教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

"植木等はスーダラ節を歌うことを拒否していた" (7/1 NHK 歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」から)

昭和の大ヒット曲「スーダラ節」誕生秘話

 これが本当に歴史か?という疑問がないわけではないが、今回のテーマは植木等のスーダラ節。彼の経歴やスーダラ節自体がいわゆる昭和の時勢を反映したものであるという観点らしい。いよいよ昭和も「歴史」として取り上げられる時代になってきたようだ。私のような「昭和生まれ」には歴史と言えば昭和以前(せいぜいが戦前まで)のイメージが強いが、今のように平成生まれが社会の中心になってきた時代には、既に昭和(しかも戦後)も歴史上の話か。

 スーダラ節は高度経済成長の最中の昭和36年に発表され、記録に残るだけでも80万枚の売り上げを上げた大ヒット曲である。自堕落なサラリーマンの姿を描いたこの曲がいかにして受けたのか。

 

戦後のジャズ人気の中で植木等が登場

 戦後、それまでの鬼畜米英の軍国主義の世の中が一転、ジャズ音楽などが流行する世の中となっていた。そんな中で元々ステージの世界に憧れのあった植木等は本格的歌手を目指していた。やがて彼はギターを購入。結婚して長男が生まれた彼は、生計のためにジャズ演奏の仕事に目をつけたのだという。その頃に植木が練習のために書き込んだ楽譜が植木の弟子の元に残っている。

 この頃に植木が出会ったのが後に共に仕事をすることになる谷啓、ハナ肇、渡辺晋ら。さらには後にスーダラ節を作曲する荻原哲晶などがいる。萩原は東京音楽学校出身の音楽界エリートだが、戦争中に軍楽隊を経て、戦後は好きだったジャズの道に進んだという異色の経歴を持っていた。

 植木にはフランキー堺とシティ・スリッカーズから声がかかる。このバンドはフライパンなどまで楽器に使うコミックバンドだったという。本格的な歌手を目指していた植木はここで「俺もおしまいかな」との内心の複雑な思いを抱えながら、半ばやけくそでマラカスを振り回していたのだが、その姿が観客に大受けし、それがジャズマン達の目にとまったという。そして昭和30年、ハナ肇とクレイジーキャッツが結成される。植木はボーカル兼ギターとして参加した。そして植木のギャグキャラクターは大受け。当時急速に普及していったテレビに出演したクレイジーはお茶の間の人気者となる。

 

「スーダラ節」誕生の経緯と植木の葛藤

 事務所の社長の渡辺晋が、クレイジーのために歌を作ると言うことを提案する。しかしどんな曲にするかなかなか決まらない中、植木がよく歌っている鼻歌が良いんじゃないかということでまとまる。そして萩原が作曲に起用される。萩原は植木につきまとってその鼻歌を取材して、それを元に曲を作る。

 作詞は青島幸男が担当する。少年時代、軍国少年だった青島は戦後になって価値観が逆転する中で16才で胸を患って青春を謳歌できず、大学の友人達が安定した会社員として就職していく中で不安定な放送作家の道を歩む。サラリーマンに対する反骨精神と社会に対する疑問などが独自の歌詞につながったのだという。

 こうして曲は出来上がったのだが、ここで大問題が発生する。植木等がこれを歌うことを拒んだのである。その理由は彼の生い立ちにあった。

 彼の父・植木徹誠は浄土真宗の僧侶であり、檀家が山間に散らばる小さな寺を選んで赴任したという。貧しい生活の中で彼は差別解消のための社会運動にも力を入れていた。植木等の等という名には「人は平等である」という想いが込められているのだという。そんな徹誠は出征する兵士を見送る際に「戦争というものは集団殺人だ。それに荷担させられることになったわけだから、必ず生きて帰ってこい。それからなるべく相手も殺すな。」という言葉を贈ったことが問題となる(極めて真っ当なことを言っているのだが、異常な世の中では真っ当な言葉は大問題となる)。時代に逆らった徹誠は思想犯として逮捕され、僧侶としての職務が植木にのしかかることになったのだという。当時小学生でどう見ても小坊主で貫禄も微塵もない植木は檀家からも軽んじられ、十分なお布施をもらえずに生活はさらに困窮することとなった。それでも植木は他者に尽くす父の信念を肌で感じていたという。そのような生い立ちの植木だけに、あまりに自堕落で欲まみれのサラリーマンの姿を描いたスーダラ節に対しては「こんな歌が流行ったらとんでもないことになる」と抵抗が強かったのだという。

 

「スーダラ節」を聞いた父の予期せぬ言葉

 しかし思いあまって「こんなひどい歌を歌わされそうなんだ」と父に相談した植木に対して、徹誠は思いかけないことを言う。「すばらしい曲だ」というのが徹誠の意見だった。彼によると「わかっちゃいるけどやめられない」というのは親鸞聖人の生き様に通じるというのである。親鸞は90才で亡くなる時「やっちゃいけないことばっかりやって、わしゃ死ぬときがきた」と言ったという。親鸞の教えに「悪性さらにやめがたし、心は蛇蝎のごとくなり」というのがあるという。いかに仏に身を捧げても、悪い心を完全に断つことは出来ないと自身を振り返っての言葉だという。まさに「わかっちゃいるけどやめられない」である。ちなみにアンチ宗教の私であるが、親鸞のこういう人間の本性を見つめた上で救済を目指すという姿勢には、以前から部分的に共感を持っている。

 こうして父に一押しされて葛藤のあるままレコーディングに臨んだ植木。この曲のレコーディングは全員大受けで爆笑の中、植木だけが一人で真面目にどう表現するかに悩んでいるという状況で収録されたという。「もっと面白くならないか」と他のメンバーから何度もダメ出しがでる中、疲れ切った植木がほとんど投げやりで歌ったラストテイクが「一番面白い」ということで結局はオーケーテイクになったという。恐らく投げやりっぷりが曲想に一番ピッタリだったんだろう。そう言えば「俺もおしまいか」とやけくそで振っていたマラカスが客に受けたりと、とかく本人の思いとは逆に出る人だな。

 この曲は高度成長の世相とマッチして大ヒットする。さらには植木の元には「無責任シリーズ」の映画の話が舞い込んでくる。植木が主演した要領よく世の中を渡っていくサラリーマンの姿はこれも大受けする。青島と萩原のコンビによる曲も次々と大ヒットする。植木の歌は高度成長期の応援歌でもあったわけである。

 

時代の変化と植木の決意

 しかしそこにオイルショックでの不況がやって来る。この頃になると萩原はドラマ音楽の道へ、青島は作家や政治家に転身、そして無責任男を演じ続けた植木にも葛藤が生じ始める。無責任男から脱却しようとした植木がこの時期に出演した映画が「本日ただいま誕生」だという。途中で資金が尽きて植木自らが金策に奔走したというこの作品は、シベリア抑留で経験した僧侶の実話を基にしたというかなり重い話である。植木はかなりの意気込みでこの作品に臨んだようであるが、作品の興業自体は完全に失敗している。両足を失って自暴自棄になりながら、僧侶になることで「今、自分は生まれ変わったんだ」という境地に至ったという作品だという。この作品が植木のスーダラ節に対する意識を変えたのだという。今、自分はここで生まれたのだと思って「無責任」の看板を背負ってずっと歩き続ける決意をこの時に決めたのだという。

 スーダラ節はその後、バブル時代に再び復活する。時代を笑い飛ばす内容が再び時代にマッチしたのだという。植木は2007年に80才で亡くなるまで、責任を持って「無責任」を演じ続けたという。

 

 これが本当に歴史か? という疑問はあったが、終わってみたら見事に昭和史になっていた。まあ芸能界などにおけるヒットというのは、時流に合うかどうかが最もポイントになるので、大ヒットしたスーダラ節を見ればあの時代の空気というのも確かに伝わってくるだろう。平成生まれの者に高度成長期とかバブルの社会の空気はピンとこないだろうし、下手するともう一生そういう体験はないかもしれない(今のひどすぎる政治の元で、今後の日本は下降線の一途である)。ちなみに私は物心ついた頃にはオイルショックの世の中もうこれで終わりかというご時世になってました。その後のバブル時はちょうど就職時期で、史上最強とも言われた売り手市場の中でどさくま紛れにそこそこの企業に潜り込んだんですが、その後の氷河期のポストがない処遇も出来ないの中で地獄を見ました。しかも当時はまだパワハラやセクハラが社会的に浸透していないご時世の中で、パワハラ上司のせいで見事に前途をつぶされたという経験もしてます。ですからある意味で植木の演じた「無責任サラリーマン」っていうのは私の憧れでもあります(笑)。

 それにしても自分の本質とは違いすぎるキャラクターがイメージとして普及してしまって、そのギャップに悩むというのは芸能人にとっては結構多いパターンだと聞きます。中にはそのギャップに耐えかねて最後は自殺した人までいます。植木も根がかなりくそまじめな人だったらしいですから、半端でない葛藤を抱えていたと思います。なお私は根っこは真面目な人間なのですが、それではあまりに生きづらいので、憧れのスーダラ人間を演じている部分があります(笑)。まあこれ以上この話に突っ込むと、私のダークサイドが出てきてしまうのでこの辺りで「失礼します」(笑)。

 

忙しい方のための今回の要点

・高度成長期の日本で大ヒットしたスーダラ節。しかしこの曲を歌った植木等は、最初はこの曲のレコーディングを拒んだ。
・植木は最初は正統派の歌手を目指していたが、段々とコミックソングの世界に入っていく。「俺ももう終わりだな」とやけくそで振り回したマラカスが客に大受けするなど、本人の意志とは無関係に人気が出ていく。
・ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバになった植木は、普及し始めたテレビに乗っかって人気者となる。そんなクレイジーのために作られた曲がスーダラ節。
・スーダラ節は植木の鼻歌を元に萩原哲晶が作曲、それをサラリーマンに対して反骨精神や屈折した感情も持っていた青島幸男が作詞した。
・植木がこの曲のレコーディングを拒んだのは、こんな自堕落で欲にまみれたサラリーマンの姿を描く曲がヒットしたら大変なことになるとの思い。その背景には僧侶として社会活動家として信念を持って行動していた父に対する共感があったこと。
・しかしスーダラ節を聞いた父は「わかっちゃいるけどやめられない」というのはまさに親鸞聖人の教えにも通じると植木に告げ、植木は葛藤を抱えたままレコーディングに臨む。
・なかなかメンバーの納得できる出来にならず、疲れ切った植木が半ばやけくその投げやりで歌った最終テイクが「面白い」と採用されることに。そして曲は大ヒットする。
・その後もヒットを連発。植木は「無責任シリーズ」の映画にも出演して時代の大スターとなる。
・しかしオイルショックと共に時代も変わり、植木も無責任男を演じ続けることに抵抗を感じ、全く別の路線の映画に主演するが、そのことが逆に植木に新たな気持ちで無責任男を責任持って演じ続けるという決意をさせることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・責任を持って無責任男を演じ続けるというのがいかにもこの人らしいんですよね。根っこが真面目で、それでいて悟りきっているというか割り切っているところがある。
・スーダラ節って、時代が行け行けドンドンの時に浮上してきます。ということは、今後の日本では二度とスーダラ節が復活することなさそう。それともいよいよ本格的にどうしようもなくなったときに、現実逃避のやけくそのように浮上するか。

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