教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

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4/20 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「室町殿と観阿弥・世阿弥」

 猿楽を発展させて能を完成した世阿弥。その父の観阿弥を含めて、室町幕府の将軍と密接な関係を持っていた。世阿弥の生涯を紹介。なお世阿弥については以前にヒストリアでも紹介しているので、内容についてはかなり被っている。

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猿楽で義満の贔屓となった観阿弥

 そもそもは中国から渡来した散楽に日本古来の歌舞を融合させたのが「猿楽」である。当初は滑稽などで人を楽しませるものであったという。観世座を設立して猿楽で人気を博した観阿弥は、将軍足利義満が見学に来た際に「これはチャンス」と見込んで、自ら義満に受ける猿楽を考えて舞い、狙い通りに義満に贔屓にされることになる。

 この時にさらに義満に見込まれたのが息子の世阿弥。当時13才の世阿弥は美少年であったこともあって義満に寵愛されたようだ。もっとも義満が世阿弥を贔屓にしたのは単に美少年趣味だけでなく、朝廷と対抗していく上で自らも新しい文化の後援者という立場が欲しかったのだろうと推測されるという。

 

若くして一座を背負い、能を確立する世阿弥

 しかし観阿弥は52才で巡業先の駿河で突然死。世阿弥は22才で観世大夫として観世座を継ぐことになる。しかしこの頃には世阿弥のライバルが登場していた。犬王という天女の舞を踊らせたら右に出るものはいないと言われる近江の猿楽師が登場しており、義満の贔屓を受けていた。それに対して世阿弥の得意としていたのは動きの激しい鬼などの舞。世阿弥は貪欲に犬王の芸をも取り入れることで生き残りを図る。

 だが転機が訪れる世阿弥のパトロンである義満がこの世を去った。将軍が義持に代わると、彼は増阿弥を贔屓にしていたことから世阿弥はまた苦闘することになる。世阿弥自身が増阿弥の舞に魅了されたことから、彼は新しい能の作品を作ることに力を入れるようになる。そして様々なドラマを取り込んだ作品を作ることによって能の体系を確立することになる。彼が確立したのは夢幻能という幻想の世界を主役にした能だという。これによって能のドラマチックさが増したようである。なおこの頃の演目は今日にも続いているという。

 

後継者問題から運命が暗転する

 この世阿弥が直面したのが後継者問題。なかなか実子が生まれなかった世阿弥は弟の子である三郎元重を養子にして後を継がせることを考えた。しかしその後に実子である十郎元雅と七郎元能を授かったことからややこしいことになった。結局は彼は能を創作する能力を買って十郎元雅を後継者に指名したが、それは必然的に養子の三郎元重との間に確執を生む原因となった。そして足利将軍が六代の義教になったことで世阿弥の運命は悪化する。もともと性格に難があり暴虐に自身の反対者を粛正する義教が、三郎元重を贔屓にしていたのである。その結果、世阿弥達は京を追われることになる。さらに十郎元雅が若くして亡くなる。観世座は三郎元重が観世大夫となって継ぐことになるが、失意の世阿弥に追い打ちをかけるようについには佐渡にまで流されることになる。これは十郎元雅が反幕府勢力に結びついていたために世阿弥も連座させられたとの可能性があるという。ただ佐渡でも世阿弥は能を捨てることはなく、能に関する書を残しているという。

 その後、義教が暗殺されたことによって世阿弥の流罪は許されたとみられているが、その後の世阿弥の消息は明らかではないとのこと。

 

 能の体系を確立した世阿弥の物語。まあヒストリアで放送していた内容とほとんど被ってましたね。要は残っている資料が限られているんでしょう。

 世阿弥は舞手とプロデューサーの両者を兼ねていたのですが、後継者を十郎元雅にしたのは単に実子と言うだけでなく、プロデューサーとして能力を重視していたと言うことでしょう。三郎元重は舞手としての評価はかなり高かったと言います。それだけに三郎元重としては「実子を贔屓した」と感じるでしょうから、自ずと確執が生じるのもやむなきところがある。いつの世も後継者の指名というのは非常に難しいということを示しています。ただそれでも観世流が滅びずに今日まで続いたというのは救いでしょうか。

 それにしても芸術の世界というはやはり常にパトロンの存在が不可欠なものであり、それなしにはなかなか成立しないものです。昔は王侯貴族がそれを担ったのですが、社会が変貌するとそれが富裕市民層に移り、今は一般市民層及び国が支援する形になっています。それでもやはり不要不急に分類されがちなジャンルですので、平和あってこそ。今まさに芸術分野が不要不急として切り捨てられかねない苦境に陥ってます。ただこういう分野が生き残れるかどうかが、まさにその社会の奥行きの深さを反映しているのですが。日本はいつの間にか目の前の利だけに左右されるさもしい社会になったものです。

 

忙しい方のための今回の要点

・世阿弥の父の観阿弥は猿楽の人気を確立し、足利義満の贔屓を得ることに成功する。
・世阿弥は義満に引き立てられ、ライバルの出現などに苦労しながらも能の体系を確立する。
・しかしパトロンだった義満が死去、また新たなライバル出現などの中で、世阿弥はよりドラマ性を高めた夢幻能を創作する。
・だが後継者問題で難儀する。後継者を実子の十郎元雅にしたことで養子の三郎元重と確執が生じ、六代将軍義教が三郎元重を贔屓にしたことあって京を追われ、ついには佐渡に流されることになる。
・十郎元雅も早逝して失意の中でも世阿弥は能に関する書を残している。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・正直なところ私は能の趣味はないのでそちらはよく分かりません。ただ世阿弥の記した風姿花伝は今でも生き方指南の書としての人気はあるようです。

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