教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

"江戸時代に感染症と戦った緒方洪庵" (7/22 NHK 歴史秘話ヒストリア「病 災害 江戸の先人かく戦えり」から)

 コロナが社会問題となっている上に、水害などの大災害も発生している。現在は無能な政府のせいで国民は犠牲にされているが、今よりも技術の進んでいない江戸時代にこれらの災害に正面から立ち向かった人々がいる。伝染病に挑んだ緒方洪庵と飢饉に挑んだ二宮尊徳を紹介。

 

種痘を普及させて天然痘を撲滅した緒方洪庵

 緒方洪庵は西洋医学を身につけた幕末の医師であった。元々武士の家に生まれたが身体が弱くて武道の稽古が出来なかったため、医師の道を目指したという。長崎で最新の西洋医学を身につけた洪庵は大阪で開業医として働くと共に、西洋医学を教える適塾を開く。一癖も二癖もある学生が集まってきたが、学問にかける情熱はかなりだったらしい。そのために福沢諭吉ら明治で活躍する人材を輩出している

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緒方洪庵

 洪庵が挑んだ疫病は天然病。日本で多くの犠牲者が出ていたが、既にヨーロッパでは種痘の技術が開発されていた。しかし日本では牛から取った菌を植えるという種痘には精神的抵抗が強いものが多く、挙げ句は種痘をすると牛になるという迷信まで広がってしまったとか。

 そこで洪庵は種痘ワクチンの少年が天然痘の悪鬼を倒す錦絵を作って種痘のPRに務めたという。また種痘を受ける子供にはお菓子を渡したりなんてこともして、徐々に種痘を広げていったという。やがて種痘は日本中に広がり、幕府も公認の治療法となり、天然痘の脅威は去る。

 

有効な治療法がないコレラ流行にどう立ち向かったか

 しかしそこに新たに現れた伝染病がコレラである。アメリカから来た船から上陸し、あっという間に全国に広がった。発病するとすぐに死んでしまうことから「コロリ」と呼ばれて恐れられた。一説によると江戸で20万あまりの人が亡くなったという。

 しかしコレラには治療法がなかった。長崎にいたオランダ人医師・ポンペはマラリアの特効薬であるキニーネがコレラにも効果があると唱えていたが、実際に洪庵が試してみたところ本当に効果があるのかには疑問を持たざるを得なかった。しかも輸入薬であるキニーネはすぐに枯渇してしまい。この時点で多くの医師は治療法がなくなったと治療を放棄してしまう状態になってしまった。

 洪庵は諦めずに書物をあさり、解熱剤などで対象療法しながら米や麦の煮汁を飲ませることを継続すれば回復することもあるという記述を見つける。これらの情報を洪庵は虎狼痢治準という書物にまとめる。この中で洪庵はポンペの説を上げ、キニーネだけに頼るのは不十分だと記した。そして他の書物の情報や自分の臨床経験をまとめ、全国の医者にこの書物を配った。ところがこの書に対して、キニーネの効果は西洋では支持されているとの反論を送ってきた医師がいた。洪庵は次の版ではこの反論も併記して出版したという。自分の名誉やプライドよりも徹底した情報公開を優先したのである。そして間もなくコレラの流行は鎮まっていく。

 なんかこうやってまとめられると、ポンペがとんでも医師に見えてしまうのだが、彼は日本における医療概念やら衛生概念などの確立に貢献した偉大な医師であるということは「知恵泉」の方で放送されていた。何か別の番組でフォローしてるな。なお緒方洪庵が頑張ったのは間違いないが、結局はコレラの決定的な治療法を提供できたわけではなく、何とかしのいで自然終息に持ってったってだけなんですよね。まあ死者を少しは減らせたかもしれませんが。

 

桜町の再生に挑んだ二宮金次郎

 後半は夜中に銅像が走り出すことで有名な二宮金次郎こと二宮尊徳について。元々小田原の農民だった金次郎一家は彼が5歳の時に台風による水害で田畑を失う。しかし藩からの支援は全くなく(安倍政権のようだ)、貧しさの中で両親は相次いで亡くなる。すべてを失った16才の金次郎は一人で懸命に働いた。捨てられた苗を血道に植えては育てるというような状態だったらしいが、努力によって徐々に生産を増やし、20才の頃には一廉の農業経営者となっていたという。

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二宮尊徳

 彼の評判はやがて小田原藩主にも届き、35歳の時に小田原藩の分家である下野国桜町の農業の再生を託される。桜町で上がる年貢は減る一方だったのだという。金次郎は10年は自分のやり方で任せて欲しいと頼んだ上で桜町に出向く。

 そこで彼が目にしたのは仕事を放棄している農民達の姿だった。なぜ彼らは働かないのか。それを調べた金次郎はとんでもない事実を発見する。当時の桜町での収穫は1000石足らずだったのに、年貢として設定されていたのは2000石だったのだという。どうやっても払えるはずのない年貢に農民達はやる気を完全になくしてしまっていたのである(税が重すぎてどうやっても貧困になるというまさに安倍政権状態)。

 金次郎は年貢を無理のない額にすることを農民に約束して、さらに農民達のやる気を引き出す手を打つ。彼はよく働く人に鍬や鎌といった賞品を与えた。また村でひたすら切株を掘っていた老人を「村のみんなが仕事をしやすくなることに貢献した」として表彰し、15両という大金を与えたという。10年で桜町の収穫高はかつての倍になったという。

 そんな夏、金次郎はなすの漬け物の味がおかしいことに気づく。田畑の作物を見ると葉先がしおれていた。この兆候から彼は天候の異常を予測する。実はこれが後の天保の大飢饉の前触れだった。彼は農民達に直ちに節約を呼びかけて1年分の食べ物を備蓄させた。そして予測通り、その年の秋に日本中で米が大凶作となる。多くの人が飢えで亡くなった中、桜町は金次郎による対策で飢饉を乗り切ることに成功した。

 

小田原の領民を救うために活動する

 しかし小田原では4万もの人々が飢えに苦しんでいた。金次郎は12月に藩主から小田原の救援を命じられる。早速金次郎は江戸の小田原藩屋敷に出向き、城の米蔵を直ちに開くことを求めるが、藩主が病気であったために誰も決断が出来ずに2ヶ月も待たされる(いかにも日本的だ)。金次郎はぶち切れて「政が行き届かず、民が飢えで命を落としたら、天になんとわびるつもりか」と迫る。そうしてようやく許可を得たものの、小田原城に入ったら今度は小田原の役人が殿の書状がないと米蔵を開けられないと抵抗する(これもいかにも日本的)。当時江戸との往復には4日かかる。それで金次郎は「では書状が届くまでの4日間、私とみなさまも民と同じく何も食わないことにしましょう」と提案する。さすがにこれにまいったか、ようやく米蔵が開かれる。

 早速領民の救済にかかる金次郎だが、藩の備蓄米も限りが有り、全ての領民に行き渡るだけの量はない。そこで苦しさの度合いでまだ余裕がある無難、不足しつつある中難、食料も金も底を着いた極難の3段階に分ける。そして極難の中で命の危険のある人に1日1合の粥を与えた。

 しかし麦が取れる春までを何とか乗り切るにはこれまでの方法では無理があった。極難の者は増える一方だし、米の値段は3倍になって買うことも無理だった。そこで金次郎は無難や中難の者から出資を募って基金を設立し、それを極難の者に貸し与えるメカニズムを考える。極難の者は金を返せないのではとの批判も出るが、これに対して金次郎は「そもそも同じ村の者なんだから、こんな時には未来を信じて助け合おう」と呼びかける。村人の心は動き、結果として総額4000両(約1億6千万円)ものが金が貸し付けられ、何とか春までをしのぐことが出来たのだという。全国で30万もの人が亡くなった中で、小田原は餓死者0という偉業を成し遂げたのである。


 逆境の中で信念を持って頑張った偉人たちの話でした。それにしても二宮金次郎がやったことといえばまさに今のクラウドファンディング。しかし民が民を助けるというのは逆を言えば政府(この場合は藩)がトコトン無能であるということを証明してしまったということでもあるのですが。そう言えば今の日本にも、コロナ禍の救済をクラウドファンディングなどと言っていた無能大臣がいたな。そいつが今はGoToキャンペーンの旗を振っているが。二宮金次郎が今の世に存在したなら、きっとガツンと一言言ってくれただろうな。今の政府には忖度する奴ばかりで正論を通そうとする者が誰もいないから・・・。

 

忙しい方のための今回の要点

・緒方洪庵は天然痘の流行に立ち向かうためにヨーロッパで確立していた種痘を取り入れた。
・民衆には抵抗が強かったが、そこは巧みにPRに務め、結果として全国に種痘が広がることになって天然痘は抑えられた。
・しかしそこにコレラが上陸。多くの犠牲者が出る中で有効な治療法はなかった。洪庵はあらゆる西洋の文献を調べ、その中から集めた情報を書物にして全国の医師に配った。
・二宮金次郎は小田原の分家の桜町での農業の再生を担当し、見事にそれを果たし、さらにはわずかな予兆から天保の大飢饉を予測して備えたことで、桜町は飢饉を乗り切る。
・桜町で成功した金次郎は小田原の4万の民を救うことを命じられる。彼は藩と掛け合い、様々な抵抗がある中で藩の備蓄米を放出させて急場をしのぐ。
・さらには麦の収穫がある春までをしのぐために、余裕のある農民から出資を募って苦しんでいる農民を救うための基金を設立する。この民が民を救うシステムで餓死者0で春まで持ちこたえることに成功する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・彼らは偉人であるわけですが、ただ常識で考えると「当たり前」のことをしてるんですよね。つまりは当たり前のことをいかに出来ない奴が多すぎるかということでもあります。
・当たり前のことを当たり前にすれば良いのに、そこで「どうすれば自分やお友達を儲けさせられるか」なんてアホなことを考えるとすべてが滅茶苦茶になるというわけ。国のトップはやはり当たり前のことを当たり前に出来る人でないと。
・なんてことが普通に思いつくということは、これは上から「とにかく政権を讃美する内容を流せ」と強制されているスタッフのわずかばかりの抵抗ですかね。NHKも上層部は腐ってますが、現場にはまともな人もまだ多いですから。

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