教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

5/4 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「超人・空海 誕生の秘密」

 今回の主人公は弘法大師こと空海。彼が会得した真言密教というのがそもそも超能力志向の強い仏教であるので、それに由来しての超人伝説の多い人物でもある。

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弘法大師こと空海

 

修行を志した若い日

 空海は774年に讃岐の佐伯家に生まれた。幼い頃から読み書きに神童ぶりを発揮したので、宮廷の役人として将来が嘱望されて18才で大学に入る。しかしその時に虚空蔵求聞持法という修行によって記憶力を無限大にするという法を僧から聞き、それを会得するために激しい修行に打ち込むことになったという(空海はそもそもから優秀だがオカルト志向が強かったようだ)。そして激しい修行の中で明けの明星が体内に入るという体験をしたのだという(極限状態に体を追い込んだところでついに妄想が起こったということだろう)。そしてこの謎の体験の意味を理解するためには、当時の最先端の文化の地である唐を訪れるしかないと考えたという。

 

私費留学生として唐に渡って密教の奥義を伝授される

 空海は国費留学生で優遇されていた最澄とは違い、私費留学生であって様々な制約があったという。しかし中国語がペラペラで頭の回転が速く書にも長けていた空海は中国でもすぐに頭角を現す。唐であらゆる仏教を吸収した空海であるが、最も興味を抱いたのが当時最先端であった密教だった。密教の経典を読むために空海はインドの言葉であるサンスクリット語をわずか3ヶ月でマスターしたという。密教は習得すると超人的能力を発揮できることを謳っており、この辺りもオカルト志向の強い空海の興味を惹いたのだろう。

 空海は密教を習得するために青龍寺の高僧である恵果の元を訪れて教えを仰ぐ。無謀とも思える試みであったが、恵果は空海を受け入れたという。これについては恵果が後継者と見込んでいた弟子が亡くなったことと、恵果が既に病を患っていたこと、さらには空海の評判が恵果にも届いていたのではとしている。そして空海は3ヶ月で密教の最高位である阿闍梨を授かる。恵果は空海を自らの後継者とし、死の床で空海に故国で密教を広めるように言い残す。空海は大量の経文を持って日本に戻る。

 

最澄との交流と対立

 しかし私費留学生は20年学んでくることになっている決まりを破って帰ってきた空海は、都に上れずに太宰府に留め置かれたという。空海は自らが持ち帰った経典の目録を送って、いかに自分が重要な教えを学んできたかを訴えたが、朝廷にそれを理解できる者がいなかったという。しかし3年後、空海は突然に都に呼ばれる。当時日本の仏教界の最重要人物になっていた最澄が彼が持ち帰った経典の内容に驚いて働きかけたのではという。特に唐で密教について学ぶことの出来なかった最澄は、空海が持ち帰った密教の奥義が魅力だったのだろうという。

 空海を招いた最澄は空海に密教を教えてくれるように依頼し、自ら空海の弟子になる。また最澄の弟子の多くも空海に学ぶことになったという。これで空海の評判も上がることになる。ただ両者の蜜月は徐々にすれ違いによる反目につながっていくという。それは最澄が阿闍梨を授けて欲しいと依頼したことのに対し、空海が「3年は修行が必要」と言ったことから由来するという(確か空海自身は3ヶ月の修行で終わってたはずだが?)。これは多忙な最澄にとっては不可能なことだった。さらに最澄が密教の経典を理解するための注釈書の貸し出しを依頼したことに対し、空海は「文書だけで会得するのは不可能」と拒否したことなどで対立は深まり、最澄の一番の弟子が空海の元に去ったことが決定的となったようだ。この辺りはどうも宗教的なものだけでなく、営業的な対立も孕んでいそうである。空海にとっては密教というのは自身の独自性の最大のアピールであるので、そうホイホイと分け与えるわけにも行かないだろうと思われる。独自技術をアピールしているベンチャーが、大手企業に独自技術の特許を譲り渡すみたいなことになりかねない危険がある。

 

密教を広め、修行の地である高野山を作る

 中央でも怨霊を鎮めるために空海の密教は重用されたという。嵯峨天皇の依頼による祈祷なども行い、空海は嵯峨天皇の信任も深めたという。そして空海は密教の寺院を作っていく。なお空海の超人伝説は各地に残っており、空海が見つけたという秘湯や水源などが多数あるという。これは空海が中国で土木技術の類いも学んできたことが反映しているのだろうという。

 その空海が最後に挑んだのが真言密教の聖地を高野山に築くこと。そして自ら聖地を建設した空海はその20年後、すべての役割を果たして自らは瞑想に入るとして奥の院に入堂する。今でもここでは空海が瞑想を続けているとして、1000年以上にわたって毎日食事が運ばれている。

 

 空海超人伝説についてでした。どうも密教というのはオカルトとの親和性が高く、そのせいで私としては胡散臭さを感じずにはいられないところがあるのですが・・・。なお宗教によって特徴が諸々有りますが、例えば修験道などはマッチョ志向が強いです。なお新興宗教の類いはもれなく金銭欲や権勢欲が強いという特徴が有りますが、これはそもそも宗教の真理とは無関係の話。

 空海の伝説を見ていると、さすがに頭の良い人だっただけあって、プロデューサーとしての手腕も優れていたというのが透けて見えるんですよね。中国での売り込み方もすごいですが、日本に帰ってきてからの売り込みもさらにすごいです。番組中でも両手両足と口に5本の筆を持って、あっという間に書を描き上げたなんて言うパフォーマンスまでしたという話が残っているようですから、自らの超人性をアピールして布教につなげていたのは間違いないだろうと思われます。恐らく今の世なら、宗教関係に行かなかったとしたら一身で大企業を作り上げる創業者になっていたのではという気がします。もしくは口八丁手八丁ぶりを発揮して政治家になっていたか。

 

忙しい方のための今回の要点

・私費留学生として唐に渡った空海は、そこで密教の奥義を授かって帰ってくる。
・空海が唐から持ち帰った経典の重要性に驚いた最澄は、自ら空海の弟子となって密教を授かりたいと依頼する。
・しかし両者は密教の奥義の伝授などから対立を生じていくことになる。
・都の怨霊を鎮めるための祈祷などで嵯峨天皇の信任を深めた空海は、密教の寺院を各地に建立、これが各地での空海の超人伝説の下敷きとなっている。
・最後に空海は高野山に修行の聖地を建設、それを見届けると自らは奥の院で永遠の瞑想に入る。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・高野山は行ったことがありますが、独特の雰囲気のあるところです。正直なところ聖地ぶりも感じられる一方で、とてつもない「俗」な部分も感じるんですよね。だから私は空海の本質は実は商売人だったんではなんて感じてしまうんですが。実際にその要素がないとここまで成功しなかったとも思う。

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