教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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"日米開戦に反対の山本五十六が真珠湾攻撃を実行した理由" (8/10 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「太平洋戦争開戦!山本五十六の苦悩」」から)

 連合艦隊司令長官の山本五十六は日米開戦に反対していたことで知られている。しかしあの真珠湾攻撃を立案実行したのは彼である。日米開戦に反対していた彼が、なぜ真珠湾攻撃を行うことになったか。

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連合艦隊司令長官・山本五十六

 

アメリカの強さを知るがゆえに日米開戦に反対する

 山本五十六こと高野五十六は1886年に長岡で元藩士の高野貞吉の六男として産まれた。父が五十六才の時の子供だから五十六なのだそうな。非常に負けず嫌いの子供で、日清戦争に参加した伯父の影響で海軍を目指した。少尉候補生として日露戦争の日本海海戦に参加するがそこで左手の指2本を失う重傷を負う。その後、海軍大学校まで進学し、旧長岡藩の筆頭家老だった山本家の名を継ぐこととなる。二度のアメリカ駐在などで海外の経験を積み、航空本部長などの航空畑を主に歩むことになる。そして52才で海軍次官となる。世はニニ六事件以降の陸軍が政治に介入していく時代になっていた。山本はこの状況に危機感を抱き、米内光政を海軍大臣にすることで陸軍に対抗しようとしていた。

 陸軍は日中戦争を始めて満州で泥沼の状況となっていた。そこにナチスが日独伊三国同盟を提案してくる。ロシアをナチスに牽制してもらいたいと考える陸軍は三国同盟を強烈に進めてくるが、米内はそれに反対した。ナチスはいずれはイギリスと戦うのは確実であり、そうなるとアメリカと敵対することになるのを山本は一番恐れていた。実際にアメリカに行ったことのある山本は、アメリカと戦っても到底勝ち目がないことを分かっていたのである。

 

一度は消えたはずの三国同盟が再浮上する

 三国同盟を推し進める陸軍は山本にあらゆる圧力や恫喝を行い、ついには山本の暗殺計画まで持ち上がる。山本は命がけであり「自分が殺されても、そのことで国民が少しでも考え直してくれたら良い」と語っていたという(当時は陸軍だけでなく、一般国民も行け行けドンドンで舞い上がっていた)。

 しかしここで思いもよらないニュースが飛びこんでくる。ナチスがソ連と不可侵条約を締結したのである。これでナチスに西からソ連を牽制してもらうという陸軍の構想は吹き飛び、面目丸つぶれとなる。山本はこれで陸軍はしばらくおとなしくなるだろうと、ひとまず胸をなで下ろす。実はこの時、昭和天皇もこのことに安堵していたという。

 しかし陸軍の馬鹿さ加減は想像を越えていた。内閣が替わり、米内が海軍大臣を辞任する時に、山本は連合艦隊司令長官に任命される。米内は山本の暗殺を恐れて次官からはずしたらしいが、山本自体は次官の職を続けることを望んでいたという。で、米内と山本が外れた頃にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発、初期のナチスの快進撃を受けて、またもや三国同盟が浮上してくるのである。

 中国への侵攻をアメリカから批判された日本は、日米通商航海条約の破棄を通告されていた。重油及び鉄鋼の大半をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとってはこれは決定的なダメージだった。こんな中で三国同盟の機運が盛り上がっていく。この頃になると陸軍だけでなく海軍にも三国同盟賛成派が強くなっていた。そんな中でも山本五十六はあくまで三国同盟に反対し、米英から得ていた物資をどうするつもりだと迫ったが、海軍上層部はそれにまともに答えず三国同盟締結を可決する(既に現実逃避モードだ)

 

日米戦争回避を願いつつも勝利の戦略を策定する

 そしてついに三国同盟が調印される。近衛総理に呼び出されて日米改選後の見通しを聞かれた山本は「初めの半年や一年は随分暴れてご覧に入れますが、二年、三年となっては全く確信が持てない」と答える。そして日米戦争の回避を要請する。

 戦争回避を願いつつも、連合艦隊司令長官の山本はアメリカとの戦い方を検討する必要があった。彼は当時一般的だった艦隊決戦の考えを捨て、航空機による敵艦攻撃を考えていた。そして真珠湾を奇襲することで、初期にアメリカ太平洋艦隊に大打撃を与え、短期決戦に持ち込むことを考えていた。しかし海軍軍令部はこの案に反対し、インドシナへの進行を考えていた。しかしこの案に山本は真っ向から反対する。南方に進駐している内に日本本土が攻撃を受けたらどうするんだと強く訴える。

 しかし山本の願いも空しく日本はアメリカとの開戦が不可避の状況になる。そして山本は連合艦隊司令長官の職を賭して真珠湾奇襲を軍令部に訴える。これに軍令部も「そこまで自信があるのなら」とその案を認める。

 

大成功と思われた奇襲攻撃だが・・・

 そしてついに開戦の日が決定する。山本は真珠湾攻撃を第一航空艦隊司令長官の南雲忠一らに託す。そして真珠湾奇襲攻撃がなされ、アメリカ軍に大打撃を与える。作戦は大成功と思われたが、実はそうではなかった。真珠湾に停泊していたはずの空母部隊はそこにいなかった上に、修理施設燃料タンクなどには手つかずであり、結局はこの後、アメリカ軍は破損した戦艦を次々と引き揚げては修理して戦線復帰させた。そして何よりもの失敗は、宣戦布告直後の奇襲攻撃のはずが、駐米日本大使館の不手際で宣戦布告が大幅に遅れたことで、結果としてだまし討ちの形になってしまったことである。

 結局は山本が目論んでいたアメリカの戦意を挫いて早期講和どころか、アメリカ人を逆上させることになり(最初から戦争がしたくてたまらなかったルーズベルトが煽ったという面もある)、勝ち目のないはずの総力戦になってしまうのである。なお南雲が中途半端な状態で撤退したのは、所在不明な空母艦隊による攻撃を恐れたものであり、軍令部から空母の一隻さえ失ってはいけないと厳命されていたからだろうという。山本も判断は現場に任せるといったものの、南雲が撤退するだろうことは分かっていたとのこと。

 そして泥沼の太平洋戦争の最中、前線の視察に出向いた山本は、暗号を解読して待ち伏せをしていた米軍機の攻撃に遭って戦死するのである。


 まあ今も昔も日本では理性的に物事を考えられる優秀な人間は絶対に排除され、上の意向や空気を読んで忖度するだけの奴が主流になりますという証明でもありました。で、そんな組織は絶対に有事の対応に失敗するという証明でもあります。全く今の日本はこの教訓から何も学んでいないどころか、何度も同じ失敗を繰り返す。

 

忙しい方のための今回の要点

・アメリカに駐在してその国力を知っていた山本は、アメリカと戦って勝てるはずがないことを痛感しており、日米開戦につながる三国同盟には反対していた。
・しかし三国同盟を推し進める陸軍は山本に圧力をかけたり果ては暗殺計画まで持ち上がることになる。
・ナチスがソ連と不可侵条約を結んだことで、ナチスにソ連を牽制してもらうという思惑の外れた陸軍の面目はつぶれ、三国同盟は一旦は止む。この頃に山本は海軍次官から連合艦隊司令長官に転身する。
・しかしその後、ナチスの快進撃で三国同盟締結の機運が再び盛り上がり、海軍内も同盟派が主流となる事態となり、山本の反対論は無視されて三国同盟が締結される。
・山本は近衛総理に日米開戦を避けることを要請しつつ、アメリカと戦うための戦略として航空機による真珠湾奇襲攻撃を立案する。
・山本の願いも空しく日米開戦となり、日本は真珠湾の太平洋艦隊に大打撃を与える。しかし空母艦隊はいなかった上に、軍港の機能を破壊できていないとという中途半端なものだった上に、大使館の不手際で宣戦布告が遅れ、結果としてだまし討ちという形になってしまい、山本が目論んでいた早期講和は不可能となる。
・泥沼の太平洋戦争の最中、前線視察中の山本は待ち受けていた敵機の攻撃で戦死する。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・山本は戦いに勝つことよりも戦いを避けることの方が重要と言っていたらしいが、確かにもし勝っても国民の損害がかなりでるのが戦争だから、そんなものやらないにこしたことがない。ましてや勝ち目のない戦争など馬鹿の極致。
・しかし当時はそれをまともに判断できず、無意味に精神論で勝てると思い込んでいた馬鹿が上層部にいたんですよね。しかもこいつらが人命をとことん軽視と言うとんでもない連中。だけど今の日本も全く変わってないな。

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