教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

"出土品から読み解く古代の日本の姿とは" (7/15 NHK 歴史秘話ヒストリア「謎の古代遺物がモノ語る」から)

 古代の社会の姿を推測する場合、文献などが残されている時代はその文献の内容を参考にする。しかし文字が一般的に普及して記録が残されるようになったのは、日本では随分と歴史が下ってからである。それ以前の社会の状態を推測するには膨大な出土品などの分析から想像力を巡らすことになる。そうやって分かってきた古代日本の姿とは。

 

異形の土偶は母体をかたどったものであった

 まずは日本の歴史を眺めた場合、1万年以上という圧倒的な長さを持つ縄文時代から。竪穴住居に居住し狩猟採取で生活していた時代である。かつては縄文時代は先文明時代で原始時代に毛が生えた程度の野蛮な社会という見方が大半であった。しかし近年は発掘調査の進展などにより、我々の想像以上に物心両面で豊かな時代であったということが分かりつつある。

 縄文時代後期に登場するのが土偶であるが、これがこの時代の文化のあり方を伝える。有名な遮光器土偶などは一見したその異様な外観から、かつては宇宙人の姿をかたどったものとして宇宙人が地球に飛来していたことを示す証拠だというオカルト説まで飛び出していたぐらいであるが、今日ではこれらの一見異形に見える土偶は全て女性をかたどったものであるとされている。

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遮光器土偶(出典:Wikipedia)

 出産によって生命を生み出す女性は、社会的に見ても豊穣や繁栄の象徴であり(だからこそ大抵どこの国でも大地を司るのは女神が多い)、出産時での妊婦の死亡や生まれた後の嬰児の死亡も多かった時代であれば、余計にこれらが信仰に結びついたのも自然である。まあ異形に見える土偶の姿も、デフォルメや抽象化などと考えればむしろ高度に文化が進んだ結果という解釈も可能である。実際に現在流行の美少女フィギュアなんかも、実在の人間ではあり得ない顔立ちやプロポーションをしているのであるから、全く評価基準の違う人間から見れば「異形」であるのは間違いなく、縄文土偶とドッコイドッコイである(今のフィギュアが1000年後ぐらいに発掘されれば「女性をかたどった像と推測されるが、異様に大きい目に異様に長い手足という独特の姿をしている。また胸を大きく強調しているのは豊穣への願いが反映されていると考えられ、中には動物と融合したと思われる像なども存在し、これらの像が信仰対象であった可能性も考えられる。」なんて報告されるかも)。

 またこの時代の櫛なども出土しており、さらに土偶の姿などから当時のメイクやアクセサリなども推測できるという。意外と当時の女性は、今日の男社会で抑圧されている女性よりも伸び伸びと生きていたかもしれない。

 また妊娠をした女性をかたどっている土偶が多く見つかることには、当時の死生観も反映しているという。当時の集落跡を見ると墓地を守るように住居が配されており、後の時代のように墓地が不吉や不浄なものという認識ではないことが覗われる。当時の宗教的感覚は「循環」であり、母体から生まれたものが死ぬことによって再び母体内に戻り、新たな命として生まれ変わるという感覚を持っていたのではないかとする。土器というのは一種の母体の象徴であり、遺体を土器に入れて埋葬しているというのは、亡くなった人物が母体内に再び戻るということを意味するのだろうとしている。確かにこの考え方は仏教の輪廻転生ともつながる根源的思想の一つでもある。

 

農村生活の中で銅鐸の存在

 縄文時代の次に来るのが弥生時代。稲作が普及してきたことが特徴となる時代である。この時代を象徴する出土品が銅鐸。全国から大小様々なものが多数出土されているが、何の目的を持っているかは永らく謎であった。しかし2015年4月、その謎に迫る大発見が思いもかけない場所でなされた。意志や砂を扱う会社の資材置き場から大小7個の銅鐸が発見されたのである。弥生時代早期のものとみられ、3年かけた修復の結果、7個の内の6個が大小の入れ子になっており、しかもその内部から舌が発見された。舌は今まで2例しか見つかっていない貴重なものである。しかもこの舌が銅鐸内部に吊された状態で置かれていたと推測される形で出土したことから、銅鐸はつり下げて鳴らす鐘だったという考えが有力となってきた。

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銅鐸とそれにつけられた舌(出典「松帆銅鐸HP」https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/matsuhodotaku/feature.html)

 また銅鐸の製造であるが、石を掘った鋳型で大量生産されていたと推測されるという。銅鐸の内部が前後の2カ所が磨り減っていたことから、銅鐸はつり下げて前後に揺らす形で鳴らされていたと推測される。また土器に刻まれていた絵などから、銅鐸は十字架のように組まれた横木の左右に吊され、そのまま全体を揺すって鳴らされていたのではと推測される。こうすると極めて容易に銅鐸を鳴らすことが出来るという。また銅鐸の表面に刻まれている模様には四季の水田の風景を示していると思われる絵があり、農村生活の中での豊穣の願いが込められているのではと推測されている。

 

古墳時代の鎧を着た王の遺骨

 次が古墳時代。大陸との交流が進んで技術が発達した時代であり、日本製の精巧な鎧なども見つかっているという。2012年、群馬県渋川市の金井東裏遺跡から、鎧を着た状態の人骨が発見された。鎧の主は身長164センチの男性と分かったという(当時の基準から考えると結構大柄な方に属すると考えられる)。榛名山では1500年前に大規模な火砕流が発生しており、遺骨の発見場所から男性はその火砕流の犠牲者と考えられるという。また近くから成人女性と幼児、乳児の骨が発見されており、これらは家族ではないかと推測されるという。頭蓋骨から推測された人物像は、男性は鼻筋の通った大陸系の顔立ちで、女性の方はあごが発達して団子鼻という当時の東日本に見られる顔立ちだという(大陸渡来のエリートが現地女性と結婚したというパターンだろうか)。男性は40代前半、女性は30代後半だという。

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群馬で発見された鎧を着た遺骨(出典:群馬県HP https://www.pref.gunma.jp/03/x4500038.html?print=1&print=1)

 さらに発掘現場からは大勢の人物の足跡が残っているが、それはパニックになって逃走した後ではなく、整然と歩いた跡であるという。このことから推測されるのは、小規模噴火が発生した時に集落の人々が整然と避難し、なぜかこの4人が残ったという状況である。当時貴重であった鎧を纏っているということはこの男性は集落の王であると考えられるという。かつては鎧を着た埴輪像などは王を守る武人と考えられていたが、近年の発掘結果では王の古墳から鎧が発見されることから、鎧を纏っているのは王そのものと推測されるとのこと。

 ではその王はここにとどまって何をしようとしていたのか。これには研究者によって様々な推測がなされているが、この番組で取り上げたのは 1.住民を先に避難させてから、自分達は貴重な宝物を誰にも触れさせず家族だけで運んで避難しようとしていた。2.山の神に対して鎮まることを祈る儀式を行っていた。3.自らに危害をなしてくる猛威に対して、たとえそれが神であろうと正面から戦うべく武器を持って立ち向かった。どれが本当なのか、もしくは全部がハズレなのかは分からないが、やっぱり3が一番格好良いですよね。再現ドラマなんかでも「荒ぶる神を討ち滅ぼせ!」なんて王が猛然と火砕流に突っ込んでいく格好良い姿を描いて一番盛り上がってますし。だけど私の推測は2ですね。3だとしたら流石に王単独ではなく、何人か側近も参戦してると思うんですよね。古代の王は天変地異などに対しても責任がありますから(天変地異が起こるのは王に人徳がないせいというのは古代中国からの典型的な思想)、山が荒ぶったのなら命を懸けて鎮める義務があるんですよね。そしてそれが出来なかったら、自らが王たる資格がなかったと言うことでまんま生け贄。日本の伝染病を自らの愚策で蔓延させた権力者なんかも、この時代なんかだったらとうに生け贄です。良かったですね。すばらしい憲法のおかげで立場が守られていて。

 

 この後の時代には文書が登場するとのことで、それ以前の時代の物語です。こういうのを見ていると、やはりその時代時代で人々は必死で生きていたわけで、それを一概に「未開時代の野蛮人」と馬鹿にするのがいかに愚かが分かりますね。現代人なんかも未来人から見れば「拙い技術と過剰な欲に溺れて絶滅寸前になった愚かな未開人」と見られるのがオチですから(あくまでその時まで人類が生存していたらの話ですが)。

 それにしても近年は発掘調査技術の進展で、私が歴史を習ったほんの数十年前からでも特に古代史は劇的に変化したのがよく分かります。そこのところの知識をリニューアルしていかなかったら、今時否定されている説を通説のように語ってしまって大恥をかくことにもなりかねません。まあ人間、やはり一生勉強なんだな。なんせ私が学生だった頃は、恐竜はトカゲの親玉が尻尾を引きずりながらノッシノッシとゴジラ歩きをしてたんですから。今のような鳥の祖先の羽毛恐竜が二足で敏捷に走っていたというのとは、全く別の世界です。それに冥王星は太陽系最外縁の惑星でしたし。

 

忙しい方のための今回の要点

・文書がまだ存在しない時代について、出土品などの調査から当時の姿が分かりつつある。
・まず1万年以上続いた縄文時代。出土する土偶は女性をかたどっているものと推測され、妊娠した女性をかたどっているものが多いことから、土器は一種の女性の象徴でもあったことが覗える。また遺体を土器に入れて埋葬しているの、亡くなった生命が再び母胎から再生するという循環の考えを象徴したものと推測されている。
・弥生時代には多数の銅鐸が出土しているが、舌をもった銅鐸が出土したことから、銅鐸は吊して鳴らして使用されていたと考えられる。またそこに描かれた絵には農村の四季の姿があった。
・古墳時代には大陸からの技術で日本でも精巧な鎧が作られるようになっていたが、群馬で鎧を着た男性の遺骨が発見された。彼は集落の王で家族もろとも榛名山の火砕流の犠牲になったとみられるが、集落の他の人々は事前に避難していたと推測され、王が家族とともに残ってなにをしようとしていたのかは今も謎である。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・以前にも何かの時に言ったことがありますが、現代人がよくやる間違いの一つは、古代人が馬鹿だと考えてしまうこと。古代人は現代人のような科学技術を持っていなかっただけで、決して馬鹿ではない。古代ギリシア人なんかそこらの現代一般人なんかよりも数学の能力なんかは遥かに高かったし、縄文人なんかも自然や環境に密着した知識だったら現代人なんかよりも遥かに優れていたと考えられる。古代人を馬鹿にしてかかっていたら、その真の姿を見誤ることになります。まあ同じことは「未開」と言われる人々に対してもなんですが。

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