教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

"オリンピック開催前夜の日本を騒然とさせた爆弾魔・草加次郎とは" (7/2 BSプレミアム ダークサイドミステリー「東京・昭和の闇 姿なき爆弾魔"草加次郎事件"」から)

愉快犯の元祖とも言える草加次郎事件

 愉快犯と言われる独りよがりで他人には動機の理解できない、胸くその悪くなるような犯罪が昨今増えているが、そのような愉快犯の元祖とも言えるような事件が、まさにオリンピック開催前夜の高度成長の日本で発生したこの草加次郎事件であるという。現在ではあまり知名度が高いとは言い難くなっている、結局は未解決で終わった草加次郎事件とはいかなる事件だったか。

 昭和30年代日本は高度成長期に湧き、東京には多くの若者が東北などから上京し、彼らは金の卵などと呼ばれていた。しかし突貫工事の工事現場や生産優先の工場の生産ラインなど労働環境は悪く、怪我を負ったり病を患っても十分な保証もなく使い捨てにされる中で、いわゆる格差というものが進行しつつあり、そういう世の中に適応できない者も出始めていた時代でもある。

 

都内で相次いだ発火物事件

 一番最初の事件は昭和37年11月4日、当時人気絶頂であった島倉千代子の後援会事務所に送られたファンレターの中に発火物が仕込まれていて、事務所員が全治2週間のやけどを負った事件から始まった。ボール紙を引き抜くと発火する仕組みになっており、その裏には「草加次郎」と名が記されていた。この時期、中卒後に上京して生活に困窮する若者がスターを逆恨みする犯行は多く、警察もそのような事件と考えた(この手の事件は今でも多いのが事実)。

 しかし半月後の11月20日、今度は日比谷の映画館に発火物が置かれるという事件があり、それを拾った女性が左手に全治10日のやけどを負っている。横に置いていた筒を縦にした途端に発火する仕組みになっていたという。当時はまだ長閑な時代であり、今と違ってこのように不審な物体が放置されていてもさほど警戒する人はいなかった。この女性も落とし物かなと何気なく手に取っただけだった。

 その後も別の劇場で発火物が見つかったり、六本木のホステスの自宅に発火物が送りつけられるというような事件があったが、幸いにして怪我人は出なかったという。さらには世田谷の住宅街の電話ボックスに本を加工した発火物が仕掛けられ、被害者が全治5日間のやけどを負うという事件が発生する。その本が啄木の一握の砂だったことから、働いても報われない労働者の鬱憤晴らしという線で捜査が進められる(とてつもなく対象者が多そうだ)。そして12月1日にこれらの犯行が全て「草加次郎」と犯人が名乗っているということが初めて公開される。いずれにも同一人物によると筆跡鑑定された草加次郎の署名が残っていたのだという。

 

つかみきれない犯人像

 当時の犯罪は強盗、誘拐、強姦など動機と目的が分かりやすい犯罪が多かった。しかしこれは社会を騒がせることに快感を感じるというタイプの犯罪で、今までの考えでは理解しにくいタイプの犯罪であった。当時はまだ豊かさが庶民にまで及んでおらず、そういう社会情勢が反映しているのではとの分析があったが、私はさらにはこの時期にテレビなどのメディアが浸透してきて、社会の混乱を犯人がより感じやすくなることで、快感が増すということが大きいようにも感じる。ネット時代になってこの手の犯罪がさらに増加している今日の風潮にもつながっている。

 12月12日、再び本を使用した犯罪が発生するが、今度はエラリー・クイーンの犯罪カレンダーを用いていた。この事件自体は未遂で終わっているが、草加次郎はミステリーファンではという説まで浮上する。

 この事件にはこの年の10月に広域犯罪に対応するために結成された警視庁機動捜査隊が当たることになる。地域警察の垣根を越えるために投入されたのだが、この後、草加次郎の犯行は途絶える。そしてその頃、吉展ちゃん誘拐事件などの大事件が発生し、草加次郎事件は世間から忘れられていく。

 しかし8ヶ月後の昭和38年7月25日、上野警察署に草加次郎を名乗る人物からピストルの弾が送られてくる。それは10日前に上野公園でおでん屋台を片付けていた人が銃撃されて重症を負った事件の銃弾と一致する。草加次郎が自己顕示欲を満たすためのアピールを行ってきた。

 

エスカレートする犯行に大規模捜索が行われるが・・・

 ピストル絡みになったことで草加次郎事件に暴力団担当のマル暴も捜査に加わって規模が拡大する。犯人像も面白半分の変質者から暴力団関係者にまで広がることになる。結局は草加次郎の姿は拡散してしまう。事件は報道されたものの草加次郎の関与は伏せられたためにさして話題にならず、それが草加次郎の犯行をエスカレートさせることになる。

 昭和38年9月5日、地下鉄銀座線の京橋駅で車内の出入口に置かれた爆発物が爆発して、10名が重軽傷を負うという事件が発生する。翌日、草加次郎の犯行であることが報道されて世間は騒然とする。爆発物に使用された乾電池から次郎の文字が見つかったのだという。これ以降、新聞などの報道が急増する。

 地下鉄爆破事件後、警察も重要事件と見なして特別捜査本部を設置する。80名が招集されての大規模な操作が始まる。時限発火装置は市販の時計を利用したもの、火薬は当時は子供のおもちゃ用に販売されていた平玉火薬をほぐしたものだった(当時は火薬に限らず、シンナーなんかも普通に売られていた)。現場に残された時計の裏蓋には「次は10日」の文字が読み取れた。9月10日に次の犯行が行われるのではと騒然となる。

 新聞などは一斉に草加次郎に対する非難を高めるが、一方で英雄視するような者も現れ、模倣犯も出てくる(いつでもある反応である)。脅迫などの便乗犯は500件以上登場したという。

 10日に向けて厳戒する中、9月9日に警察は草加次郎逮捕のために東京・千葉・茨城の60キロに及ぶ大捜査網を展開する。舞台は急行十和田。草加次郎が吉永小百合に危害を加えると脅迫し、身代金100万円を要求してきたのである。そして現金の受け渡しに急行十和田を使用することを指定してきたのだという。8時に青か緑の懐中電灯が見えるからそこで現金を落とせという要求だった。それを見つければ草加次郎の身柄を確保できる。しかし結局はこの捜査は完全に空振りに終わる。そして翌日厳戒態勢をしかれた地下鉄でも何も事件が起こらないまま終わる。結局は草加次郎の事件はこの後完全に途絶える。そして犯人にたどり着けないまま昭和39年9月5日特別捜査本部も解散する。1ヶ月後に東京オリンピックを控えた時であった。

 社会を大混乱させたことで満足したのか、警察が本腰を入れて捜査を始めたことにビビったのか。理由は不明だが草加次郎事件はこれで終わって、結局は時代の中で忘れ去られていったという。だがこれ以降もいわゆる愉快犯は続出し、ネット時代の現在は新たな形の愉快犯が多数登場している。

 

 まあこの手の歪んだ輩の精神を理解しようとしても困難だし、完全に理解できた時には自分も犯罪者予備軍である。私もいろいろとムシャクシャと思うところのあったことは多いが、ただ無差別に殺傷したいと思ったことはない。パワハラ上司を待ち伏せして闇討ちしてやろうかと考えたことはあったが(笑)。ちなみに思いとどまったのは「あんなクソと相打ちにするほど俺の人生は軽くない」という考え。人間恨みなどに凝り固まったら、思いの外視野狭窄が起こるので、そんな時は冷静に俯瞰してという教訓でもある(笑)。

 今はネットの普及でこの手の犯罪に近いことがお手軽に出来るということが問題になっている。番組でもネットの炎上などに同じ精神を見出していたが、ネットの炎上とかがこの手の犯罪と違うのは、この手の愉快犯は自身が悪であることを自覚の上でダークヒーローを装っているが、ネットの炎上の場合には自分自身は正義であると考えてそれに酔っている者が少なくないと言うこと(攻撃される者にはそれをされて仕方ない原因があるという大義名分を掲げている)。それだけにさらに攻撃が執拗になるところがある。

 一定数の人間が入れば、自己顕示欲を拗らせてこういう犯罪に走る変質者というのはどうしても一定数出る者だが、それでも「衣食足りて礼節を知る」という言葉の通り、日常生活が特に問題なく送れていれば、相対的にこういう犯罪もある程度は減少するところがある。この手の犯罪の増加は社会的ストレスの増加の反映でもあるし、国民が将来に希望を持てなくなっているからということがある。それに格差社会は覿面にこういう犯罪を増やす(本当に一億総中流なら他人を嫉妬する必要もない)。

 まあ犯罪とは違うが、ネットなどで悪目立ちしたがる中二病なんかもベクトルとしては同じ方向を向いている。だからこの手の輩が上手く目立つことが出来なかったときには、最後に執る手段は犯罪。誰もしないようなことで誰でも出来ること(そもそも特別な技倆を持っているやつなら特別なことをしなくても目立てる)で目立とうとすれば、結局は犯罪しかないというわけである。一時期話題になったバカッターとか馬鹿チューバー(ユーチュー馬鹿とも言うとか)なんかがまさにこの例。

 

忙しい方のための今回の要点

・高度成長期の昭和37年、草加次郎と名乗る人物による連続発火物事件が東京で発生する。
・社会的にも関心を集め、警視庁機動捜査隊が広域捜査を開始するが、やがで吉展ちゃん誘拐事件など重要事件が相次ぐ中でこの事件も忘れられていく。
・そんな中、草加次郎から上野公園での銃撃事件弾丸が送られてくる。マル暴も加わって捜査は拡大されるが、この事件はあまり大きく報道されることはなく、草加次郎は次に地下鉄銀座線で爆発事件を起こして犯罪をエスカレートさせる。
・これに対して警視庁は特別捜査本部を設置して大規模な捜索を開始、報道でも草加次郎に対する批判が高まるが、その一方で彼を英雄視した模倣犯も続出する。
・その後、吉永小百合に対する草加次郎による身代金要求の脅迫などもあり大捜査態勢が敷かれるが不発、その後草加次郎の犯行も途絶え、1年後には捜査本部も解散、犯人が見つからないまま事件は忘れ去られていく。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・この事件って世間を騒がせましたが、結局死者は出してないんですよね。だから当初は「悪質ないたずら」の範囲で捉えられていた。最後の爆発物なんかも、人を怪我させられても命を奪うことまでは考えてなかったような気がする。そういう線からどうも草加次郎自身が重大犯罪にはならないように一線を引いているようなところが見えます。いろいろな犯人像のプロファイリングがありましたが、私は結構若い(場合によると10代)という犯人像を推測します。

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