取った相手が身分が高いと思わせる)などという仕事まであったとのこと。これは以前にこの番組でも言っていたことである。

 さてとりあえず夫婦仲に問題のなさそうな濃姫であるが、二人の間には子が生まれなかったという大きな問題があり、そのために信長は側室を取っている。その中で生駒吉乃という女性が信長の最愛の女性だったらしく、嫡男の信忠を始め3人の子供を産んでいるが、後に病死している。信忠は濃姫の養子として育てられたという。

 

その後の濃姫は?

 さてその後の濃姫なのだが、実のところこれが資料があまり残っていない。1569年の義龍の未亡人に纏わるドタバタの際に信長の本妻が義龍の未亡人をかばったという記述があることから、立場から見てこれが濃姫だと考えられるとのことで、少なくともこの時までは濃姫は存命で信長の正室であったと考えられるという。

 濃姫については本能寺の変で信長と共に戦って果てたという話もあるのだが、これは明らかに後世の創作であろうと考えられている。で、この番組御用達の専門家の小和田氏は、濃姫は本能寺の変までには亡くなっていたと推測している(私も同じ考えである)。濃姫の実家である斉藤家とゆかりのあった僧の快川紹喜が残した法語に濃姫と見られる女性が1573年に亡くなったことが記されているという。これが濃姫なら、本能寺の変の9年前に濃姫は既に亡くなっていたことになる。

 

 以上、濃姫について。有名人ではあるが意外と不明な点が多いです。さて今回の大河は濃姫を重要人物と位置づけているようですので、その最期についてはどの説を採るでしょうか。私は本能寺の変で信長と共に戦う濃姫という一番ドラマチックな展開を持ってくると予想しています。と言うのは、このドラマでは濃姫と光秀にかなり濃い交流があるように描いているので、これは最後の最後でこの両者が戦うことになってしまうと言う運命のいたずらは入れないはずがないと考えるからです。どうせ今回はほぼ創作の大河ですから(光秀の前半生は濃姫以上に不明なことばかり)、それならトコトン創作で行くのがドラマ作りとしては正解でしょう。

 今回の内容については、正直なところ目新しいものは何もなかったですね。以前に別の回に紹介した内容を引っ張ってきたりで、またお約束の「炎をバックにして槍を持って立つ信長」のシーンが何十回目かの登場だし。まあ大河関連で無理矢理に持ってきた感が強い。まあ斎藤道三絡みは他の番組でも今年になってから散々登場してるし。

 

忙しい方のための今回の要点

・斎藤道三の娘の濃姫は13才の時に守護の土岐頼純と戦略結婚するが、1年後に頼純が病死する(毒殺説あり)。
・斎藤道三が尾張との織田氏と和睦する時に、濃姫は嫡男の信長と戦略結婚する。
・斎藤道三と信長は互いの器量を認めて意気投合するが、道三は息子の義龍と対立して戦いとなる。信長も援軍を送るが義龍に阻まれ、道三は美濃を信長に与えるという書状を残して命を落とす。
・その4年後、信長は桶狭間で今川を破り、さらには徳川と同盟することで後顧の憂いをなくしてから美濃奪取に動き、義龍の息子の龍興を追い出して美濃を手中に収める。
・濃姫については少なくとも1569年までは信長の正室として存命だったことはほぼ確実とされている。
・濃姫の最後は不明な点が多く、本能寺で信長と共に戦ってなくなったという話もあるが、これは後世の作り話であるのはほぼ間違いないと考えられる。
・小和田氏の考えでは、濃姫は本能寺の変の9年前に亡くなったと推測している。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・濃姫については「美人だった」とされていますが、とにかくあの時代の美人ですので、少なくとも川口春奈のような今時のキャピキャピした美人ではないのは確実です(笑)。

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