教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/17 BSプレミアム 英雄たちの選択「名優誕生!九代目市川團十郎 新時代に挑む」

 今では日本を代表する伝統芸能として知られている歌舞伎であるが、江戸時代においてはその地位は非常に低かった(実際に河原乞食なる差別語まであった)。江戸期から明治期にかけて活躍して、歌舞伎の地位向上に貢献して今では劇聖とも呼ばれている名優九代目市川團十郎の挑戦について紹介。

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九代目市川團十郎、確かに馬面である

中興の祖である七代目の五男だった九代目

 九代目團十郎の父である七代目團十郎は中興の祖と言われている名優である。文化・文政期に活躍した七代目は、様々な改革を行った。十八番と言われる歌舞伎十八番を選定したのも彼であるという。しかし飢饉などが発生した結果、幕府は贅沢禁止を唱えて庶民の生活を締め上げる。いわゆる水野忠邦の天保の改革である。結局はこの時代錯誤の改革は完全に失敗して短期で潰えるのだが、この改革で市川團十郎が贅沢を助長しているとやり玉に挙げられて江戸所払いの処罰を受けてしまう。歌舞伎役者が低い身分なので差別が含まれているという。また七代目が能の「安宅」を歌舞伎化した「勧進帳」を演目にしたことが、幕府の儀式芸能として特別な地位にあった能を冒涜したというように武士の恨みを買ったということがあったのではとのこと。

 七代目は追放されたものの、七代目の長男が八代目市川團十郎となって歌舞伎は安泰だったという。イケメンで粋な演技の八代目は江戸の女性達を魅了したという。しかし重圧に押しつぶされたのか、人気絶頂の32才の時に八代目は突如自殺してしまったらしい。ここで市川團十郎の継承問題が発生。七代目には7人の息子がいたが、二男、三男は大成しなかった上に四男は夭逝していたので、役者をしている五男の権十郎に白羽の矢が立った。しかし権十郎は生後間もなく河原崎家に養子に出されていた。河原崎家は芝居小屋を運営していた家であったという。時代は激動の幕末、権十郎は明治7年に正式に九代目市川團十郎を襲名することになる。しかし37才の彼は兄に比べるとこれという当たり役もない地味な存在だったという。しかし新富座経営者の守田勘弥が九代目に目をつけ、西南戦争を題材にした歌舞伎に九代目を主演させ、これが大当たりをする。

 

歌舞伎役者の地位向上に貢献するが

 さらに九代目の活躍は歌舞伎役者の地位にも変化を与えたという。時の外相であった井上馨が明治天皇を招いた茶会の余興に九代目に歌舞伎を披露して欲しいと依頼してきたのである。九代目には歌舞伎の地位向上の願ってもないチャンスであったし、西洋との不平等条約の改正を目指す政府にとっても、歌舞伎の地位向上は日本文明の評価を高めるための策だったという(ヨーロッパには王立劇場などがあり、演劇のステータスが非常に高い)。この席で九代目は勧進帳を天皇に披露して高い評価を受ける。

 歌舞伎の改革に力を入れていた九代目は活歴という新しい歴史に忠実な新しい歌舞伎に取り組んでいた。しかし地味な活歴は庶民に人気が出ず(歴史に忠実と言うことはハッタリなどがないのでどうしても地味になる)難解と嫌われて新富座の経営も傾いてくる。その時に川上音二郎が人気を博し、歌舞伎の劇場である中村座にも登場する。音二郎の舞台を研究のために見に来た九代目は、音二郎一座の熱演に九代目は驚くが、これは自分が目指すものではないとひたすら自分の道を追求した。しかし相変わらず活暦は不人気で、新富座に代わって歌舞伎の殿堂となっていた歌舞伎座は閑古鳥が鳴く状況だった。

 

自らの選択によって伝説の名優へ

 そして日清戦争勃発。音二郎は早速これを題材にした演劇を上演して大ヒットする。歌舞伎座もこれに目をつけて、九代目の公演をキャンセルして音二郎一座を招聘することになる。これを聞いた九代目は激しく動揺する。ここで九代目の選択。活暦の新作を作り続けるか、既存の演目に回帰するかである。

 結局九代目は既存の演目に回帰することを選ぶ。リアルへのこだわりを捨て、誇張もある古典の世界に回帰したのだという。明治29年の4月興業歌舞伎座は十八番の一つ「助六」をやって欲しいと九代目に依頼するが、九代目は年齢的にもう無理であると断る。しかしそれを説得したのが経営から身を引いてアドバイザーとなっていた守田勘弥であった。彼は「芸に年齢は関係ない。お前さんが今しないとお手本がなくなってしまう。」と説得したという。この言葉に動かされて九代目は助六を演じる。59才と思えないその若々しい演技は多くの観客を魅了して連日大入り満員となった。九代目は多くの後進も育成して歌舞伎の発展に貢献したという。

 

 歌舞伎というものは時事ネタなんかも適当に取り込んで(「仮名手本忠臣蔵」など時事ネタの最たるもの)、そこに誇張やハッタリを加えて芝居としての面白さを追求するものと考えたら、活暦に固執した九代目はいささか頑なであったように感じるが、彼は真面目な人物だったんだろう。ただそれは無駄でも失敗でもなく、型を極めていた九代目だからこそ新しいものに取り組めたし、新しいものに取り組んだからこそ、既存の演目にも新しい命を吹き込むことが出来たという類いの事をゲストが言っていたが、それはその通りだろう。また「型を極めたものがそれをはずすことで型破りができるが、型をキチンと出来てなかったら単なる形無しになる」という有名な話も出ており、これはまさにこの通りである。最近はどの創作の世界も、単なる形無しを「斬新」と勘違いしている自称天才が闊歩していて見ていて情けなくなる。歌舞伎の世界では十八番というものがあるが、いわゆるお約束とか王道というのがなぜそうなるかということを理解していない者が斬新を語るのは十年早いと言いたいところである。

 

忙しい方のための今回の要点

・歌舞伎の地位向上に貢献し、劇聖とも言われる九代目市川團十郎は、中興の祖と言われた七代目市川團十郎の五男である。
・七代目が天保の改革の贅沢禁止令で江戸所払いになった後、長男が八代目となったが、重圧に押しつぶされたのか32才で自殺、五男の権十郎が九代目を継ぐことになる。
・彼は井上馨の要請で天皇の前で歌舞伎を演じて評価され、歌舞伎の地位向上に大きく貢献することとなる。
・その後の九代目は新しい歌舞伎である活歴に力を入れたが、リアルに重きを置いて地味な活歴は庶民に受けず、人気が低迷することになる。
・この時に川上音二郎が登場して人気を博する。彼の舞台を見た九代目はその熱演に驚くが、これは自分の求めるものではないと我が道を追求する。
・しかしやはり活歴は受けず、とうとう歌舞伎座の舞台に音二郎一座が上ることになってしまい、九代目はついに既存の演目に回帰することにする。
・だが九代目は過去の演目に新たな息吹を吹き込み、後進の育成にも貢献することで歌舞伎に大きく貢献することになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・番組中でも「馬面」という言い方をしてましたが、確かに九代目の写真を見るとかなりの馬面ですね(笑)。しかし動作の美しさなどから、女形を演じたらそれが女性に見えたといいます。これこそまさに芸というものですね。なお歌舞伎の世界においては、顔が大きいこと自体はプラスです。いわゆる今流行の小顔の者は歌舞伎には向かない(見得などを切っても見栄えがしない)。そういう連中は歌舞伎ではなくて、最近人気の2.5次元にいくんですかね(笑)。
・歌舞伎が本来は時事ネタなどをバンバンと取り入れるものと考えると「ワンピース歌舞伎」とか「スターウォーズ歌舞伎」なんて意外でもなんでもなく、当然のようにありなんですよね。安倍晋三の悪事をモデルにしたモリカケ歌舞伎なんかはどう?・・・まあ、あっという間に上演禁止食らうわな。

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