教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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5/17 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「徳川綱吉 犬公方は怒りん坊!?」

 犬を人間よりも大事にした前代未聞の馬鹿殿から、近年は戦国の殺伐とした気風を改めて弱者救済にも力を尽くした名君と評価が一変しつつある徳川綱吉が主人公。

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「犬公方」こと徳川綱吉

 

 

学者肌で将軍就任には老中に反対される

 まず綱吉の人となりであるが、儒学を学んでおり、政治家と言うよりは学者としての要素が強いのだという。当時の将軍の家綱の弟であって本来は将軍位は回ってこないはずだったのだが、家綱が跡継ぎのいないまま病に倒れたことで急遽将軍候補となった。しかし綱吉の将軍就任には老中などの反対が強かったらしい。大老の酒井忠清に至っては「綱吉様には天下を治める器量がない」とまで言ったという。どうも綱吉は学者肌であって政治家向きとは見られていなかったようだ。それと番組で言っていなかったが、綱吉が性格的に難しいところがあったのも間違いないと私は推測する。

 家綱の意向で将軍に就任した綱吉だが、行動には極端なところにあり、例えば馬が喋ったという噂が江戸に流れた時には猛烈に怒り、江戸の庶民35万3588人に聞き取りを行って噂の出所を見つけ、犯人を断罪するということまで行ったという。綱吉の執念深さに人々は戦慄したとか。老中とは距離を置いて側用人を身近に置いた政治を始める(老中に就任に反対されたのを根に持っていた模様)。

 

 

綱吉は妄想性パーソナリティ障害だった?

 このような綱吉の行動は妄想性パーソナリティ障害に基づいているのではと番組では分析している。回りが自分を陥れようとしているという被害妄想に陥る状態である。脳内の神経伝達物質のバランスが環境などで狂うことが原因と考えられるという。

 そして自らの理想を実現するべく打ち出したのが生類憐れみの令。生き物を大切にするだけでなく、弱者を労るという儒教の「仁」の思想を持ち込んだ。まだ戦国の殺伐して気風が生き残っており、町中での刃傷沙汰が絶えなかったような時代。また農村では子捨てや老人を遺棄することが横行していたという。このような時代を改めようとしたのである。

 ただやはり犬を大切にするというのは当時の江戸では無理があったという。当時の江戸には野犬が多く、人が野犬に襲われることも多く、人と犬は対立関係にあった。妄想性パーソナリティ障害は回りに反発されると自分の考えに固執するという。その結果として、犬に関するお触れを次々と出すが、それが庶民の反発を買い、犬公方と呼ばれる羽目に。綱吉への当て付けで「犬」と書かれた羽織をみんなで羽織ったりなんてことまであったらしいが、綱吉はこれにまで目くじらを立てて禁止する法を出す(この度量のなさは安倍を連想させる)。しかし完全ないたちごっこで、ついには犬を磔にして「この者、公方様の威光を借りて民衆を苦しめる者」という高札を出す者まで現れたという。

 

 

迷走してしまった生類憐れみの令

 迷走する綱吉はついに野犬を保護するためにお囲いという広大な犬専用屋敷を建設、ここに江戸中の犬を収容しようとした。しかし犬のえさ代の年間9万8千両(100億円)を江戸の町から徴収したために、これがさらに庶民の怒りを呼ぶこととなる。しかし生類憐れみの令に固執する綱吉は生涯これを守った。なおこれを廃止したのは6代将軍の家宣である。綱吉は生類憐れみの令を守るように言い残したと言われているが、家宣はそれをあっさりと覆したようである。ただし捨て子の救済などの弱者救済策は残したと言うから、良いとこ取りをして合理的に改めたと言える。

 かなり迷走した綱吉の政策であるが、殺伐とした世を正すということには効果はあったと言われている。ただやはり実行手段には問題があったようであり、学者らしく理論倒れのところがあったのだろう。

 

 

鍼治療を広めた綱吉

 綱吉は日本の医療に対しても改革をなしたという。彼は頭痛や関節痛の治療に針治療を使用しており、その鍼医は盲人の杉山和一。当時は盲人の鍼医は珍しかったと言うが、彼は専用器具を使用する管鍼法を開発することで、盲人でも問題なく針治療を行えるようにしたのだという。和一から盲人の生活の苦しさについて聞いた綱吉は、和一に土地を与えて盲人が針治療の技術を学べる鍼治講習所を設立したのだという。ヨーロッパに盲学校が出来る100年前のことだという。さらに鍼治振興令を出して、全国に40カ所以上の講習所を作らせた。今では盲人の定番職業である鍼灸師はこの頃から始まったことになる。そして江戸では庶民の医療として鍼ブームが起こったという。

 

 

嚥下障害でこの世を去る?

 綱吉は大きな病気を患ったという記録はなく、体は丈夫だったと考えられるという。ただその最期は少々悲惨だとか。63歳の時に麻疹で倒れたものの回復し、お粥と餅を食べたところで便意を催して便所に行ってから意識が朦朧として倒れてそのまま死んだのだという。どうも餅を吐き戻そうとして窒息したのではと考えられるという。

 高齢者に多いのは嚥下障害舌骨上筋という飲み込み時に気管をふさぐ筋肉が衰えることで食物が気管に入り込むことになる。筋力の低下は40代から始まるとのこと。これを防ぐには飲み込みの度に動く筋肉を意識するだけで大分変わるという。

 また徳川家の菩提寺である大樹寺には、将軍が亡くなった時の身長にあわせて作られたという位牌が収められているのだが、綱吉の位牌だけは小さすぎるという不思議な点があるのだという。綱吉が病気などによる短躯だったということを伝える資料は残っておらず、それはなさそうだという。綱吉の晩年は地震や噴火など天変地異が相次いでおり、綱吉は幕府が陣頭に立って復旧作業を行ったらしいが、当時の考えとしては天変地異は君主に徳がないためと考えられていたので、綱吉の評判は散々だったらしい。綱吉の死後に政治を取り仕切った新井白石らが先代の綱吉を悪者にしており、それが影響したのではとのことである。

 

 

 まあ綱吉も気の毒なことであるが、この時にゲストが「経済が悪いと私たちも政府の責任にしたり」なんてことを言っているが、これは完全な間違いで、今の日本の経済が悪いのは100%政府の責任です。またコロナの発生自体は政府の責任ではないが、日本にコロナが蔓延したのは100%政府の責任。

 綱吉は毀誉褒貶の多い将軍であるが、やはりその原因は「極端すぎる政策」とあからさまに理屈倒れの部分が多いこと。それと妄想性パーソナリティ障害が正解かは不明だが、ヒステリックで執念深くて、一つの考えに固執するという不安定なところはあったと思われる。そのせいで感情的になりすぎて処置を誤った挙げ句に赤穂浪士の討ち入りまで起こしてしまっている。そういう意味では酒井忠清が「天下を治める器量がない」と断言したのは的を射ている部分もあったのではと思われる。

 またこのような人格障害が疑われるようなトップの場合、それを緩和して補佐するブレーンが重要になるのだが、老中を遠ざけていた綱吉はそれに欠けていた可能性が高い。その結果として極端な政策を乱発して社会を混乱させた部分があると推測する。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・綱吉は儒学を重んじる学者肌の人間であり、将軍就任時は老中達からの反対を受けている。
・綱吉は戦国時代の殺伐とした気風を受け継いでいる世の中を正すべく、生類憐れみの令を導入したが、その実行面については理論倒れの極端な面もあった。
・綱吉の猜疑心の強さや執念深さは妄想性パーソナリティ障害が疑われるという。
・綱吉が行ったこととしては鍼治療の普及もあった。盲人の鍼灸師である杉山和一を登用し、鍼治講習所を設立、盲人が鍼治療の技術を学べる場を提供した。
・体が丈夫であったとされる綱吉だが、63歳の時に麻疹で倒れ、その後に餅を喉に詰まらせて亡くなったと推測されている。
・綱吉の悪評については、晩年に天変地異が相次いだこと、次の政権が綱吉を悪く言うことで自らの正当性を主張したことなどによるという。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ学者肌で「現実と折り合いをつける」というところが下手な人物であったことは覗えます。それと「妙な頑固さ」はありそう。いつまでも役に立たないマスクの配布に固執する誰かのように。

次回の偉人たちの健康診断

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