日本の戦国時代をヨーロッパの意図から読み解く
日本の戦国時代は今まではあくまで日本国内の視点のみで語られることが多かったが、それを世界との関わり合いから見ていこうという大胆な企画。視点を変えることで今までとは違う戦国時代の姿が見えてくるということである。
日本の戦国時代、世界は大航海時代でキリスト教は世界制覇を目指していた。バチカン市国のイエズス会ローマ文書館に戦国日本にかかわる貴重な資料がある。今回特別に撮影を許可されたのが日本を訪れた宣教師の記録。記録は1549年にフランシスコ・ザビエルが来日して日本にキリスト教を伝えたところから始まる。
全世界をキリスト教国にするという大きな使命を抱えた宣教師たちは、そのための情報活動も行っていた。宣教師は各地の日本人キリシタンの情報網から日本の政治に纏わる情報を収集していた。この情報網を取り仕切っていた宣教師がフランシスコ・カブラルだという。眼鏡をかけていたことから「4つ目のカブラル」と呼ばれていた彼は、布教の拡大のために次々と戦国武将への接触を図った。その過程で目をつけたのが織田信長だという。
信長と宣教師たちの虚々実々の駆け引き
1572年、信長の屋敷を訪れたカブラルは布教に協力してもらうために信長に接近する。その3年後、長篠の合戦の勝利で信長は一躍天下統一に名乗りを上げる。この戦いは一般的に鉄砲の信長対騎馬の勝頼と見られているが、実は武田軍も鉄砲隊が存在した。この両者の違いは信長軍が使っていた鉄砲玉の分析から見えてくるという。成分を分析した結果、信長軍の鉄砲玉は遠くタイの鉱山で産出した鉛が使われていた。日本では貴重な鉛を信長は宣教師たちと手を組むことで入手していたのである。宣教師の記録でもカブラルが信長のために鉛の取引をしていたことが記されているという。ポルトガルの交易船が日本に鉛を運んでいたのである。
宣教師たちの狙いは全世界を支配下に置くことだった。そして信長と組んだ宣教師たちだが、その前に立ちはだかったのが石山本願寺に拠点を置く仏教勢力だった。宣教師は布教の妨げになる仏教勢力を信長に排除させようとしていた。宣教師たちの記録には「我々には日本を征服する権利がある」という記述さえあるという。カブラルは信長をキリスト教に改宗させることを考えていたが、信長は一族や家臣の改宗は認めたが本人はキリシタンになることはなかった。
信長の意図は何にあったのか、実は宣教師たちはその情報も捉えていたという。秀吉が信長に「宣教師たちは密かに征服計画を進めている」と言ったという記録が残っている。秀吉はこの頃から宣教師たちに危険性を感じていたようであり、信長もそれを察知した上で軍事物資調達のために宣教師たちを利用していたのだという。
宣教師たちは仏教徒を倒すために摂津に拠点を置く高山右近に目をつけ、右近に信長に味方するように働きかけたという。右近を始め1万人のキリシタン勢力の援軍を得た信長は石山本願寺に勝利する。
軍事大国化した日本を明国征服に利用しようとしていた宣教師たち
戦国時代は宣教師たちの想像を越える事態をも生み出していた。日本が急激な軍事的発展を遂げていたのである。ヨーロッパから持ち込まれた鉄砲は、日本の刀鍛冶の技術と結びついてヨーロッパのものよりも質のよい鉄砲を量産できる体制が確立していた。鋼鉄製の甲冑さえ打ち抜ける破壊力を日本の鉄砲は有していた。戦国日本には30万丁もの銃が存在し、世界有数の軍事大国になっていた。宣教師たちはこの日本の力を利用することを考えていた。
この頃、スペインでは征服王フェリペ2世がポルトガルを併合し、スペインは強力な世界帝国となっていた。フェリペ2世はアジアの支配に尽力するように命じ、宣教師たちはそのために中国の征服を考えており、日本の軍事力を利用して明国を征服することを考えていたのだという。
しかし信長と宣教師の蜜月は、信長が自ら神になると宣言したことで終わりを告げる。信長が意のままにはならないと考えた宣教師たちは、九州のキリシタン大名たちに軍事的支援をすることでその強大化を狙っていた。この頃にキリシタンは10万人に増えていた。信長と宣教師たちの衝突は不可避になりつつあったが、それは本能寺の変で突然に終わりを告げる。
秀吉の朝鮮出兵の影で世界戦争の可能性が
信長の死後、秀吉の天下を予想した宣教師たちは秀吉に接近する。秀吉は勝利し、政権中枢には多くのキリシタン大名が名を連ねることになる。この頃にはキリシタンは30万人を突破する。
アジア征服のための中国支配を目指す宣教師たちは秀吉に明国出兵を働きかけようとするが、奇しくもそれは秀吉自身も考えていたところであった。宣教師は秀吉の朝鮮出兵に協力を約束する。九州の大名を中心とした日本軍は朝鮮を攻撃、劣勢を強いられた朝鮮に明国は大軍を援軍として派遣する。戦いは74万人を動員される大戦争となった。これによって最前線で戦うキリシタン大名の犠牲が急増する。しかし実はこれは秀吉のキリシタン大名を弱体化させるという戦略だったという。実はこれに先立ち秀吉はバテレン追放令を出してキリスト教の布教を禁じていた。宣教師の思惑はズレ始めた。さらに彼らを驚愕させたのは、秀吉が戦費調達のためにスペインの植民地であるフィリピンの支配を考えていたことだった。
これに対してスペインは警戒を強める。実はこの時にスペインと日本との間での世界戦争の可能性さえあったのだという。しかしフェリペ2世が急死し、ほぼ同時に日本でも秀吉が亡くなることで世界戦争は起こることなく日本は朝鮮から撤兵する。
なかなか面白い観点の内容である。当時のヨーロッパは布教と征服が一体となっており、実はイエズス会はヨーロッパによる世界征服の尖兵であった。こうして見ていると、想像以上にキリスト教勢力は邪悪な連中である。信長と宣教師たちのお互いに利用しようとする虚々実々の駆け引きも興味深いところである。しかしこうなってくると、本能寺の変の黒幕にイエズス会がいたという説もそう突飛なものには思えなくなってくるから不思議である。
元から宣教師たちに対して警戒心を持っていた秀吉は、彼らを利用しつつも勢力が拡大しすぎてくると排除に移る。単に耄碌して判断力がなくなっていただけだと思われていた秀吉の朝鮮出兵も、その裏にキリシタン大名の勢力を削ぐという意図もあったと言われるとなかなかしたたかである。もっとも日本が明国を支配できると考えていたのは、やはり耄碌して判断力が鈍ってきたというようにも思えるが(もっとも宣教師たちも日本の軍事力で明国を支配させるつもりだったようだが)。
なお日本を利用することを考えていたフランシスコ・カブラルは根っからの差別主義者で、日本人を内心でかなり見下していたという話もある。だからこその「我々には日本を征服する権利がある」なんだろう。ただこのような輩は当時のヨーロッパ人では極めて普通だったというのも事実。相手を野蛮人と見下しているから、力尽くの改宗も場合によっては根絶やしにすることも抵抗がないわけである。
忙しい方のための今回の要点
・宣教師たちはキリスト教による世界支配のために信長を利用しようとして接近し、信長もその意図を察知した上で天下統一のために利用する。
・信長は銃弾のための鉛を宣教師を使って海外から輸入していた。
・宣教師たちは布教の妨げとなる仏教勢力を排除するため、高山右近に働きかけて信長の石山本願寺攻めに協力させる。
・宣教師たちは信長をキリシタンに改宗させることも狙っていたが、信長はその狙いの乗らず、ついには自らを神と名乗るに至る。この事態に宣教師たちは九州のキリシタン大名たちを軍事支援して強力化させる。
・本能寺の変後、宣教師たちは秀吉が天下を取ると見込んで秀吉に接近する。宣教師たちはスペインの世界支配のために日本を利用して明国を征服することを狙っていたが、図らずしも秀吉も明国の支配を考えていたため、秀吉の朝鮮出兵に協力する。
・朝鮮では明国の援軍が来たことで大決戦となり、最前線のキリシタン大名の被害が大きくなるが、実はこれは秀吉の狙いでもあった。さらに秀吉がスペインの植民地だったフィリピンを戦費調達のために狙っていることも判明、スペインは警戒を強め、この時にヨーロッパとアジアでの世界戦争の可能性も持ち上がる。
・しかしスペインのフェリペ2世と秀吉がほぼ同時に亡くなったことで、この世界戦争の脅威は消滅する。
忙しくない方のためのどうでも良い点
・ヨーロッパ側の意図から戦国の歴史を読み解くという視点は、今まであまりメジャーではなかったですね。しかし今回こういう新たな視点を入れることで、この時代の歴史がさらに立体的に見えてきました。これは実に面白い。さすがになかなかやるなNHK。もっとも今回の内容は異論・反論も出るだろうな。もっともこの当時の宣教師たちはかなり胡散臭い連中であることは間違いないし、当時のヨーロッパが極めて侵略的であったのは疑いのない事実ではあります。
・しかし日本軍対スペイン軍のフィリピン沖海戦ってどうなるんでしょうね。外洋船の技術に関しては明らかにスペインの方に分がありますが、向こうは日本に比べると兵站線が長すぎる不利がある。それを考えたら結構ドッコイドッコイの勝負かも。ただ本気でこれをやったら、どっちの国も共倒れになる可能性が一番高い。
次回の内容