教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

"大坂の陣がヨーロッパの覇権争いに決着をつけた"(7/5 NHKスペシャル 戦国~激動の世界と日本~2「ジャパン・シルバーを獲得せよ 徳川家康×オランダ」から)

徳川と豊臣の対立はヨーロッパの代理戦争だった?

 日本の戦国時代は今まではあくまで日本国内の視点のみで語られることが多かったが、それを世界との関わり合いから見ていこうという大胆な企画の第2回目。視点を変えることで今までとは違う戦国時代の姿が見えてくるということである。

 前回は秀吉が亡くなって宣教師たちが目論んだ中国侵攻が頓挫するところで終わったが、今回は秀吉死後の徳川と豊臣の争いの影で暗躍するオランダとスペインの思惑についてである。

 

スペインと対立する過程で日本にたどり着いたオランダ

 1600年4月19日、嵐で難破したオランダの貿易船が日本に漂着する。この船には最新式の鉄砲や弾薬が大量に積まれていた。この船に目をつけたのが徳川家康である。家康は自らオランダ人達を尋問している。豊臣家に対抗する軍事力強化を目指していた家康にとって、武器の通商にやって来た彼らはまさに格好の取引相手であった。そこで家康は船員達を家臣として召し抱える。その一人が有名なウィリアム・アダムス(三浦按針)である。そしてオランダ船が積載していた武器は家康のものとなり、これらは関ヶ原の合戦で活躍する。

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ウィリアム・アダムス 出典:臼杵市HP https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014020600544/

 スペインの支配下から独立したオランダは、覇権を巡ってスペインと争っていたが、海外の植民地からの莫大な富を得ていたスペインは強大で、オランダは劣勢に立っていた。この時にオランダは貿易による富国強兵策を打ち出し、その富によってスペインを打ち倒すという戦略を立てていた。オランダはそのために東インド会社を設立する。この会社は独自に条約を結んだり兵士を雇ったり、貨幣を発行する権利など国家に匹敵する力を有していた。これはオランダがスペインとの経済戦争で勝利するためだった。この東インド会社が日本に正式の使節を送り込む。オランダがスペインなどと根本的に異なっていたのは、スペインなどは交易だけでなくキリスト教の布教が大きな目的であったのに対し、オランダはあくまで貿易のみを目的としていたことである。

 

世界の覇権を握るのに不可欠の日本の銀

 またスペインはアメリカ大陸の銀山を押さえ、世界の銀産出量の8割を有していた。この銀の力でスペインは覇権を握っていたのである。スペインによる銀の独占を切り崩したいと考えていたオランダが目をつけたのが日本の銀山だった。そのためにオランダが日本に送り込んだのがジャック・スペックだった。彼は密かに佐渡の銀山を調査していたという。佐渡の銀山の開発を進めていたのが家康である。家康は5万を投入して24時間体制で銀を掘らせていた。佐渡の銀山の推定埋蔵量は2300トンで世界トップクラスの銀山だったという。家康が鉱山開発を進めたことで、日本の銀の産出量は世界全体の1/3を占めるまでになっていた。

 しかし佐渡の高品質の銀は国外への持ち出しを禁じられていた。そこでスペックは家康と交渉に臨む。毛織物やガラス細工品などを持参して家康に献上しようとしたスペックに対して、家康が望んだものは兵器だった。

 このオランダの動きに焦ったスペインも慌てて家康の元に使者を送り込む。スペインは鉱山技師を派遣して銀の生産量を上げることを提案する。しかし新たな採掘した銀の半分をスペインのものにすることとオランダ人の国外追放、さらにキリスト教の教会を建てて宣教師を置くことを条件としていた。スペインにとっては貿易とキリスト教布教は不可分だったのである。これはキリシタンを増やすことで日本を乗っ取ることを狙う意図も秘めていた。これに対してオランダは、スペインはキリシタンの反乱で日本を乗っ取るつもりであり、この方法でフィリピンもメキシコを植民地にしたと家康に告げる。家康はこの言葉でスペインに対する不信感を募らせ、スペインとの交渉を打ち切ると共に、キリスト教の全面的な禁止に踏み切る。布教の道を断たれたスペインは今度は豊臣秀頼に接近する。徳川と豊臣の戦いはスペインとオランダの代理戦争の側面も帯びたのである。

 

オランダ・スペインの代理戦争としての大坂の陣

 そして大坂の陣が勃発する。宣教師たちはキリスト教の布教を認めた秀頼に肩入れし、豊臣に付くようにキリシタンの武将たちに働きかける。全国からキリシタンが結集し、豊臣勢は総勢10万にまで膨れあがる。さらにキリシタン勢力は大阪城に鉛を運び込み、大阪で鉄砲の弾の生産を行うなど、武器の供給にも協力していた。

 いよいよ決戦が始まる。しかし堅固な大阪城は接近することさえ困難であった。ここで家康が目論んだのは大砲による大阪城攻略であった。ただしこれを行うには徳川軍の陣地から最短でも500メートルの距離を砲弾を飛ばす必要があった。これに応えたのがオランダ。彼らは当時の最先端の銅製のカノン砲を持ち込む。この大砲は音速に達する速度で砲弾を撃ち出し、500メートル以上先にある厚さ10センチの木の板を軽々と打ち抜く破壊力を有していた。家康はこの大砲で大阪城を攻撃、砲弾は天守と御殿を直撃し、豊臣勢は戦意喪失、豊臣家は滅亡する(この番組ではあっさりと決着をつけているが、実際には淀君がその破壊力にひるんで講和に動き、その後に家康はだまし討ちで大阪城の内堀まで埋めて裸城にした上で再び豊臣家に戦いを挑んで滅ぼしてしまうのであるが)。

 この家康の勝利はオランダにとっても転機となる。これでオランダが欲しかった銀を入手することが出来るようになったのである。取引は年々増え、最盛期には年間94トンもの銀が日本から持ち出され、オランダがスペインに対抗するために有力な武器となった。

 

オランダの覇権確立に活躍した日本の侍

 勢いのついたオランダはさらにスペインに攻勢に出る。オランダは東南アジアのスペインの植民地の攻略にかかる。実はここでまた日本が驚いた関わり方をしている。

 戦乱の中で性能を高めた日本の武器が輸出され、さらに国内で戦がなくなって職にあぶれた侍が傭兵としてオランダの戦いに参加したのである。戦に慣れていて勇敢な侍達は傭兵として大活躍し、これによってオランダはスペインとの戦闘に次々と勝利していった。その結果、世界の海を行く船の3/4にオランダの旗が翻ることになる。

 さらにオランダアムステルダムにある大砲が日本の高品質の銅を用いて作られていたことが判明したという。オランダはこの大砲でスペインとの三十年戦争に勝利し、スペインの没落は決定的となる。ここでヨーロッパの覇権が定まり、宗教の時代から経済の時代への変化が起こったのだという。

 

 戦国日本の背後でヨーロッパ列強がウロチョロしていた認識はあったが、ここまでまとめられると圧巻である。オランダ、スペインと、家康、秀頼らの虚々実々の駆け引きが生々しい。この内容から行くと、豊臣家が勝利していたらスペインが日本と手を組むことになるだろうから、日本はキリスト教に支配されて、その内にスペインの植民地にされていた可能性が高いということになる。これはまた新しい戦国の見方である。それにしても前々から感じていたが、やっぱりキリスト教って邪悪だな・・・。

 それにしてもオランダ人はまさに元祖エコノミックアニマルである。交易によって経済力をつけ、それによって軍事力をもつけるというのは、当時としてはかなり斬新な考え方だっただろうと思われる。もっともそのオランダも、この後にさらなる新興国であるイギリスに押されることになるのだから諸行無常ではある。

 この流れから行けばいずれは日本も国際貿易圏の中に取り込まれるという展開の方が自然な気がするのだが、ここからまた鎖国体制に動くわけであるからなかなかに歴史は難しい。家康はヨーロッパとの交易の有効性は十二分に了解している上で、ヨーロッパが日本に介入してくることによって国内が不安定になる危険というのを懸念していたのだろう。国内が幕藩体制で固まっていけば行くほど、武器などの調達は不必要となるし、そうなれば海外との大規模な交易は特に必要がなくなったということか。

 それにしても日本の銀の思いの他の影響力の大きさと、日本人が傭兵として海外進出までしていたということは認識があまりなかった。なるほどそれで山田長政の伝説なんかがあるのかと今になって納得した次第。実際にこの時代には、思いの外大勢の日本人が東南アジアなどに渡って日本人町などを作っていたという。もし日本が鎖国体制に入らなかったら、そのまま日本人は東南アジアに増加して華僑と経済の覇権を争うことになっただろうと思われる。そうなっていたらその後の世界史もまた大分変わったろう。

 

忙しい方のための今回の要点

・スペインから独立した新興国オランダは、植民地からの富によって圧倒的な力を持つスペインに対抗するため、経済力を強化することを狙って東インド会社を設立、アジアへ交易へと乗り出す。
・当時のスペインは世界の銀の8割を押さえており、オランダがスペインに対抗するためには銀の確保が必須だった。オランダはそのために日本の銀山に目をつける。
・当時の日本は佐渡銀山を初めとして家康が各地で鉱山開発を進めており、その産出量は世界の1/3を占めるまでとなっていた。
・日本の銀を欲するオランダは家康に武器を売ることを持ちかける。
・一方のスペインは家康に鉱山技師を派遣することを提案するが、キリスト教の布教が絶対条件となっていたため、キリシタンによる反乱を警戒する家康はスペインの申し出を拒絶する。
・家康に拒絶されたスペインは豊臣秀頼に接近し、キリシタン達にも秀頼を支援するように手配する。
・大坂の陣では家康は堅城大阪城に苦戦。オランダに大阪城を直接攻撃できる大砲の調達を依頼する。オランダはこの要求に対して最新鋭の銅製のカノン砲を持参、家康はこの大砲で大阪城の天守や御殿を砲撃し、これによって戦いに勝利を収める。
・日本の銀を獲得できたオランダはスペインに対抗する力を手に入れ、次にはスペインのアジアでの拠点の奪取を試みる。この際に日本で発達した武器と共に、戦がなくなって失業した侍達が傭兵として送られる。オランダはこの侍達の活躍によってスペインの拠点を次々と攻略、世界の覇権を確立する。


忙しくない方のためのどうでも良い点

・ヨーロッパ側から日本の戦国時代を見るというこのシリーズ、なかなか新しい観点で非常に面白かったです。どうしても普通に勉強していたら日本史と世界史というのがなかなか接続しないものなのですが、こうしてみると日本史と世界史がシームレスでつながってきて非常に興味深い。
・要するにこの時代ぐらいから、地球全体が相互に影響し合うグローバルな時代になってきたということなわけだ。こういうグローバルな世界というのは、日本人にとっては大体明治以降というイメージがあったが、実はそれ以前にもダイナミックにあったということになる。
・それにしてもやっぱり日本って、ヨーロッパの植民地にされかねない紙一重の際どいところをウロウロしてたんですね。

前回の内容

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