教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/30 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「吉原の一日~花魁と旦那衆」

幕府公認遊郭の吉原

 江戸時代の唯一の幕府公認の遊郭・吉原は3000人もの遊女のいる最大の歓楽街であった。元々は江戸の中心に近いところにあったらしいが、明暦の大火の後の江戸の再建の際に江戸の一番外れの浅草寺の奥に移転されたとのこと。

 さて吉原の夜の営業(夜見世)が始まるのが夜の6時。吉原へは唯一の道である日本堤を経由して、五十間道と呼ばれるクネクネ道が入口の大門にまで続いている。吉原がこのような構造になっているのは、いざという時には北方からの軍勢を食い止めるための曲輪であったからだとのこと。堀に囲まれた東京ドーム2個分ほどの広さの吉原で出口は一カ所。これは遊女の逃亡などを防ぐためでもあったという。

 大門をくぐると仲之町と言われる中央通りがあり、この両脇に引手茶屋という客と妓楼を仲介する施設があった。また妓楼にも格付けがあり、最上の大見世は必ず引手茶屋を通すことになっていたという。引手茶屋は客の支払を一時立て替えするので、妓楼としては取りっぱぐれがない、客の方は信用があればツケが効くというメリットがあったという(それだけに客を厳選したらしいが)。

 

吉原のルール

 吉原で遊びにはルールがあった。遊女には格付けがあり、上位が花魁と呼ばれる存在。最下級の遊女である「切見世」の揚代が100文(2500円)に対し、最上級の「呼出」になると2両(20万円)もしたそうな。だから花魁達は身分の高い上客のみを相手にした。その上客も3度目で初めて「馴染み」となって床を共にすることができるとのこと。ここまでには100両(1000万円)かかるというから大変である。なお旦那衆の浮気は御法度で、浮気した場合には髷を切られたりなんて制裁もあったとか。また吉原で大金を使う者が「お大尽」と呼ばれたという。また吉原は通人が通うサロンという要素もあったとのこと。

 庶民はという直接に妓楼に行って、中級以下の遊女を品定めして指名、2階にある引付部屋というところに通されるという。なお単に遊女を見に来ただけの輩のことを「冷やかし」と言うのだそうな。引付部屋に通されると遣り手(いわゆる遣り手婆って奴ですね)が現れて揚代の説明などがされるという。そしてしばし遊女と酒を飲むと遊女の部屋になのだが、ランクの低い遊女の場合は個室でなくて大部屋を屏風で仕切っただけスペースっていうから大変である。さらには廻しと呼ばれる意図的なダブルブッキングで遊女が複数の客を梯子するなんてことも収益を上げるためになされていたとか。馴染みの客が優先されて初めての客が後回しにされるので、遊女に客がほったらかしにされることもあり、これが「ふられる」という状態とのこと。

 

過酷な遊女達の生活

 また遊女が客をつなぎ止める手段のことを手練手管と言った。客に「将来あなたと結婚します」という起請文を渡すなんてことまでしていたという。遊女の生活は朝の6時に客を送り出してから寝て、10時には起きるので睡眠時間は3~4時間と慢性の睡眠不足だったという。午前10時に起きると入浴して朝食、自由時間には着物などの商売道具を買ったり習い事をするなどかなり忙しかったらしい。そして正午から4時まで昼営業の昼見世があるが、これに訪れるのは地方からの参勤交代の武士(夜間外出が禁止だった)など客が少ないので遊女達もやる気がなく、客の方も遊郭に来るだけなら無料なので、浅草寺参りのついで見物に来た観光客などもいたとのこと。

 ただ遊女の生活は過酷であった。彼女たちのほとんどは借金のかたに子供の頃に売られてきており、禿と呼ばれる雑用係から始まり、17才頃から客を取り始めて27才までに借金を返済する必要があったという。しかし遊女達には必要経費が多いので、年間に8000万円ぐらい稼がないと出費を賄えなかったという。借金の返済ができなければ他の店に売られてさらに労働条件は悪化、最後は病死というパターンだったという。

 

 時代劇には必ず登場する吉原の実態ですが、彼女たちは単なる売春婦というだけでなく、芸事や和歌などの教養にも通じていたので、即戦力として明治政府の要人の妻になった者も多かったといいます。要人の妻は外国からの賓客などを接待するする必要があるので、そういう時にそういう技倆に長けた芸者上がりは重宝されたらしいです。

 江戸はとにかく独身男性が多かったというのが先週の「偉人たちの健康診断」とかでも言われてましたが、謂わばそういう連中のガス抜きが吉原の存在だったわけです。幕府公認の男のガス抜き場。住民の2/3が男性だったとの話ですから、何らかの対策をしとかないと社会不安にもつながりかねないしってことでしょう。まあ時代柄女性の権利や人権なんてなかった時代ですから。今だったら大変なことになりますが。なお当時から日本には、遊女のような三次よりも春画のような二次を好むオタもいたようです。

 今回見ていると、結構吉原界隈から出た言葉なんかも多いということが分かりますね。さりげなく散りばめてましたけど、「お大尽」や「冷やかし」なんてのは今でも使われます。ある意味でそれだけ生活に密着してもいたんでしょうね。

 

忙しい方のための今回の要点

・唯一の幕府公認の遊郭が吉原だった。元は江戸の中心近くにあったものを浅草寺のさらに奥という外れに移転している。
・吉原はいざという時には北からの軍勢を防ぐ要塞の役割もあったので、堀で囲われて入口の道は曲がりくねっている。
・吉原の遊女達は午後6時から夜の営業を行い、客を翌朝6時に帰してから10時までしか寝る時間がないので睡眠不足だった。
・また収益を上げるために意図的なダブルブッキングもあったので、遊女にほったらかしにされる「ふられる」客も少なくなかったとか。
・上級の花魁となるとかなりの金持ちしか相手にしない。また吉原で派手に金を使って遊び人を「お大尽」と言った。
・吉原には借金のかたに売られた女性が多く、彼女たちは17才から27才の間に稼いで借金を返す必要があった。それができなければ労働条件はさらに悪化し、最後は病死するというパターンが多かった。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ正直なところひどい話ではあります。もっともこれに近い話は今でもいわゆる「芸能界残酷物語」でよくありますが。基本的に現在の芸能界も元をたどればこの辺に結びついたりしますんで。

 

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