教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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5/18 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「光秀VS秀吉 信長はどちらを評価?」

光秀と秀吉、新参者の出世争い

 やはりコロナ対応でしょうか。今回の内容も今までの総集編に近いところがあります。信長家臣団では新参者だった光秀と秀吉の出世の軌跡を辿ることで、どちらがより信長に評価されていたかを考えるという内容。

 二人の新参者の内で先に信長に仕えたのは秀吉。最初は身の回りの雑用係である小者として取り立てられたが、なりふり構わぬ勤務ぶり(しっかりゴマもする)で足軽になる。そして足軽大将になったところで、柴田勝家や佐久間信盛も失敗した墨俣築城に名乗りを上げる。秀吉(当時は木下藤吉郎)が取った策は、美濃の地侍(いゆわる蜂須賀小六ら)を協力させ上流で木材を調達してから加工、それを筏にして下流に流して組み立てるというプレハブ工法だった。こうして見事に美濃攻略の拠点を作り上げたことで秀吉は出世の足がかりを築く。

 一方の光秀が信長に仕えたのは40歳ぐらいの頃といわれている。上洛に協力してくれる大名を探していた足利義昭を織田信長と結びつけた頃から両者の二重家臣のような形になり、そこからそのまま信長に仕えることになった。またこのようなことが出来たのは、光秀が帰蝶と従兄弟関係にあったからということが最近いわれており、それは現在の大河ドラマにも反映されている。

 

二人が大活躍した金ケ崎の退き口

 さてこの両者が家臣団の筆頭に経っていくきっかけとなったのは金ケ崎の退き口。信長が朝倉攻めに繰り出した際、浅井の裏切りであわや挟み撃ちとなっての困難な撤退戦。これの最も困難な任務である殿を果たしたのが新参者の秀吉、光秀、さらに池田勝正であった。この時に最初は勝正が、次に光秀が、最後に秀吉が追撃部隊に攻撃をかけて足止めをしたのだが、秀吉が一番散々な目に遭ったらしい。この時には秀吉だけが評価されて、後にもこの時の戦いは秀吉のみの功績のように言われてしまっているが、実際には光秀も同様に評価されていたはずであるとのこと。後に光秀が秀吉に山崎の合戦で敗北したので、光秀の功績まで秀吉のもののように言われてしまっただけで、恐らく信長はキチンと評価していただろう(ところで池田勝正はどうなった?)。

 

一国一城の主となってからの活躍

 では先に一国一城の主になったのはだが、これについては光秀の方が早い。信長の叡山焼き討ちを実行したことで信長に評価されて坂本城を得ている。なおこの時に光秀は叡山を丸ごと焼いたわけではなく、撫で切りもしていないという説もあるが、これの真偽のほどは定かではない。この頃、秀吉は浅井攻略に苦戦しており、浅井を滅ぼして北近江の地を得て城主となるのは光秀の2年後になる。

 その後の両者であるが、光秀は丹波攻略に秀吉は中国攻めに従事している。光秀は丹波の黒井城攻略に手こずった際に波多野氏が反旗を翻したりで一旦は攻略にしくじったりしているが、最終的には丹波の攻略に成功している。秀吉もまた三木城主の別所長治の裏切りで右往左往ということもあったが、三木城は兵糧攻めで、鳥取城もさらに徹底した兵糧攻めで落としている。番組では二人の城攻めの手腕について、光秀は当時でも一般的だった調略をメインに用いているのに対し、秀吉にはオリジナリティがあるので秀吉の方が上と評価しているが、実際は兵糧攻め自体は中国の紀元前からあるごく普通の戦法であり、秀吉はそれに長けていたという程度であり、城攻め手腕と言うことではドッコイドッコイではというのが私の評価。

 

信長の評価は?

 なお信長は佐久間信盛に宛てた書状で、まず光秀の功績を記し、次に秀吉を記していることから、この時点では光秀の方を高く評価していたのではとしている。ちなみにこの書状は佐久間信盛を追放した折檻状だと思われる。ちなみに古くからの功臣でもこのように働きが悪いとあっさり追放するようなブラック職場だから、本能寺の変が起こってしまったというのが私の考えだが。信長は家臣をあくまで手駒としてしか考えないタイプだったと私は見ている。

 で、この後に原因は様々に憶測されてはいるが、光秀のまさかの謀反で信長は「是非に及ばず」とこの世を去り、その光秀は秀吉に討たれることになるわけである。ちなみに私は光秀が本能寺の変を起こしていなかったら、そのうちに秀吉が謀反したのではと見ている。意外と毛利攻めで信長を呼び出して隙を見てバッサリって計画もあったかも。

 

 明らかに今までの内容を集めた総集編でした。コロナの影響も当然あるでしょうが、この番組もHPでネタを募集しているぐらいですから、結構ネタ詰まりしてるのかな。番組を進めるにつれてネタがなくなってくるのは歴史番組につきまとう必然的な問題でして、老舗のNHKの番組なんて大分前からその状態。だからヒストリアなんかでもネタ不足解消のために海外ネタを扱ったりもしましたが、そうなると撮影に予算がかかるという問題があり、結局は特番扱いぐらいが限界でした。最近は各テレビ番組もネットとかに食われて製作予算が厳しくなってきているようですから、こういうマニアックな番組は大変でしょう。実際に「美の巨人たち」なんかは制作費を切られたせいか、国内限定のしかも超ショボい番組にリューアルしてしまい、そもそもの内容自体もひどいせいもあって、私を含む古参の視聴者が完全に離脱してしまってご臨終寸前になってますから。

 特に今年は年初から光秀ネタばかりだったんで、少々飽きが来てしまっています。もう少し別のネタを扱った方が良いのでは。と言うわけで私が提案するのは「田沼意次」。賄賂政治の汚職の象徴のように言われますが、実際は将来を見すえて日本を商業中心の国際国家にすることさえ考えていた先進的な人物です。しかし先進的すぎたゆえに松平定信らの守旧派の反発を受けて失脚、その後は意図的に悪評を立てられた人物です。石田三成は近年急激に再評価されているし、この度明智光秀も再評価されることになりました。となると、後はやはりこの人でしょう。そもそもこの3人は私が以前から「歴史的に不当に貶められている3人」として挙げている人物なので。ちなみに田沼意次を扱ってと言う要望は、番組HPに挙げました(笑)。

 


忙しい方のための今回の要点

・明智光秀と豊臣秀吉は共に中途採用から出世を争ったライバルである。
・信長に仕えたのは秀吉の方が早く、墨俣城築城で頭角を現した。
・一方の光秀は足利義昭と信長を仲介したことで信長に仕えるようになった。
・共に金ケ崎の退き口で殿を努めて功績を挙げている。
・光秀はその後、叡山焼き討ちの実行で信長に評価されて、家臣の中で最も早く城主となった。
・秀吉は遅れること2年後に、浅井攻略の功で城主となっている。
・その後、光秀は丹波攻略、秀吉は中国攻めで功績を挙げている。信長の評価としては光秀の丹波攻略の方が高かったとも考えられている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしても信長は光秀の謀反の可能性を微塵も考えてなかったようなんですよね。浅井長政が裏切った時も「あれだけ処遇してやってるんだから、裏切るはずなんてない」と考えていたようだし。だから私は、信長は人の感情を理解することの出来ないアスペルガーなのではと考えているのですが。
・人を利で釣ることは出来るが、そこに生じる感情は分からない。だから松永久秀のような、とことん利で動くような人間の方が馬が合ったという気もするんですよね。

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