教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/3 BSプレミアム ダークサイドミステリー「"ひかりごけ"の衝撃~現代の私たちの物語~」

実際にあった人肉食を事件を扱った衝撃の作品

 「ひかりごけ」は武田泰淳によって戦後に発表された戯曲形式の短編小説である。それは1944年に発生した遭難者による人肉食事件(後にこの小説から「ひかりごけ事件」と呼ばれるようになる)をモチーフとして殺人、人肉食の意味を問いかける作品である。

     

 この作品を基にした映画も後に制作され公開されているが、実際の事件とは若干の概要の違いがある。本作品は戦時中の物資運搬用の徴用船が難破して、真冬の隔絶した知床半島に漂着するところから始まる。

     

 漂着したのは船長と3人の船員。食料の全くない極限状態の中で、まずは体調の悪かった五助が最初に死ぬ。そして船長が五助の肉を食うことを提案する。それに対して船員の西川は反対するが、船長は「このまま犬死にするのか」と主張する。もう一人の船員の八蔵は五助に「お前が死んでも食わない」と約束していたことから最後まで五助を食べることをせず、結局は船長と西川が五助を食べる。衰弱していく八蔵が西川に語ったのが「人の肉を食った者は首の後にひかりごけに似た光の輪が出る」という話である。これが表題の「ひかりごけ」である。つまり罪の証が焼き付けられるというわけである。八蔵には西川の罪が見えたのだという。

 

不条理な戦争体験から社会に疑問を投げかけた武田泰淳

 武田泰淳がこのような作品を書いたきっかけは羅臼で事件の話を聞いたことによるという。冬の知床に船の遭難で閉じ込められた船長が、先に死んだ仲間の肉を食べて2ヶ月後に生還したという話である。船長は死体損壊で1年の刑に服している。この話を聞いた泰淳は、第二次大戦の南方戦線で飢餓の極限状態の中で人肉食が起きていたことを思い出す。戦争などの殺人は文明人の営みなのに対し、人肉食は野蛮で下等なことのように語られる世間に疑問を感じた泰淳が、その疑問を投げかけたのがこの作品だという。この作品の冒頭には 1.単なる殺人 2.人肉を喰う目的でやる殺人 3.喰う目的でやった殺人の後、人肉は食べない 4.喰う目的でやった殺人のあと、人肉を食べる 5.殺人はやらないで、自然死の人肉を食べる のいずれが最も罪深いのかと問いかけているという。

 そして五助を食べなかった八蔵が衰弱して死に、西川と船長が残る。西川は船長を恐れていた。船長は西川に「殺すつもりはない。死ぬのを待っている。」と語る。これに対して西川は「殺すよりなお悪い。」と答える。「死んでもお前には喰われない。海に飛びこんで死ぬ。」という西川に、船長は「そんな勿体ないことはするな。」と答えて争いになり、ついに船長は西川を殺す。ここまでが第一幕だという。

 

自分が生き残ったことを一生罪に感じていた船長

 実際のひかりごけ事件の船長はずっと罪の意識を背負って平成まで生きたという。船長に取材したノンフィクション作家の合田一道氏は、最初は仲間を食べて生き延びた船長を責めるつもりで取材に行ったという。しかし合田氏の詰問を黙って聞いている船長の佇まいに奥深い罪の意識を感じて15年もの間聞き取りを続けたという。この事件は小説と同様に徴用船が遭難するのだが、生き残ったのは船長と18才の青年の2人だけだったという。海岸の漁師小屋に避難したものの、食料はわずかなミソと海岸で拾った昆布だけだった。40日以上経ち2人は衰弱して動くことも難しくなる中、ついに青年が亡くなる。その2日後に船長は意識もハッキリしない中で青年の遺体を食べたらしい。

 この時の船長は餓死寸前の極限状態であり、特に糖が全くない状態。この状態では脳活動自体が停止寸前で錯乱や幻覚妄想などが出てもおかしくないという。脳がほとんど麻痺している状態でひたすら本能に従ったのだろうという。遭難から2ヶ月後に船長は救助され、「奇跡の神兵」と呼ばれる。しかし小屋から人骨と血の跡が見つかって、死体損壊で1年の刑を受けることになる。判決理由は社会の文化的秩序維持の精神に悖るというものだったという。いわゆる「皇国の精神に反した」という意味だという。そして船長自身も「おめおめと自分一人生き延びた」という罪の意識に苛まれたのだという。実際に彼は自殺未遂を何度も繰り返した。合田氏は「仏様があなたの身代わりになってくれたと思えば気持ちも収まるでしょうに」と告げたそうだが、船長は「神なんか現れない」と答えたという。そして彼は平成になってから74才でこの世を去る。

 

南米であった「アンデスの奇跡」

 同様の極限状態での食人で、その後の展開が異なったのが「アンデスの奇跡」と言われたウルグアイの大学のラグビー部の学生が乗った飛行機が墜落した事故だった。アンデス山脈の山中で飛行機が墜落、標高2400メートルの雪山に飛行機の胴体が不時着、この時点で16名が死亡、重軽傷者が29名だった。彼らは救助を待つために食料をかき集めたもののほとんどなかった。しかし墜落から8日後に、機体を発見できないまま捜索は打ち切られたことを知る。自力で下山するしかないが、もう既にその体力が残っていなかった。そのために「死亡した仲間の遺体を食べるか否か」が全員で話し合われる。全員がカトリックであったため、果たして神がそれを許すかが議論となるが、神はまず生きることを優先するという意見や、最後の晩餐でイエスが使徒達に自分の身体と血を与えた(イエスはパンを自分の肉、ワインを自分の血と言っている)などの話が出て、最後に一人が「もし自分が死んだらみんなで自分を食べてくれ」と言ったことで結論が出る。

 結局は事故から72日後に生存者が下まで降りることに成功し、16名が救助されることとなった。人肉を食べて生き延びた彼らには批判もあったが、カトリック教会は彼らの行動を支持するとの声明を出し、それによって批判は鎮まったという。生存者が一人でなかったこと、宗教的権威が背後にあったことが知床の船長などとは異なるところである。

 「ひかりごけ」の第二幕は裁判の場面になる。船長の行為を厳しく問い詰める検事に船長は「私は我慢しています」と発言、そして「私は人の肉を食べた者か食べられてしまった者に裁かれたい」と答える。この船長の「我慢」の意味は武田泰淳自身が戦争に徴兵され、そこで出会った不条理な世の中に対して耐えてきたということが反映しているのだろうという。そして船長は「人食いをした自分には光の輪があり、人食いをしていない者にはそれが見えるはずだ」と答えるのだが、法廷の誰にもそれが見えない。それどころか法廷の全員の首元に光の輪が見える。そして「貴方たちは私の光の輪が見えないといけないんです。もっとよく見てください。」と船長が叫ぶところでこの作品は終わるという。

 

 つまりは自分は何も罪もないと考えているような奴も、実際には人を殺して食っているのと変わらないということを語っているのだろう。戦争で罪の意識も持たずに殺戮に荷担し、またそれを推進した連中が多いということを批判しているのだということが感じられる。つまりは生きるために人を食った者を上から裁けるぐらいお前達はご立派な人間かという作者の訴えでもある。確かに人肉こそ食っていなくても、人の犠牲の上に安穏とした地位を築いている輩は今でも多い。竹中平蔵や安倍晋三の首元にはさぞかしくっきりとした光の輪が存在するだろう。

 なお栄養面の観点から言えば、人肉というのは牛肉や豚肉などの畜肉に比べると栄養価は乏しいとのことである。また人肉を食べることで病気感染の可能性が高まるし、異常タンパクの蓄積による病気などが発生することも知られている。このように道徳的問題を除いたとしても、人肉食は栄養学的にも疫学的にもよろしくないことは証明されている。ちなみに食肉は種族が遠いものほど良く、哺乳類よりも魚類、さらには昆虫類というように遺伝学的に遠いものほど食料としては有効という説もある(と言う観点から考えると、猿を食べるというのは人間の次に良くないと考えられる)。

 ちなみに食人については、実際に奥地の未開の民族でその習俗が残っていたなどと言われる例もあるが、詳細は知らない。ただニューギニア島のある部族で死者を弔う儀式として、その肉を食べるという習慣があったと言われている(その結果、異常タンパクが原因となった病気が増加していた)。中国でも「水滸伝」なんかを読んでいると、捕虜をぶっ殺して食ったとか、店に来た客を殺して肉まんじゅうにしたなんて話がごく普通に出てきたりするのには驚いたことがある。

 

忙しい方のための今回の要点

・武田泰淳が戦後に書いた短編小説「ひかりごけ」は羅臼で遭難した船長が、船員の死体を食べて生き延びた事件を基にしている。
・戦争での不条理を体験した泰淳は、この作品を通して戦争という口実によって殺人が肯定されることが正しいのかといった疑問を投げかけている。
・実際の事件では船長は餓死した船員の死体を食って生き延びたのだが、後に死体損壊で1年の刑に服している。船長は平成になって亡くなるまで、一生罪の意識を背負い続けたという。
・「アンデスの奇跡」と言われたウルグアイの飛行機事故でも、生還者は死亡者の人肉を食べて生き延びたことが問題となった。しかしカトリック教会は生還者達の行為は生きるためのものとして許されると声明を出し、社会の批判は沈静化した。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・なかなかにショッキングな話なので、この作品が発表当初に社会に強烈なインパクトを与えたのは間違いないでしょう。ただ実際に人肉を食べるわけでなくても、桃太郎侍に「人の世の生き血をすすり」と喩えられるような輩は今日にも普通にいます。

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