教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/10 NHK 歴史秘話ヒストリア「比叡山延暦寺 最澄 1200年のメッセージ」

最澄の開いた比叡山延暦寺

 今回は比叡山延暦寺について。と言うわけでこれも大河絡み。比叡山延暦寺と言えば織田信長による焼き討ちが知られているが、これを実行したのが明智光秀である。と言うわけで比叡山と言えば大河の主人公のダークサイドの話になるかもというところ。まずは比叡山延暦寺を開いた最澄の物語から。

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天台宗の粗・最澄

 まずは渡邊佐和子がロープウェイとケーブルカーを乗り継いで延暦寺を訪問するところから。延暦寺の中心は根本中堂で、ここは最初に最澄がお堂を建てた場所とされている。現在の建物は家光の時代に造られたもので、定期的に補修しながら今日にまで続いている。現在もまさにその補修工事中とのこと。根本中堂には薬師如来像が祀られており、これはやはり飢饉や疫病に人々が苦しめられていた時代を反映しているという。また根本中堂の特徴として、参拝者と薬師如来が同じ高さにあり、これは参拝者と薬師如来の心に慈悲の心という共通点を持っているという意味らしい。

 

万人を救おうと考えた最澄

 奈良時代の終わり、疫病や災害が広がる混乱の時代に世の中を助けたいという強い思いに駆られる若い僧が最澄だった。19才で奈良で僧侶の試験に合格するが、最澄はそれに疑問を感じるようになる。当時は僧侶になるには国家試験に合格する必要があり、そうして選ばれた僧侶のみが成仏できるとされていたのだという。3ヶ月で奈良を飛び出した最澄は叡山に籠もり、古の信仰の土地で新たな仏教の姿を求める。自然と一体化する中で最澄は法華経の「一切は皆まさに仏道を成すことを得る」という言葉にたどり着く。この世の誰もが仏になれるという意味である。これこそが最澄が求めていたものであり、この教えは多くの人々にも救いとなり、最澄の元には人が集まるようになる。

 その最澄に注目したのが桓武天皇だった。平城京からの遷都という大事業を行っていた桓武天皇にとって、平安京の鬼門に当たる比叡山の最澄は気になる存在だったという。こうして最澄と桓武天皇が接近する。延暦寺は国全体の安寧を守る寺院という位置づけになる。

 最澄直筆の国宝・三家学生式に最長が晩年にどうしたら仏になるのかという方法にたどり着いた言葉を残している。それは「一隅を照らす」だという。

 最澄は比叡山で厳しい修行(飲まず食わず不眠不休とかのマッチョな修行が多い)を行い、ある覚悟を固める。最澄は桓武天皇に願い出て、唐に渡ることにする。唐が社会不安定になったことから遣唐使は永らく絶えていたのだが、桓武天皇は最澄のために遣唐使を復活させることにする。唐に渡った最澄は天台山の国清寺で唐の高僧から直接に仏教を学ぶ。この時に出会った言葉が「一隅を守り、千里を照らす」だという。自分の立っている場所を懸命に守ることが、社会をあまねく照らすことになるという教えだという。要は「小さなことからコツコツと」と言うことか。

 

政治的影響力を強める延暦寺と信長の対立

 延暦寺は親鸞、法然、栄西、道元、日蓮など蒼々たる僧達を輩出し、日本仏教の中心となる。しかしこうなることで延暦寺自身が国の政治にも影響を及ぼす組織へと変貌してしまう。平安時代末、白河法皇が「鴨川の水と双六の賽と山法師だけは思うようにならない」と嘆いたことが残っている。延暦寺は一種の圧力団体になってしまっていたのだろう。

 その挙げ句に信長と対立することになる。そもそも延暦寺は広大な寺領を有していた上に、水運の要衝である坂本の町を要して莫大な通行料収入を得ていた。信長は延暦寺が浅井・朝倉をかくまったことからついに延暦寺を攻撃する。この時に延暦寺全体が焼きはらわれたと言われているのだが、近年の調査では根本中堂や大講堂以外からは火事の跡がみつからなかったのだという。そのことから信長が焼き討ちをしたのは坂本の町ではないかとの説が出ているという。坂本の支配を命じられた光秀は坂本の町の復興の時に焼き討ちで焼失した寺の復興も行っている。その結果、坂本の町にいながら延暦寺に仕えていた公人が戻ってくることで、比叡山全体に人が戻ってくることになったという・・・というわけで、結局は光秀のダークサイドには触れず。まあ仕方ないか。

 そして江戸時代になると秀忠が江戸を守るために東叡山寛永寺を建てることになり、延暦寺も将軍の庇護を受けることとなり、かつての姿を取り戻していったという。

 

 以前ににっぽん!歴史鑑定では「空海」を扱っており、そこでは最澄はもめた相手扱いでしたが、今回はその最澄の方が主役。やっぱり空海とのゴタゴタは触れたくないのか省略してました(笑)。こうして見ていると、まだ修行中で自費で唐に渡った空海と違って、最澄は既にかなりポジションを作ってから唐に渡ったのが分かります。こりゃ、新興で出てきた空海を警戒するのも分からないでもない。なおあっちの番組で、中国語が堪能だった空海に対して、最澄は中国語は駄目だったというようなことを言っていたが、やっぱり奈良を3ヶ月でブッチして、後は独学だったせいか?

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 ちなみに今回この番組を見ていて一番記憶に残ったのは、叡山のマッチョな修行。不眠不休でお経を唱えるとか、9日間飲まず食わずの修行とか(本当にやったら命を落とすと思うが)、超体育会系な修行が目白押しでした。なるほど、こりゃ比叡山に僧兵が溜まってくるわけだと何となく納得してしまった。元々マッチョ志向が強い宗教だったのか? マッチョの天台に対して、オカルトの真言、何か仏教と言ってもいろいろあるものだ。最澄は自然と一体化みたいなことも言っていたが、そこをさらに追求していったら、さらにマッチョな修験道に至ってしまうし・・・。

 

忙しい方のための今回の要点

・混乱する社会の中で、全ての人々の救済を目指す最澄は、奈良での修行を3ヶ月でやめてしまい、比叡山に籠もって独自の仏教を追求。その結果として法華経の教えにたどり着く。
・最澄の新しい仏教の元には多くの人が集まり、これが社会の変革を目指していた桓武天皇の目にとまる。その結果、京の鬼門封じの位置にある延暦寺は日本を守護する寺院としての扱いとなる。
・最澄はさらに仏教を極めるべく、桓武天皇に願い出て遣唐使として唐に渡って、天台の高僧から教えを受ける。
・最澄はこの時に「一隅を照らす」という教えにたどり着く。
・延暦寺は高僧を多く輩出し、結果として日本の仏教の中心となるが、それによって政治にも介入するようになり、ついに信長と対立することになる。
・信長の比叡山焼き討ちは、実は全山を焼きはらったのではなく、麓の坂本の町を焼いたのでないかとの説もある。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・最澄からは空海ってどう見えていたんでしょうかね。やっぱり「若い芽は早く摘む」でしょうか(笑)。どうも手っ取り早く真言密教の奥義を教えてもらおうとして、拒絶されたっぽいんですが。最澄は独学でいろいろと学んだせいか「本を読んだらなんでも理解できる」という考えがあったのに対し、空海はとにかく体験というところがあったようにも思われる。

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