教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/16 BSプレミアム ダークサイドミステリー「八甲田山遭難事件 運命の100時間」

史上最悪の山岳遭難事故

 世界の山岳遭難史上最大の遭難死事件であり、精鋭部隊を訓練で壊滅されてしまったという愚行かつ悲劇だが、軍事機密の壁のせいかあまり世界的にはしられていない事件。その事件の詳細を紹介。なお以前に同テーマを「にっぽん!歴史鑑定」でも扱っているので内容的にはかなり被る。ちなみにあちらは以前東宝が映画化した「八甲田山」から題材を取っているのが多かったが、こちらはドキュメント映画の「八甲田山」から題材を取っている辺りはNHK。

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 この事故は結論から言うと、八甲田山で雪中行軍訓練中の陸軍の部隊が遭難し、210人中の199人が死亡したという惨劇である。舞台のほとんどは東北の出身者であり、雪については無知ではなかったのであるが、それにも関わらず軍隊特有の諸々の判断の誤りによって全滅に近い惨状に至ってしまった。

 

天候悪化は予測されていたが続行を決断

 明治35(1902)年1月23日、帝国陸軍青森歩兵第5連隊の210名が午前6時55分に片道20キロの八甲田山山麓への雪中行軍訓練に出発する。八甲田山の麓を走行する夏場ならトレッキングコースの行程だったという。先頭のカンジキ隊が雪を踏み固め、その後を本隊が、最後に物資輸送のソリ隊が続くという構成になっていた。当時考え得る範囲では十分な装備を用意しており、さらに指揮する神成大尉は北国の出身で雪のことは熟知しているはずだった・・・。

 出発から4時間半後に一行は中間地点の小峠に到着して昼食のための小休止を取る。ここまでペースは神成大尉の想定通りの順調なものであった。しかしこの頃から天候が怪しくなり吹雪が吹き付け始めていた。軍医の長井源吾はこれから天候が悪化するとの予報なので引き返すことを提案する。しかしこれには若い下士官は反発、神成大尉は上官である山口少佐に判断を仰ぐ。しかし東京育ちの山口は行軍続行の判断をする。軍隊としては一度決めた予定を変更することは体面にも関わることであり、それが彼の判断を誤らせたのであろう。

 

吹雪の中で徐々に体力を奪われる兵士達

 彼らの進んだ先には平地であるが難所の賽の河原が控えていた。ここではつい最近に地元住民18人が遭難して、誰も怖がって冬場には近づかない難所だという。遮るもののない雪原では吹雪が容赦なく吹き付けて彼らの体力を奪う。最高地点である馬立場に到着した時には行軍スピードが大幅に低下したせいで日没近くの午後4時10分となっていた。ここで野営するか夜間行軍するかの選択に迫られるが、この時に天候が回復して目的地の田代が視界に入る。この頃は満月で天候さえ良ければ夜でも月明かりで視界が効く。残り3キロで下りということもあり、夜の行軍が決定される・・・しかしこれが結果的には致命的なミスとなる。

 しかし進行を始めて800メートルも進んだところで胸まで埋まる雪で行軍は難航を極めることになる。さらさらのパウダースノーにはカンジキは全く役に立たず、ソリは板が雪に埋まって進行が不可能になってしまった。なお現在このコースで演習を行っている自衛隊が物資輸送に使うソリは、フィンランド発祥の舟形のソリで、雪に沈まないような構造になっているという。輸送隊はやむなくソリを放棄し、各自が20キロの荷物を背負うことになる。当然のことながらこのことがさらに隊員達の体力を奪うことになる。

 

野営をするものの寒さに耐えかねて深夜に移動して遭難

 田代まで1.5キロの平沢に到着した時には隊員達は疲労困憊していてこれ以上の行軍は不可能であった。そこで平沢で野営を決定するが、風よけの雪壕を掘って隊員達はその中に入るが、天井のない吹きさらしの雪壕の上に、雪が深すぎて地面まで掘ることが出来ずに満足に火を焚くことも出来なかったので、隊員達は寒さに凍えることになった。また当時の軍隊の装備であった綿製の服は汗の乾燥が悪く、汗で濡れた衣服が凍結することでさらに隊員達を凍えさせたという。

 このままでは全員凍死してしまうから早く出発すべきとの声が兵達から上がり、山口少佐は夜中に引き返すことを決断する。しかし豪雪のために通ってきた跡さえ分からない状態で、方向を見失った彼らは鳴沢渓谷に行き当たる。

 

目的地さえ分からない状態で迷走する

 午前5時に日が昇り視界が明るくなってくる。この時に兵士の一人が「ここから田代への道を知っている」と言い出す。山口少佐はこの言葉に賭けて田代を目指すことにする。しかしこの後、天候はさらに悪化、ホワイトアウトと呼ばれる真っ白の闇の中で部隊は方向どころか自身の上下感覚さえ失う状況に陥る。部隊は結局は大きくカーブを描いて再び鳴沢渓谷に出てしまう。これはリングワンダリングと呼ばれる現象で、実際に番組では実験しているが、視界及び聴覚が奪われた状況では人間は、直進することが出来ずに輪を描いて迷走してしまうのだという。

 ここで部隊は川沿いに進むことを選択するが、これも危険な選択だった。足場が悪く水に濡れるとさらに体力を消耗する。やがて部隊は雪と断崖に阻まれ、高低差200メートルの斜面を何時間も登る羽目になる。昼の12時になった頃には食事も睡眠も取れずに歩き続けていた兵達は低体温症で次々と倒れ始める。体の深部体温が35度以下まで低下すると意識障害が発生し、やがて内蔵の機能が停止して死に至る。この時に500メートル以内で約50名が死亡したという。

 

最後の希望も打ち砕かれて

 2日目の深夜、白い闇の中から脱出できなかった部隊は鳴沢で野営をしていたが、この時点で71人が死亡していた。そして午前3時、雲間から現れた満月により馬立場が視認できる。そこで部隊は神成大尉が先頭に立って馬立場を目指すが、すぐに風雪が吹き荒れて方向を見失った彼らは馬立場の反対側の斜面を登っていたことに気付く。ここで神成が「天は我々に死ねというのか」という類いの絶望の叫びを発したらしい(「八甲田山」の映画では有名な「天は我々を見放した・・・」という台詞になる)。これで最後の望みが打ち砕かれたようにバタバタと倒れる兵が続出したという。

 

遅すぎた救助隊

 救助隊の捜索が開始されたのは出発から71時間後の1月26日である。そして第5連隊出発後100時間の1月27日午前11時に馬立場手前で、救助隊に仲間の場所を知らせるかのように仮死状態で立ち尽くしていた後藤伍長が発見される。そして続いて神成大尉を始めとする兵士達の遺体が次々と発見された。彼らは賽の河原周辺で力尽きていたという。その後、風雪をしのげる崖の下で避難していた山口少佐らや偶然見つけた炭焼き小屋に避難していた者、田代で温泉の湯を飲みながら11日目まで生き延びていた者などが発見される。しかし救出された17人中、収容後に6名が死亡(恐らく重度の凍傷のせいだろう)して最終的に犠牲者は199名となる。また11名の生存者も多くが凍傷で体の一部を失った。

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現場に立てられた後藤伍長の像 出典:Wikipedia

 

 以上、非常に惨憺たる有様である。様々な判断ミスが重なっているが、軍はメンツにこだわってこの事件についても隠蔽を図っている。番組中でも「正常性バイアス」という言葉も出ていたが、「何とかなるだろう」という甘い判断も数カ所で見られている。ただ最悪の事態の想定ってのは難しくて、部隊のほとんどが亡くなったというその後の結果を知っているから、山口少佐の判断を愚かとか非難できるわけだが、ここで神成大尉が「危険性が高いので引き返す」という判断をしていたら、彼は臆病者と非難されてそれこそ冷や飯を食わされることになるって展開が想像できる。危機回避が難しいのは、それをしくじって被害が出た場合の損害は分かりやすいが、それを事前に回避したことによる功績ってのの評価が難しいところ。この時点で「兵員の命が最優先」って原則でもあれば神成大尉も迷わず中止したろうが、こんな原則掲げる軍隊なんて存在しませんからね。もっともあまりに兵員の命を軽く見ていたせいで壊滅したのが第二次大戦の日本軍。そして今の政府も国民の命を軽視している。

 

忙しい方のための今回の要点

・八甲田山の雪中行軍訓練による遭難事件は、210名の参加者中199名が死亡し、世界の山岳そんな史上最大の事件となっている。
・途中で天候悪化が予測されたため、中止するべきとの意見もあったのであるが、結果としては山口少佐の判断によって決行されてしまった。
・部隊は不十分な装備もあって厳冬の八甲田での寒さに耐えられず、途中で雪壕を掘って野営をしようとしたものの寒さのために凍死の可能性が高まり、深夜の行軍をしたことでさらに迷走することになってしまった。
・また吹雪の中では昼間でホワイトアウトとする完全に目標を見失い状態に陥る。このような状態ではリングワンダリングと言われる円を描きながら迷走する状態に人は陥ることが知られている。
・捜索隊が出たのは3日後、この捜索の遅れも被害を拡大したと言われている。
・数少ない生存者はいずれも避難先を見つけて体力を温存していた者達。しかし彼らのほとんども凍傷で手足を失っている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・日本型組織の駄目さ。特に軍隊の無謀さを象徴している事件なんです。しかしこの事件を十分に反省することもなくその体制は温存。その結果として、補給も無しでジャングル内を進行するなんていうインパール作戦につながってしまいます。そしてその反省さえもまともになされていなかったために、現在は防護服やマスクなどの装備もないままにコロナ感染に立ち向かうという令和インパール作戦が無能な指揮官の下で実行中。

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